地球のためのガーデニング
ステファン・ブラックモアとガンター・フィッシャーが森林再生にて生命の網を支えることがいかに最善であるかを考えます。
翻訳:浅野 綾子
5 メートルもあるでしょうか。私たちは小さな木の下に立っています。ツタが凸凹のない幹にからみつき、上には何種類かのランとシマオタニワタリ [シダ] がなめらかな樹皮にまとわりついています。四方は森。若い森ですが多様性に富み、400 以上もの植物の種が生息しています。森の下層のハーブや背の低い小さな木を踏まないように、足の踏み場に気をつけなければなりません。頭上には、木々の間から雲一つない空がのぞいています。木々は空をふさぐ林冠になるまでにはまだ育っていません。季節は冬で空気もひんやりしていますが、鳥のさえずりがこだまし、私たちの周りにはハチがブンブン飛んでいます。頭の先からつま先まで生物多様性にすっかりひたっています。
自然の中に身を置くのはいつだってすばらしい。でもこの瞬間を何にも代えがたくするのは、10 年前、ここには森などまったくなく、長く放棄された茶畑の傾斜の上に草が生えるただの空き地だったということです。千年以上もの間、香港でもっとも高い山である大帽山の山肌を豊かな亜熱帯林がおおうことはありませんでした。6 年前、私たち 2 人がこの地の奇跡的な変化を見に来た時ですら、様子はまったく違うものでした。
この地を訪れたことがきっかけで、リサージェンス&エコロジスト(287号)に寄稿した「Seeds of Hope on the Mountainside(山肌をおおう希望の種子)」と題した記事が生まれました。
世界中の多くの地と同じ様に、この場所にも人間の搾取の傷跡がありました。この地では、土が枯渇して茶が育たなくなるまで栽培が続けられてきました。その後この地は放棄されたままとなり、下方の農場の火災が飛び火して完全に不毛になりました。未来が望めない状態にされてきたのです。自然は時間がたてば、人の手が入らなければ自分で立ち直れる、こうした傷を自分で癒せるとよく聞きます。でも、最終的に植物でふたたび覆われるようになったとしても、これは真実とはいえません。ここ大帽山では、1 年を通して小川が流れる深い小峡谷に、点々と古代の森が残っていました。最も頑健な木がわずかに数本、その種子を風が運ぶか、鳥が運ぶか、地中の種子の保存庫にかくまわれたかして生き残り、草地の斜面にふたたび生えてきました。あと千年もすれば育ちの悪い森がここに育っているのを目にするかもしれません。仮にそうであっても、人類出現以前の時代に香港や南中国で繁茂した多くの種はもうどこにも存在せず、決して戻っては来ません。
「Flora of Hong Kong」には 2,200 種類の在来種が掲載されていますが、その大半は貴少な種です。今日、多くは個体として点在して生き残っているにすぎず、四方に都市化がせまる風水林 [村の近くにある林] の小さな木立にかろうじて生き延びているのがほとんどです。実際には、自然が元通りになることを可能にする種子の供給源は存在しません。何万年、または何十万年もたてば次第に生物多様性が増えるかもしれません。そうだとしても在来種の多くは依然として失われたままでしょう。失われたと何よりもはっきりとわかるのは、香港で 20 世紀初頭まで生き残っていたトラのような大型肉食動物や、その獲物となる動物だと思います。自然は本当に奇跡をおこせます。しかし、生物多様性が破壊され、生命の網が壊されていれば、どれほどの時間があっても足りません。このような場合、世界中の他のほとんどの場所と同じ様に、応用園芸学や「地球菜園 (Gardening the Earth) 」の手法により、慎重に人間の手を入れることでしか森林の豊かな生物多様性を取り戻すことはできないのです。
生物多様性とは、500 万から 1,300 万と見込まれる、地球上に存在する種の膨大な数だけを意味するのではありません。種の間の相互の交流を含むのです。「生命の網」といわれるものです。人間の理解を超える集合体であるこの網は、地球上の生命の起源から 30 億年以上にもわたり編まれてきました。種は、他と切り離された形で網につながっているのではありません。種間の相互作用や相互依存を通してつながっているのです。地球上のシンプルな生態系にはじまり、生命は多様化し進化してきました。「私たちは太陽、土、水によって生きることができる。これは慈しみ深い宇宙の贈り物にほかなりません」。サティシュ・クマールは「エレガント・シンプリシティ (Elegant Simplicity) 」の中で記しています。植物の生き方はまた、次のようでもあります。しっかりと土に根をおろし、水、太陽、空気中の二酸化炭素をつかって光合成によりエネルギーを生み出す。このエネルギーは、互いに作用しあう生命体がもつ膨大な多様性の根幹になっています。互いに作用しあう生命体は地球における生物学上の遺産。そして私たちもその一部です。でも、先史時代はじまって以来、人間は耕作のために草を払い大地をならし、家畜の群れをまもるために外敵を殺し、地球の均衡を変えてきました。そして今では地球の炭素と水の循環作用まで変えてしまったのです。気候非常事態宣言と生物多様性の危機の時代に生きて、一部の森が地球の肺として、また生物多様性の宝庫としての役割があることを、人間はようやく理解するにいたりました。
今直面している数々の深刻な脅威に対する、自然の力をもちいた解決策として、木を植えることの重要性が認識されています。それはその通りなのですが、人生におけるすべての事柄と同じように、どのようにそれをするかが問題です。あまりにも多くの場合、誤った種類の木が植えられます。早く育つ外来種はすばやく根をはりますが、地域の生態系を再生するのに必要な昆虫や鳥、哺乳類、菌が生きる支えにはなりません。在来種が植樹にえらばれたとしても、植える前の土の準備や、植えた後の世話にはほとんど注意が払われず、多くの若木が活着できずに終わってしまいます。香港の嘉道理農場暨植物園 (Kadoorie Farm and Botanic Garden) で現在行われているのは、生命の網を修復する、園芸学の最善を尽くした実践です。郷土樹木(ほんのわずかな個体のみ野性にある、指折りの貴少種のいくつか)の種子を苦労して集め、苗木畑に持ち込みます。苗木畑では、樹木保護材で保護して山腹に植える準備ができるまで、若木が手をかけて育てられます。
バイオ炭 [生物由来の生物活性化および環境改善に効果のある炭化物] と覆いが土質改善に使われます。樹木構造は剪定や低い枝を切ることで改善し、幹が 1 本の木でつくりだせる最大の高さの林冠ができるようにして、ハーブや灌木、大中小の木々からなる多層の森林が再生できるようにします。はじめは競合を避けるために強い草は手で除草しなければなりませんが、木が育つにつれて草は陰になって育たなくなるので、そうなれば潅木やつる植物、着生植物などの、その他の珍しい森林植物を植えることができます。倒木のある場所には代わりに、まとまった若木が低層に植えられます。こうした様々な生命体すべてを混ぜ合わせて一緒に植えることで調和と均衡がふたたび生まれ、生物多様性が増します。その結果、若い森が必要とする、台風や干ばつ、霜、気候変動に耐える回復力を最大限にまで引き出すことができるのです。
この脅威の回復力は、人間が森を景観規模で壊すまでは、何もしなくても自然が与えてくれるものでした。幸運にも、若い森が成熟するように手助けすることで、この回復力はほぼ再生される望みがあります。何よりも、この森林再生の最良の実践例は、世界中で同じことが再現できるという、行動を促すインスピレーションになっているのです。
ステファン・ブラックモア (Stephen Blackmore) は植物園自然保護国際機構 (www.bgci.org) の理事長、王室植物学者。
ガンター・A・フィッシャー (Gunter A. Fischer) は嘉道理農場暨植物園 (www.kfbg.org) の植物相保護局長。