Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

水の神様

2020.09.25 13:06

http://www.shincoo.com/shincoo/content/m230kamisama.html  【水の神様館】より

体にとっての水の役割

 “みずみずしい”という言葉がありますが、私たちの体内の水含有率は、新生児では80%以上、大人では60%前後で年齢とともに減っていきます。老化とは、細胞からの水分の減少といえるかも知れません。

 水は比熱(ある物質1グラムの温度を摂氏1℃高めるのに必要な熱量)と気化熱が大きいため、人間の体温の恒常性を維持するのに大きく役立っています。もし体内に水がなければ、私たちの体温は100℃くらいにまで上昇してしまいます。水が熱を吸収し、また気化して熱を奪ってくれるので体温が一定に保たれているのです。この他にも、水には生命維持活動に必要な物質を溶解して運び、また老廃物を排泄物として運び去る役割などがあります。

 ところで私たちは、日常生活でどのくらいの水を使っているのでしょうか。生活用水としては一人一日当たり250Lぐらいで、一世帯の構成人員が小さくなるほどこの値は増加します。一方、私たちが体内に取り入れる水の量は、一日当たり飲料から0.6~1.5リットル、食物から0.7~0.8リットル、そして代謝水といって栄養分が分解されるときにでる水が0.3リットル、合計1.6~2.6リットル、平均2.3リットルとなります。かたや、体内から出ていく水は呼気や汗として0.8~0.9リットル、糞便として0.1~0.2リットル、尿として0.7~1.5リットル、合計1.6~2.6リットルとバランスが取れているわけです。従って私たちは一カ月に約69リットル、一年には約1トン、一生では80トンもの水を体内に入れていることになります。

 これは人間が生きていくために体内に補給しなければならない新しい水ですが、大人が一日に体内で実際に使用する水の量は全体で180リットルと、先にあげた数字よりずっと多くなっています。つまり、体内では水を繰り返し再生しながら使っているわけで、この働きをつかさどる腎臓なしには、私たちの生活は成り立たないのです。

 太陽系で液体としての水が存在する唯一の星、地球。この水の星、地球に生まれ育ったからこそ、今日の私たちがあるわけです。この幸運にあらためて思いを寄せるとともに、水には感謝しながら生活したいものです。

川にかかわる宗教的な行事のいわれ

 川は、私たちに大きな恵みを与えてくれるとともに、生命や財産をも奪う恐ろしい存在でもあります。川に対する感謝や畏怖は、私たちの生活に直接かかわるため、信仰という形で古くから私たちに伝えられてきました。川の神様、水の神様である水神として、あるいは水神が姿をかえた竜や大蛇として崇めることはその現われなのです。川にかかわる宗教的な行事は、風土の違いなどにより地方によってそのあり方は変わっていますが、ここでは九州の代表的な筑後川の中流域の行事について述べてみます。

 筑後川における代表的な宗教的行事に「川祭り」があります。その始まりは、集落の井戸を祭ったことにあるといわれています。井戸は、集落にとって最もたいせつで、神の宿る場所として考えられていました。この井戸を祭ることに、水難を免れることを祈ることが加わり、水にかかわる災害の難を避けることを願うようになったと考えられています。筑後川の中流域の久留米には、安産の神様で有名な水神を祭る水天宮の本社があり、この水天宮の川祭りでは、かつてはカッパ除けの御札(5文字の護符)を参詣して受けることが慣習となっていました。そのほか、各地で水神を祭るため、いろいろな供え物を笹竹につるして川に立てたり、川に流して祭る川祭りがあります。そして、水神を祭るという本来の意を失って、川祭りと称して集落あるいは子供組で食事を行うようなイベント的な祭りに変化したところもあります。

 また、カッパ祭りと呼ばれる行事は、人が川で溺れないよう、また稲に水が枯れないようにカッパが約束したという古くからの言い伝えによるものであり、カッパの霊をたたえるものもあります。筑後地方には、このようなカッパ伝説は各地にあり、各地にカッパ信仰があります。

 川は、洪水のたびに人々の命を奪っていった場所でもあり、また、古くから川が領土の境界になることが多く、そのため戦場として多くの戦死者がでた場所でもあります。このように水死者や戦死者の霊である無縁仏の供養行事として川施餓鬼が行われます。この時は、川に灯篭を浮かべ、川原で供養するものですが、現在は、川原一帯に露店がならび、花火大会などが催ざれ、多くの人出で賑わうところもあります。

 そのほかに、流れ灌頂や川渡りなどの伝統行事が現在も行われていますが、河川改修が進むに従って、筑後川の周囲の状況も大きく変化し、このような伝統行事は廃絶してしまったところも多いのです。

 治水事業が進み、ある程度は洪水からの恐怖は少なくなったものの、川が私たちに与えてくれる恩恵はもちろん、恐怖は、現在でも変わらないと考えられます。水神様のような存在を自然のシンボル化と考えれば、川に感謝することや、あるいは畏怖の念を抱くことは、今の私たちが忘れてしまった、とてもたいせつなことなのではないでしょうか

水の神

 神道では、水の世界を掌る神は、海神と河神の二つの系統があります。

 河神には、

・アメノミクマリノカミ(天之水分神)

・クニノミクマリノカミ(国之水分神)

・アメノクヒサモチノカミ(天之久比奢母智神)

・クニノクヒサモチノカミ(国之久比奢母智神)

の四柱の神があり、目的によっていろいろの神にたいして祈願をしています。

 水神、水神宮、水除大神宮、水天宮など呼ばれている神社や石碑には、これらの神々が勧請されてるのです。

蛇口の語源

 日本で初めて水道が開設されたのは明治20年の横浜。

 水道が布設された当初は、道路端に設けられた共用栓から水の供給を受けていました。この共用栓はイギリスからの輸入品で、ヨーロッパの水の守護神であるライオンのレリーフがついていました。

 つまり、ライオンの口から水が出るようになっていたのです。その共用栓が徐々に国産化されていく過程で、ヨーロッパのライオンが中国や日本の水の守護神である龍の形に変わってきました。「龍口」がいつしか「蛇口」と呼ばれるようになりました。

水や川の神様といわれる水神様について

 水神、水の神は、豊作を祈願する田の神との関連が強いと考えられています。豊作になるか、あるいは凶作になるかは、ひとえに水が必要な時期に、必要な量を得られるような雨が降るかにかかっており、水の重要性が水の神様の本領発揮と密接に結びついていることには間違いありません。また、同じく水の重要性を感じる場所として、飲料水を汲む集落の井戸や湧水地も同様であり、ここでも水神様を祭ります。

 さらに、数多い洪水は、人の生命・財産を奪っていきますが、このような川の怒りを鎮め、また、水難に会わないような祈りを込めて水神を祭ります。

 このように、しだいに生活様式が複雑になるに従って、水の神様の性格も多様なものになっていったと考えられています。

水神は、また、竜や大蛇あるいは鰻などの魚の姿で祭られることも少なくありません。毎年、川にすむ大蛇に子供を人身御供としてさしだし、災難を逃れたという古くからの言い伝えを、行事として伝えているところもあります。

  一方、現在ではキャラクターとして、よく用いられるカッパは、水神の落ちぶれた姿であるともいわれています。カッパ(河童)は、水にすむ童という意味の名前ですが、水神のもつ母子神的な信仰から派生したものであろうとも考えられています。というのも、水神様は、豊作の神様という植物にとって豊かな収穫をもたらしてくれる神様であり、これは、人間にとっても、多産を約束してくれる神様でもあるということです。水神が母なる神として考えられ、信仰されたのです。

 九州を代表する筑後川の中流域久留米(福岡)には、川沿いに水の神様を祭る水天宮(東京・日本橋蛎殻町の水天宮の本社)がありますが、このお宮は、安産の神様でも有名で、このような母なる神であることが背景にあるのでしょう。なお、雨乞いの行事も水神信仰のひとつといわれます。水神様を怒らせることによって、雨を降らせる行為を行う雨乞いのやり方もあります。

 また、川の水を利用し地域に貢献した人も神として祭られることがあります。

 古事記や日本書紀の古い資料によれば、神話の中で、伊邪那美神が、火之迦具土神を生み、陰所を焼き苦しんでいた際に、尿から化生した神、水波能売命がいますが、この神様の名前が、水が走るという意味で、水の神、灌漑用水の神として知られていることです。

 ところで、平成6年に宮崎県北部の五ケ瀬川で水神様の調査が行われています。市民からの情報提供による調査でしたが、この調査だけでも五ケ瀬川沿いに祭られている水神様は、約100近くにのぼると報告されています。このように、かつては川沿いのいたるところに水神様が祭られ、川と地域の人々が密接にかかわりあって生活していたことがうかがえます。

世田谷 あ・ら・かると 水神信仰と雨乞い

 世田谷区に点在する水辺にひっそりとたたずんでいるhokora(小さな社)、そこにはSuijin(水神)が祀られています。Suijinは水を司る神の総称、またはBenzaiten(弁財天)やRyujin(龍神)などとともに、水の神の個別の名称としても使われています。

 水は今の私たちにとっても大切な資源ですが、かつて水田耕作を行っていた人々にとって、田を潤し生活を支えるという意味で、水は重要な恵みでした。その一方で、大雨が降り洪水となれば、田も家も流され生活ができなくなります。そのため、人々はsuijinを水を恵む神として信仰するとともに、水害から守ってくれる神としても信仰してきました。Benzaitenとは、元来インドの女神のことで、弁舌、音楽、財福、知恵を司る神として仏教とともに日本に伝来しましたが、やがて水辺に祀られるようになり、水の神として信仰されるようになりました。通称、弁天様と呼ばれています。雨と水を司る神であるRyujinは、主に海の神として漁師に信仰された神です。龍とは古代中国における霊獣で、日本の龍神信仰も中国の影響を受けているといえます。

 また、かつての農村ではしばしば日照り続きで農作物が育てられなくなると、雨が降ることを願い、Amagoi(雨乞い)を行いました。Amagoiには大きく分けて5つの方法がありました。山上で火を焚き、ドラ(かね)や太鼓を打ち鳴らして大騒ぎする方法、唄や踊りで神を慰める方法、水神がいるといわれる池や水源地に牛馬の心臓や頭蓋骨などや吊鐘を入れたり水を掻き回して神を怒らせ雨を降らせる方法、神社に籠もり降雨を祈願する方法、神聖な池や水源地から水をもらい、池にまいて降雨を願う方法、です。世田谷区内での雨乞いの風習は、昭和30年代まで続いていたといわれています。