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生きながら何度だって生まれ変われる   地球に「私」という柱を立てる    Birth with the Earth     宮本ようこ

繊細で敏感な自分に行き詰まり感を感じたら?

2020.09.25 05:48

本当の自分を知り

自分だけの幸せ成功ルートをひらく

真の豊かさを手に入れるサポーター

 宮本ようこです。

自分の繊細で敏感な性質に思い悩み
たどり着いたHSPというカテゴリ

物心ついたころからそうだった

「自分の中の当たり前なこと」


自分の性質について、思い悩んだり

困っていても自分にとっては当たり前すぎて

長い間見て見ぬふりを繰り返していたり


日常のあれこれと平行して、忙しさに埋もれて、そういうことにしていた、諦めていた

自分にとっては当たり前すぎる感覚。


でも心のどこかで思っていた

『どうにかしたいけど、どうにもならない!』っていう感覚。


自分の性質に対して行き詰まり感やどん詰まり感のようなもの、感じてませんか?


これまで私もいっぱいありましたし、きっとこれからも変化成長の過程で起きてくると思います。



例えば私の場合ですと、

感覚が繊細でとても敏感。

幼少からずっとそうでした。


人の気(エネルギー)を敏感に察知し、そのデータを無意識に深掘りしてしまうのです。


例えば、表情、雰囲気、しぐさ、言葉、言葉のトーンなどから、その方の今の状態を観て

さらにその原因や起こしている背景にまで

私の脳内で映像が広がってゆく感じです。


中には重たいエネルギーのものもあり

他人の苦しさ、つらさを勝手に背負ってしまったり、

勝手に感じて、勝手にリサーチ広げて、勝手に苦しむというパターンをやってました(^^;


もちろんその感覚は人間関係において便利なこともありますし、

私はそれがあったからこそ、今この活動に繋がっているのですが^^



ただ、以前の私は人と関わることがとても疲れたり(疲れていることにも気付けなかった)


人の見たくない部分が見えてしまったり

さらにそれを無意識に掘り下げ広げてしまう


そんな自分をどうすることもできずつらかったし

そんな自分を隠そうとしているうちに

本当の自分が分からなくなり


周りに流され、自分を出せずにもどかしい思いも多々ありました。


ただ、当時の私は自分の感覚が特別だなんて思いもしなかったんです!

むしろ、敏感に感じとって深掘りしてしまう自分を責めたり否定していました。



ここ数年でよく聞かれるようになった言葉で

HSP(highly sensitive person)

エンパス(並外れた共感力と感受性が高い人)

など、知っている方もいると思います。


以前、あるお友達がSNS投稿でHSPについて目にしました。

『あ!私もこれだ!』って。

『あ~そうか。私は人一倍敏感な人だったんだ』

って、あらためて自分の特性を客観視できたんです。

その瞬間涙が溢れて、すごく楽になった気がしました。

自分が人一倍繊細で敏感だったことを、見て見ぬふりをしてきたことに気づいたんです。


※HSP(繊細さや敏感な気質)と、その逆のHSS(High Sensation Seeking)といわれる(活動的で刺激を追い求める気質)の、2つの気質を持ち合わせる「HSS型HSP」というカテゴリもあるそう



調べるうちにどうやら私は、HSPの中でも繊細な性質と活動的で刺激を求める性質を持ち合わせる「HSS型HSP」なのかもと気付きました。


それからHSPに関する書籍やネットなどから情報を集めました。



自分を彩り自分を表現する言葉の力

しかしそうしていくうちに、私の中で違和感が沸き上がってきたのです。

書籍なんかには、「HSPってこんな人」という事例がいくつも書かれていたり

「こうしたらいいよ」っていう方法が書かれているんですけど


私は「なるほどね」とは思うけど、共感共鳴できない。

どれを読んでもとにかく腑に落ちないんです。



むしろ『本当の自分』がむくむくと起き上がるような感覚になりました。

自分の目覚めた感覚でした。


その訳は私の「属することへの違和感」でした。

自分の特性を客観的にみて、理解し受け入れて、自己肯定するために必要という観点から

色々な書籍等で話題になってるのでしょうけど。

私にとってはそうではなかったんです。



人の性質ってすべて才能だし、自分をHSPと認識することでその才能をさらに活かせる人もいるのでしょう。

人の感覚はそれぞれですし自由ですからね(*^^*)


けど私は

『何かのカテゴリ(名称)にあてはめる』

そのこと自体にものすごい違和感を感じた

わけです。


書かれているすべての事例があてはまるわけでもない、誰かが作った名称が自分の肩書の一部になる感覚がすごく嫌でした(^^;


そこから私は


HSPでもエンパスでも何者でもない。

私は私でしかない!

私の肩書、私の看板は私がいつでも自由に作る!


という私の中で確固たる答えにたどり着いたわけです。

それから自分自身の活かし方の探求が急激に加速しました。




あなたはいかがですか?

誰か他の人が作ったカテゴリ(名称)で自分を理解しようとするとき、

そこはどんな解釈がありますか?

何のためにそのカテゴリを使っていますか?



自分の性質を知るため、理解するため、つらさや苦しさから解放されるためのひとつのツールかもしれませんが、

私のようにそこに何かしら違和感を感じてる

思い当たる方、よかったら考えてみてください。



\カテゴリ付けをやめてみる/

そうしてできた余白に、本当の自分が隠れている気がしてなりません。


その前に、自分自身に対してどんなカテゴリ付けをしてるのかに気づくことが第一!ですけどね。