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Mana Osawa official site | 大沢愛

自我について。

2020.09.25 23:12

最近はひたすら個展準備と制作…他の仕事も降ってきてすっかりリズムが激変した。これからもっと変わるかもしれない。全てが、1-5年後の未来が秋の初個展で決まる。何が何でもやり遂げなくてはならないのだ。



とはいえ、このプレッシャーを抱え続け生きていくのは普通にやっていれば不可能だ。周知の通り私の弱点はストレス…ストレスが加わると傷口を再び攻撃されたのと同じ状態になる。ただでさえ胃潰瘍の薬を飲み続けている私にとって、これ以上のストレスは避けたいに決まっている。


しかし、「出る杭は打たれる」これはもう避けられない。20年(特にSchoolでは)目立たないように大人しくしていたのに逆に一番目立つという粗相をやらかした。だから覚悟を決めた。


もうクソリプや中傷DMなんかは、この先一生避けられない。まだ今は数件だが有名になりたいと願うほどその数も刺激も増える。もしかしたら刺されるかもしれない…だがそんなことで悩んでる暇は無いし、例えそうなるとしても私は夢を諦めない。大口を叩いていたい、それが私だから。



こんな言葉がある


“全てが上手くいっている時ほど、調子に乗らないように冷静に…常に感謝を忘れずに。高いところに登るほど足場は不安定であっという間に崩れ転落するのだから。“


誰の言葉かと言うと、芸術家 大沢愛がツイートしたものだ(恒例のひっかけ再び(笑)



私の調子に乗った発言が自我である事は確かだ。それは自己愛に満ちていて、時にサイコパス寄りで腹黒い一面さえある…これは正しく大沢家の血だろう。しかし、自我はもう一つ存在する。もう一つの私は謙虚であり信心深い、感受性豊かで生まれたての赤子のような純粋な心を持っている…それ故にとても傷つきやすい。


だから私は前者の強気な自我で、赤子のような純粋な心を守っているんだと近年気づいた。


人間誰もが二面性を持っているだろう。私はしばらく相反する二面性に悩んだ。純粋な私には腹黒い自分の一面に耐えられず、一方でサイコな私には傷つきやすい純粋な心などは弱点でしかなく、取り出してどこかに埋めたいとさえ思った(そうすればストレスを受け胃腸が荒れることもないのだろうから)


だが、不可能だった。それに両方ともなくてはならないと気付いたのだ。自己愛とサイコがあってこその根拠のない自信と向上心で私は目標に達することが出来る、それだけでは調子に乗りすぎて人から嫌われるだろう。だから謙虚な私が感謝を忘れない限り、ある程度変わっているにしても社会的にも生きていく事が出来る。



弱点だと思っていた心は重要なキーであり、全ては絶妙なバランスが大切だという事。


結局のところ、作品と同じである。

どんなに派手で画面いっぱいで色数が多くても絶妙なバランスで成り立っている。







今語ったことを私は新作で表現したい。

作りたい作品がありすぎて困る Mana Osawa