ピリス演奏『ウィグモア・リサイタル』
そのか細い両腕には
4個の腕時計が巻かれて
221時限目◎音楽
堀間ロクなな
ポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)がわれわれの前に颯爽と登場したのは、29歳のときに日本のレコード会社が制作したモーツァルト『ピアノ・ソナタ全集』(1974年)によってだった。LPのジャケットには男の子のようなショートヘアの、まだ少女といってもいい風情の女性が思いつめた顔を俯かせていて、そんなイメージにふさわしく、青白い硬質の打鍵が奏でる一途な演奏にわたしも胸を締めつけられる感動を味わったものだ。
その後、ピリスは健康上の理由で活動を休止した期間をはさんで、1980年代にカムバックを果たし、2度目のモーツァルト『ピアノ・ソナタ全集』(1990年)の録音でひと回りもふた回りもスケールアップしたことを印象づけた。前作に較べていっそう強靭でありながらどこまでもしなやかな18のソナタと幻想曲の演奏に、聴く者は心ゆくまで身を委ねられる。以降もソロや協奏曲のレコードが次々と発売されて気を吐いたけれど、わたしがひときわ好んだのは、さまざまな演奏家と組んでのベートーヴェンやブラームス、フランク、ドビュッシー、ラヴェル、グリーグらの室内楽のCDだった。ジャケットに映っている面貌は年齢相応のものに移ろっていっても、そこにはつねに音楽をすることの喜びが息づき、どれだけ鋭利に表現を研ぎ澄ませても決して神経質にはならず、だれに対しても両手を広げて微笑みかけてくるようだった。一体、こうした逞しさはどうやって育まれたのだろうか?
その答えの糸口を、たまたま手にした音楽之友社のムック『クラシック 続・不滅の巨匠たち』(2020年)のなかに見出した。音楽プロデューサーの篠原良が親しく交流してきたピリスについて、こんなエピソードを紹介していたのだ。彼女にはすべて父親の異なる娘が4人いて、娘たちはみな異なる国で暮らしていることから、「そのか細い両腕に、それぞれ2個の腕時計をしていて、それぞれが娘さんのいる場所の時間に合わせてあるとのこと。すごいお母さんなのでした」と――。
どうやら、根っからのコスモポリタンらしい。篠原が伝えるとおり、たとえ飛行機の移動やホテルの宿泊が大の苦手だとしても、ピリスにとって地球はまるごとひとつながりの人生の舞台なのだろう。
リスボンに生まれ、ミュンヘンの音楽アカデミーで学び、ブリュッセルで開催されたベートーヴェン生誕200周年記念コンクールで優勝したのち、世界各地でコンサートやレコーディングの活動を展開するとともに、NHK教育テレビのピアノ番組の講師つとめたり、母国ポルトガルの多目的アートセンターを設立したり。そのかたわら、父親が異なる4人の娘を育てあげて別々の国で生活させるという、プライヴェートでも余人にはおいそれと真似のできないワールドワイドな生き方を貫いてきた姿勢が、彼女のピアノから万人に向かって懐の深い音楽を紡ぎ出す原動力となったのではないか。
そんなピアニストとしてのありようを端的に示すレコードがある。2012年1月、67歳のときに、13歳年下のチェリストのアントニオ・メネセスと組んで、ロンドンのウィグモア・ホールで行われたリサイタルをライヴ収録したものだ。プログラムは、デュオによるシューベルト『アルペジョーネ・ソナタ』ではじまり、ついでピアノのソロでブラームス『三つの間奏曲』が弾かれ、そのあとふたたびデュオでメンデルスゾーン『チェロとピアノのための無言歌』、ブラームス『チェロ・ソナタ第1番』と続き、最後にアンコールのバッハ『パウトラーレからのアリア』で結ばれるというラインナップ。いずれの曲でも、音の背後にある静寂を尊ぶように声高になることを避け、和やかな旋律がひとなつこく語りかけてきて、主役がチェロのときでも、それを支えているのはあくまでも自然体のピアノであり、そのピリスの指先に誘われて聴く者は広々とした気持ちで深呼吸することができる。こうしたリサイタルを他のだれが実現できたろう?
この表現者と同じ時代を生きられたことが僥倖に思える、わたしにとってピリスもまたそんな存在のひとりだ。現在76歳の彼女は、2年前に公的な演奏活動からの引退を表明し、ブラジルのサルヴァドールに居住しながら後進の指導に当たっているという。もはやステージやレコードで接することは叶わないとしても、地球上のどこかで、いまも彼女が両腕に4個の腕時計を巻いてピアノに向かっていると想像するだけで勇気が湧いてくるのだ。