やんごとなき記憶
運動会のシーズンである。
今年は短縮で行う学校、家族の観覧に人数制限をかけている学校、少数だが運動会自体を取り止めにしている学校、様々にあるようだ。が、例え時間が短縮されてもやはり運動会を楽しみにしてる生徒は多く、一人の生徒は「俺、副団長だからさ。」とちょっと照れた笑顔で教えてくれた。フクダンはすること多くって結構疲れるんだよな、と。副団長という響きが懐かしかった。
小学校最後の年、運動会は特別だった。私たち6年1組は、小学校最後の運動会はプライドにかけて、優勝せねばならないと考えていた。小学校は縦割りの対抗戦で、赤、黄、青の3色が戦う。全ての競技と応援パフォーマンスの総合得点で優勝が決められた。応援パフォーマンスとは、色ごとのオリジナルの応援歌やそれに伴う振付を披露する数分の発表のこと。各色ごとに全学年で行う。時間内は応援団長の笛の指示で1年生から5年生までは後ろで声を張り上げる。6年生は前で様々な演技を見せる。ポンポンチーム、旗チーム、バトンチーム、リボンチーム等、それぞれ数名のグループに分かれて、手作りの小道具や大道具を使って振付をした。本番はもちろんだけど、前日の放課後の練習が印象に強い。団長の男子の笛の音に寸分たがわず息の合った演技を見せること、限界かと思うほど声を張り上げること、…教室は、とても熱かった。主観的に見ても客観的に見ても、とにかく無我夢中、みんなが頑張っていて、自分も頑張っていて、それが嬉しくて、不思議なんだけど自然に胸に熱いものがこみ上げた。「何が何でも、絶対優勝!」という目的に向かってみんなが心を一つにしている今のこの瞬間を切り取って、永遠に感じることができればいいのにと思った。
運動会の閉会式で私たちの赤組が優勝だと発表された時、クラスの女の子たちの多くは泣いていた。報われたので。頑張ったので。一生懸命だったので。だから、嬉しくて。
私も嬉しかったけれど、みんなで頑張って来た時間が終わりだと思うと寂しくなったことを覚えている。棒の先に結わえてクルクルと回しては演技をした長くて赤いリボンは捨てられず、卒業してからもずっと机の中にしまったままだった。
大人になると、一生懸命になることをカッコ悪い、とかいう人がいる。それは嘘だ。汗や涙を流して誰かのために、何かを目指して夢中になる姿がカッコ悪いわけがない。否、それは素晴らしいことだ。素直な気持ちで懸命に努力出来る人。周りに馬鹿かと揶揄されるほど真っすぐに何かに取り組める人。こういう人は、芯からカッコいい。
そして、それだけ物事に真剣に向き合う事が出来たのなら、その瞬間を美しく得難い記憶として、生涯忘れることはないのだ。
Be ambitious, boys and girls!