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念写

2020.09.25 08:00

Facebook・長堀 優さん投稿記事

昭和三十五年、月の裏面を撮影した写真がソ連により発表されました。

その二十八年前のこと、じつは、元東京大学助教授の福来友吉(ふくらい ともきち)博士と超能力者三田光一氏の念写実験により、月の裏面とされる画像が撮影されているのです。

当時は評価のしようもなかったことでしょうが、昭和六十年になり、遠く離れたこの二枚の写真が繋がることになります。

明治大学教授 後藤以記工学博士が、撮影方向のズレを三角法で修正した上でこの二枚を比較したところ、両者が一致することが証明されたのです。

業績が正当に評価されないままに東大を追われた福来博士の名誉が、科学の進展により回復された瞬間でした。

それだけではありません。博士は、高橋貞子さんという女性との念写実験に成功し、この結果を学術論文にまとめ、英語独語に翻訳し発表しています。これは世界で初めての快挙でした。

その後、各国で行われた追試験が成功したことにより、念写は、Nengraphyと表記されることになります。もちろん福来先生への敬意を表してのことです。

超心理学研究を掲げる施設も世界に増えていくのですが、福来博士の名前は我が国では忘れ去られたままです。

変わった活動を続けてきた私にとり、福来博士の勇気と行動力は、大きな励みになってきました。それだけにこの現状はたまらなく残念です。

ですから、福来博士のご出身地である飛騨高山の訪問は、私にとって格別の感慨があります。いよいよ来週に迫ってきました。

福来博士が、どのような実験を積み重ね、いかなる経過で東京大学を追われることになったのか、ここで、簡単にご紹介させてください。

東大の助教授時代、福来博士は、御船千鶴子さん、そして裁判所判事夫人の長尾郁子さんの二人の協力を得て、超能力検証実験に取り組んでいます。

後に東大総長となる山川健次郎博士もその実験に同席していました。

千鶴子さんに対しては、1910年(明治43年)、厳重に封印された鉛管内の文字を読み取る透視実験が行われています。

余談ながら、かつて私も透視能力をまざまざと実感する体験をしています。

とある霊能者に相談に行った折、私の机に雑多にしまわれている神社のお札、アイヌのお面などが全て見通されたのです。

念のはいったものをこのように扱ってはいけない、神社にお焚き上げに行くように、とその方に注意されました。

当時の私は、神社のお札、お守りを軽く見ていたところがあり、すべて透視された上でのこの一言に、腰を抜かすほど仰天しました。

青ざめた私はすぐに洗いざらいを神社に持っていくことになりました。

福来博士の名前を知ったのは、ちょうどその頃でした。

明治という時代に、透視能力や念写を大学の場で研究された信念と行動力に驚嘆し、博士の名前は深く私の頭の中に刻み込まれたのです。

失礼しました。話を戻しましょう。

千鶴子さんの透視は、予備実験の段階では成功したものの、しかし、彼女が透視に立ち合いを認めなかったことが、本番では大きな障害となりました。

精神統一のためとして、彼女はあくまでも一人で透視を行うことを求めたのです。

この態度に疑惑の念が向けられ、マスコミのバッシングにあった千鶴子さん追い詰められ、最終的に服毒自殺を遂げることになります。

福来博士は、この悲しみに衝撃を受けるものの、翌年さらに長尾郁子さんの念写実験に取り組んでいきます。

念写とは、観念の力で乾板を感光させることです。

しかし、郁子さんの実験に際し、東大理学部から派遣された助手が、実験箱に乾板を「入れ忘れる」という失態をおかすのです。

実験が始まるや、乾板が入ってないことに郁子さんが透視で気づいたため、その場は大騒ぎとなります。

その助手は急いで立ち去り、状況を悟った山川博士は、その場で郁子さんと福来博士に謝罪する事態となります。

しかし、早々に帰京した助手、そして、のちに東大教授となるその上司から全く違った情報が新聞社に持ち込まれ、大々的に実験の失敗が伝えられます。

さらには、感光させた乾板が盗難されるという事件まで起こります。しかし、盗まれた乾板は、やはり郁子さんの透視により、破壊された状態で見つかったのです。

このような事実にもかかわらず、理学部の上司も、新聞社も、一度報じた内容を一切変えることはありませんでした。

山川博士も最終的には、反福来の論陣に加わっていきます。

福来博士、長尾郁子さんへの非難が集まり、ついには、ペテン師の汚名を着せられた郁子さんは、裁判官夫人でありながら、街を歩くと子供から石を投げられる有様となりました。

あまりの悲しみ、悔しさに悶絶した郁子さんの肺は、その念の強さもあったのでしょう、ついにボロボロになり絶命したと言います。

郁子さんの葬儀の席で、福来博士は慟哭し、心労の重なった郁子さんの夫も程なく亡くなりました。何という悲劇でしょう。

超能力研究に欠かせない重要人物をこのような形で失った福来博士に追い討ちをかけるように、学長名で退職勧告がなされました。

仕事半ばで大学を去ることとなった福来博士の心中は察するにあまりありますが、傷心の福来博士に、その後あちこちから支援の手が差し伸べられることになります。

そのような中、高橋貞子さんや三田光一氏と出会い、その後世界に広まる研究を残されることになるのです。

映画リングのモデルとされる貞子さんは、郁子さんと同様に、重ねた乾板の中の一枚だけに文字を浮き上がらせることに成功しています。

従来の物理的な感光とは明らかに違う結果が得られ、さらに同様の事実が他国における追試験でも確認されるに至り、念写が世界的に認められたのです。

高山の福来記念館は現在閉館中だそうで、残念なことに今回訪館はかないませんが、高山では、福来博士の偉大な業績にあらためて感謝を捧げて参りたいと思います。

最後になりますが、福来先生の母国である我が国においても、先生を再評価する動きが出てくることを願ってやみません。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

http://fukurai.net/fuku/ 【福来友吉博士 紹介】より

福来友吉(ふくらい ともきち)博士

福来友吉博士は明治2年(1869)飛騨に生まれ、東京帝国大学哲学科を卒業後、同大学院にて変態心理学(~催眠心理学)を研究し文学博士となり、助教授に進まれました。

明治43年(1910)、透視の研究中に、精神力の感光現象(念写)を発見されました。

心の中に思い浮かべている観念をX線も通さぬ鉄の箱に密閉した写真用乾板に焼き付ける実験に成功したものの、唯物万能時代の学者の認めるところとならず、東京帝大助教授を追放されました。

その後、高野山に入り高野山大学教授を勤めつつ「心霊と神秘世界」その他多数の著書を残し、昭和27年(1952)に仙台で逝去されました。

念写の研究はまさに神通力の解明です。

福来博士は希有の神通力者三田光一氏とすばらしい実験に成功されましたが、その内容を自然科学や哲学で論証する仕事は未完のまま「仕事を残して逝くは残念」と涙を流され、「福来友吉二世生まる」と三回叫んでこの世を去られました。

念写こそまさに神通力と科学の接点として、神通力と科学が初めて合体して歴史に登場してきたものです。

この念写の研究こそ、心とは何か、魂とは何か、死後に霊が在るか否か、等々の研究の足掛かりとなるものです。

更に哲学、自然科学に大革命を引き起こすものになっていくのです。

http://fukurai.net/nen/  【念写とは】 より

念写こそ、心とは何か、生命とは何かを解き明かしていく端緒となる、ノーベル賞的大発見です!

「心はエネル ギー(力)を持っている」 という大発見です!

念写の発見

福来博士は変態心理学(~催眠心理学)を研究する中 で能力者と透視の実験・研究をしました。

未現像の写真原板の文字は透視できるかどうか試験して見ようと考えた福来博士は、文字を全く同一条件で 二枚写真撮影して、一つは未現像のまま厳重に密封し封印を捺して能力者の長尾夫人に送り、もう一つはすぐ現像して比較用として自宅に保存したのです。

その透視は的中しましたが、現像して比較したところ、透視した方には薄い光が感光していたのです。

福来博士は透視の際に精神力が感光したのでないかと思ったのです。

この推理が的中したのです。

1910(明治43)年12月26日、福来博士が「心」という文字を紙に書き、それを写真乾板に写す 心づもりで念じて下さいと頼み、長尾夫人は暫くその文字を凝視してから瞑目して一心に念ずると、心という文字になりか けて流れたようなものが現われたのでした。

これが世界最初の念写です。

福来博士の素晴らしい洞察力が念写を発見したのです。

念写の受難

それが社会的常識とならなかったのは何故でしょうか・・・

当時、透視や念写は学者等の立ち会いの下で公開実験が行われ、多くの新聞でも報道されて周知となりまし た。

しかし、当時の偏狭な物理学者達は、物理法則で説明できない透視や念写を研究す るどころか、ろくに検証もせずに葬り去ったのです。

透視能力者・御船千鶴子は実験のちょっとしたミスの揚げ足を取られて、物理学者により新 聞、雑誌等で手品だ、詐欺だと宣伝されて、憤慨して服毒自殺してしまいました。

念写能力者・長尾郁子は、実験を失敗させようとした物理学者達の小細工を見破ったものの、ラジウムでインチキをしたと新聞で逆宣伝され て、憤怒のあまり高熱を出して病死してしまいました。

その後、福来博士は念写能力者・高橋貞子を得て実験と研究を進め「透視と念写」を出版 し、透視も念写も事実であると反撃しました。

しかし当時の学界や官界は唯物思想に圧せられており、大正2年、ついに福来博士は東京帝国大学を追放されてしまいました。

そして、福来心理学も教科書 から消えてしまったのです。

今でも、科学で説明できない事は認めないという傾向が強いのです。

その一方で、テレビは心霊現象を興味本位で取り上げ、先祖の祟りだの動物の霊障だのと迷信が広がり、多くの人々が騙されて被害を受けているのです。

福来心理学が継続していれば、今の社会は犯罪も少なく、ずっと良くなっていたでしょう。

今からでも遅くありません。 真摯に学び、研究して欲しいものです。

明治44年1月17日『東京朝日新聞』は念写の詐欺と言う記事を発表

実験を1回もすることのない藤理学士が念写は詐欺と新聞に発表

画像クリックで国立国会図書館デジタルコレクションで新聞を読めます。

世界的な大発見を、そんなことはある筈がないと、実験を一回もすることなく、叩きつけ、発見者福来博士を東大から追放し、透視能力者御船千鶴子を自殺させ、念写能力者長尾郁子を悶死させた東大理学部の中村清二博士、藤原咲平理学士、藤教篤理学士等は、ガリレオが「地球は丸い。」と言ったのに対して、怒って投獄したローマ法王と等しい立場です。

永遠に歴史の残る限り、その恥は消えないのです。

気の毒というもまた哀れです。

私共は東京帝大理学部の過去の学者の冒した恥を繰返すことなきように、常にどこまでも、学問的に、実証的に、良心的に行動し、他人の研究を単なる憶断で排撃、打擲(ちょうちゃく)する事は厳に慎しまねばならぬと思っています。

山本健造著『念写とDr.福来』福来出版 P132 引用