百不当一老 2016.07.19 09:39 「ひやくふとういちろう」と読みます。禅宗の教えだそうです。百回矢を射て、当たらない。百一回目に当たった。その百回は一回当たるためのものである。百不当も一老と変わらぬ道の途中である。と言います。世の中にある、様々な教えは当たり前のことを言っていることが多いと思います。しかし、我々が当たり前のことが解らなくなっているからその教えたちが有り難くなります。例えば、人里離れた自然の中で、天地自然を師とすればもっとゆっくりシンプルに大切なことに気づくことが、多くの人との暮らしの中でセカセカ学ばなければなならないとすれば、学ぶことの何と過酷なことでしょう。過酷だからこそまた得るものが多いのかも知れませんけどね。