この驟雨に打たれて-2-
9月。
ほとんどの3年生が部活を引退して来る受験に備え始めていたが、バレー部の男子はまだ部活を続けている人が多いようだった。
夏休み開け、教室でいつものように結菜と話をしていると、廊下から突然声が飛び込んでくる。
「おー!見つけたー!今野さーん!」
この学校へ入学してから誰かに大声で呼ばれたことなどない私は、驚いて声のした方を見る。
そこにいたのは。
牧田先輩。
「せ!先輩!」
私の名前を呼ぶ先輩に、クラスの女子たちは悲鳴を上げている。
驚きのあまり固まっている私に結菜が声をかける。
「ちょ、ちょっと!莉花!何!?どういうこと?」
「え?あ・・・。」
我に返った私は結菜の質問にも答えず急いで廊下にいる先輩の元へ行く。
「・・・牧田先輩。ど、どうしたんですか?」
「今野さん、やっと見つけたよー。はい、タオル。ありがと。」
「・・・あ。」
そう言えば、先輩と話ができた興奮ですっかり忘れていたけど、あの後お気に入りのくまちゃんのタオルが行方不明で、先輩に渡したままにしてしまっていたことを思いだした。
先輩に差し出されたタオルを受け取る。
「あ、・・・わざわざすいません。」
「ごめんねー、ずっと借りててさー。一応いつも持ち歩いてたんだけど夏休みだから会わないし返せなくて。」
――・・・!あの!牧田先輩が!私のタオルを毎日持ち歩いて・・・。
頭が瞬時に沸騰した。
「あ、あわ。あの、すいません。お手を煩わせて。」
慌てる私を見て、また先輩は吹き出す。
「ぷふ!・・・あ、あわ?はは!」
「あああ、あの・・・。」
「あ、ごめんまた笑っちゃった。今野さんいつもおもしろいよねー。」
「あ、・・・そ、そうでしょうか。初めて言われました。」
「えー?マジー?」
「あの、先輩。・・・教室ここってよくわかりましたね。」
「いやー、探したよー。でも2年生ってことはわかってたからさ。部活の後輩に聞いて廻ってさー。」
――・・・!あの!牧田先輩に!私を捜し回らせてしまったー!
「あああの、すいません!」
土下座でもしそうな勢いで謝る私を見て、また先輩は笑っている。
「はは。全然。こちらこそありがとね。」
先輩が言い終わるとチャイムが鳴る。
「・・・。えーっと。・・・じゃ。」
「あ、はい。わざわざありがとうございました。」
私は先輩に深々とお辞儀をしながら言った。
「おう!あ、今度応援に来てねー。」
手をヒラヒラと振りながら戻っていく先輩をしばらく見送ってから教室に戻ると、途端にその場にいた女子たちがワッと寄ってきた。
「えー!今野さん、牧田先輩と知り合いなの!?」
「なんかもらってなかった?」
「何もらったの!?」
「まさか付き合ってるとか!?」
思い切り質問攻めにあったが、その面々を結菜がグッと制してくれる。
「ほら、もうチャイム鳴ったよ。」
「えー何―!?」
女子たちはブツブツ言いながら戻っていく。
「ちょっと、莉花。あとで聞かせてもらうからねー。」
結菜が私をいたずらっぽく睨み付けるようにして言った。
「あ、あの・・・。わ、わかった。あとで。」
* * *
授業が終わると同時に私の元へ来た結菜に、事の顛末を説明する。
「はー。なるほどねー!ちょーラッキーじゃん!運命じゃん!」
「う、運命って・・・。」
「えー?だってたまたま通り雨で2人で雨宿りってなんか映画みたーい!」
お弁当の唐揚げを大きな口に放り入れながら結菜は言う。
「う、うん・・・。でも、確かに嬉しくて心臓が爆発するかと思った。やばかった。」
「ははっ。よかったね、莉花。・・・で、今日もまた部活見に行くの?」
「うん。行く。」
「ははっ。即答。」
私より大きなお弁当箱の中身を先に空にした結菜は笑って言った。私はまだ半分残っているお弁当の中身をせっせと平らげながら聞く。
「今日は結菜も一緒に行ける?」
「うん。」
「やった!」
* * *
放課後。
久しぶりの応援席で以前と同じスタンドの一番端っこに隠れるように座る。
相変わらず、いや夏休み前よりスタンドは女子たちでいっぱいだ。
バレー部はもうすぐ大きな大会の試合が待ち構えている。
いつものように女子たちから黄色い声援が飛ぶ。
「牧田くーん、がんばってー!」
いつものように練習前の牧田先輩が、1階から女子たちの声援に手を振りながら応えている姿を惚れ惚れ見ていると先輩と目が合った。気がした。
「あ!今野さん!」
先輩は笑顔でこちらに手を振ってくる。目があったのは気のせいではなかったらしい。
私の心臓はいつものように瞬時に、壊れるんじゃないかと思うほど跳ね上がる。
目立ちたくない私は、小さく会釈を返す。
体育館の真ん中にいた先輩はそんな私にお構いなしにスタンドの端にいる私の方へ向かって歩いてくる。
「マジで来てくれたんだー!ありがとう!」
先輩は周囲の女子がキャーキャーと騒いでいることに気付いているのかいないのか、気さくに手を振りながら話しかけてくる。
結菜の後ろに隠れるようにしている私を結菜がグイグイと手を引いてスタンドの柵の方まで連れて行く。
女子たちが騒然としている中、ほとんどパニック状態の私は声を絞り出した。
「あ、あの・・・。がんばってください!」
聞こえたかどうかわからないような声で言ってしまった私に、先輩はあの眩しい笑顔で答えてくれる。
「ありがとう!がんばるよー!・・・そうだ!今度カップケーキ作って来てよ!」
――・・・え?カップケーキ?
私が返事をする前に、キャーッという女子たちの悲鳴と共に、主将の山下先輩が牧田先輩をコート中央へ引き戻していった。
「す・・・すごいじゃん!莉花!牧田先輩、アンタのこと見つけてくれたじゃん!こんな女子だらけのキャーキャーのカオスみたいなとこで!」
結菜が興奮気味に言う。
「う、・・・うん。」
「カップケーキって何!?なんでアンタがカップケーキ作るの!?すごいじゃん!作ってって言われてんじゃん!」
「う、うん。・・・結菜。私、嬉しくて舞い上がってる。今にも空飛びそう・・・。」
「よ、よかったじゃーん!莉花―。」
そう言って結菜が私に抱きついてくる。
私も嬉しくて、ギュッと結菜を抱き締め返した。
* * *
日曜日。
「結菜―。先輩にカップケーキ作るのはいいけど、どうやって渡したらいいのー?」
私は結菜の家に遊びに来ていた。
「えー?普通に部活見に行った時にささっと渡せばいいじゃん。約束のブツですってな感じで。」
「・・・何、ブツって。なんか物騒な言い方しないでよ。部活見に行った時なんて人だらけで絶対渡せないよー!」
私は結菜の部屋のテーブルに突っ伏する。
「なあんで?いーじゃーん。みんな見てたんだからさー、牧田先輩の方からアンタに作ってって言うの。」
「そうだけどー。私なんかから・・・。」
そう言って私はハッとして結菜の方を見る。
結菜はまた少し怒った顔をしている。
「ご、ごめん。私また・・・。」
「・・・まあ、いいよ。気付いたんだから。でも、ホントに止めなね。私なんかが作ったものなんて言われたら先輩だっていやなんじゃない?」
「・・・うん。」
落ち込む私に結菜は頭をポンポンと叩きながら言う。
「ほらー。しょげないで。渡すのついてってあげるから。」
私は救世主を見る目で結菜を見る。
「ほ、ほんと?嬉しい!さすが結菜!ありがとー。」
涙目になっている私を見て結菜は言った。
「まあ、莉花にしては今すごいがんばってるもんね。料理部の部長もやって、好きな人にも毎日会いに行って。」
結菜に褒められると嬉しい。
「へへ。・・・ありがとう。結菜。」
「あ、今好きな人って認めた!」
「あ!・・・い、いや。ち、違う・・・。」
言いかけて黙った私を結菜が不思議そうな目で見る。
「・・・うん。違くないや。」
私は結菜を見ながら言った。
「私、先輩のこと好き。・・・だ、だから、がんばってみる!」
決心した私が結菜を見ると、結菜は驚いた顔で私を見ている。
「・・・おおー!えらい!よく言った!」
笑顔で褒めてくれる結菜に、ちょっと気を大きくし過ぎた気がする私は小さな声で訂正する。
「・・・できる限り。」
「ちょっと!」
結菜が慌てて言うので、2人で声を立てて笑った。
* * *
「とっ、とうとうこの日が来た!」
私が意を決して言うと、結菜が軽く突っ込む。
「まるで告白するみたいじゃーん。ただ作って欲しいって言われたカップケーキ渡すだけでしょ?それとも告白するの?」
「こ!告白なんて!まだそんな!心の準備が!し、死んじゃう!」
「ほおーん。・・・まだってことは、いつかはする気があるってことだあ?」
結菜はちょっと意地悪そうな顔をして言う。
「あ、う、いいいや、それは、まだ・・・。」
ごにょごにょ言う私を結菜は引っ張っていく。
「まあ今はいいよ。その作ったカップケーキ今日こそは渡しなよね。散々練習見に行ってんのに結局渡せないで、とうとう試合の日になっちゃったじゃん。ハードル上がってるでしょ。」
「う・・・。」
「ったく!先輩だって待ってたらどうすんの?これで何回目?私に何個カップケーキ食べさせんの?太らす気?・・・まあ、美味しいからいいけどさー。」
私は、あの後すぐにカップケーキを作ったけれど、バレー部の練習後渡す勇気が出せないままグズグズしているうちに先輩は帰ってしまうということを繰り返し、何度も結菜に食べてもらうことになってしまっている。
先輩は、私が行くときはいつも見つけてくれて声をかけてくれるようになったというのに、私の方はいつまで経っても勇気が出せない。
そして、体育館での部活前のわずかな時間に先輩が私に声をかけてくるようになったせいか、以前はヒッソリコッソリ人がいない端で見ていたけど、今は練習前のスタンドの隅に人がいっぱいという現象が起きていた。
そして今日はカップケーキを作って6回目。
今日こそは、と毎回思うのだけど毎回最後の勇気が出ない。
とうとう、全国大会への出場がかかった試合の日になってしまった。
いつもの練習終わりの方が、まだ人も少ないし先輩に近づくチャンスもある。
けど今日はどうなるかわからない。もしかしたらいつもよりもっと迷惑になってしまうかも。
そう思うと気が引ける。
「やっぱり渡すの諦めようかなあ。」
私が独り言のように呟いたのを聞き逃さなかった結菜が言った。
「莉花。何言ってんの?先輩、今日は試合でがんばるんじゃん。そうやってがんばってる先輩のこと好きになって、自分もいろいろがんばり始めたんでしょ?それなのに、やっぱり諦めるなんて、そうやって簡単にそういうこと口にするのホント、莉花の良くないとこだと思う。」
いつも結菜には叱咤されてるけど、今日はいつもよりもその口調も言葉も重い。
結菜がいつもより本気で怒っているのがわかる。
「・・・あ、ごめん。」
私は俯いて結菜に謝る。結菜も俯きながら言う。
「・・・ごめん。私も強く言いすぎた。結局、渡すか渡さないかは莉花次第だけど、牧田先輩、他の子にはカップケーキ欲しいとか言ったりもしないし、そもそも声援には手を振って応えてるけど自分から話しかけたりしないじゃん。・・・がんばんなよ。」
「・・・うん。わかった。」
私はさっきよりも小さい声で答えた。
――わかってる。情けないって。告白どころか、作ってって言ってもらえたカップケーキを渡すだけもできないって。・・・でも、怖い。結菜や先輩みたいにみんなの前で何かしたりハッキリと意思表示したりすることがとても怖い。
「・・・結菜、いつもありがとう。」
「っふ!何それ。」
結菜はちょっと照れくさそうに笑顔を浮かべた。
* * *
試合は現在第3セット目。
1. 第2セットと1-1で迎えた最終セット。
相手チームがたった今得点を決めて、19-20で相手チーム優位で試合が進行中だ。
第3セット目序盤、立ち上がりは良く常にリードしていた我が校の男子バレー部だけど、1本のレシーブミスから相手チームのサーブがことごとく決まり、とうとう逆点されてしまい先に20点の大台に乗られてしまった。
試合の流れも向こうに譲り渡したままの厳しい状況。
コートにいる部員たちの表情は険しい。
――もう試合も終盤で、みんな気力も体力も限界ギリギリだよね、きっと。負けたらもう、先輩の部活姿、見れない。
私はいつものように目立たない端の方の席で、祈るように手を握りしめる。
と、味方の応援団も活気がなくなっていた中、良く通る聞き慣れた声がコートに響いた。
「ドンマイドンマーイ!いつもどーり!1本切ってくぞー!」
聞き慣れた声、聞き慣れた言葉。
これまで何度も見てきた。
試合形式の練習中、練習試合、公式戦。
牧田先輩の口から何度も聞いた言葉。
その言葉でコート上だけでなくベンチやベンチに入れていないチーム全員の士気が上がった。
その言葉をきっかけにチームメイトたちからも次々と活気づける声が上がる。
応援団も活気を取り戻す。
宣言通りに相手チームのサーブをリベロの若林先輩が切り、セッターの相羽くんから上がったトスから逆転のスパイクを牧田先輩が決める。
ワッ
歓声が上がる。
先輩と出会った日の激しい驟雨のように耳に響いた。
この驟雨のような歓声の中、先輩はコートの真ん中に立ってガッツポーズをしている。
私は手を祈るように握りしめたまま、ただ先輩を見つめていた。
* * *
その後、流れを取り返した我が校のバレー部は逆転。
21-20
23-22
24-23
秋風高校はリードを保ったままラスト1点取れば、勝利というところまで来た。
勝てば次へ。
負ければそこで終わり。
相手がどんなに強いチームでも、負けたらそこで終わりになってしまう試合。
3年生の先輩にとっては1試合1試合が高校最後の試合になるかもしれない。
そんなギリギリの中で戦っている先輩はいつだって信じられないぐらい格好いい。
あんなに一生懸命走って、跳んで、打って、受けて、転がって、また立ち上がって。
1年前から男子バレー部を見てきて、負けて悔し泣きをする姿、勝って雄叫びを上げながらガッツポーズをする姿、たくさんの姿から勇気づけられてきた。
再び相手チームのサーブ。山下先輩のレシーブからセッターがあげたトス。
待ち構えていた先輩に上がったトスは先輩の力強い掌から放たれ、相手チームのコートへ轟音と共に叩き付けられた。
試合終了のホイッスルが鳴り、雄叫びを上げる先輩たち。
天を仰ぐ相手チームの選手たち。
その一瞬一瞬全てが、私に、きっとこの会場に来た全ての人に、1歩踏み出す勇気をくれる。
今勝っても次負けるかもしれない。
次勝ってもその次負けるかもしれない。
一生懸命練習したから絶対勝てるわけじゃない。
誰かが必ず勝つから、誰かが必ず負ける。
誰かが必ず負けて悔しい、苦しい気持ちを味わうから、誰かが必ず勝って嬉しい、誇らしい気持ちを味わえる。
そういう世界で戦っている姿が、勝っても負けても私の目には眩しく輝いて見える。
* * *
つづく