R.I.P. Jules
僕がF1を意識して観始めたのは2005年のモナコで、その日はライコネンが他を寄せ付けない速さで勝利していた。ちょっとずつF1に嵌っていく過程にはいろいろなドラマがあって、2006年のシューマッハ(アロンソではなくて)の鈴鹿、2007年のライコネンと2008年のハミルトンで2年続いたブラジルの逆転劇、2010年のセバスチャン・ベッテルと小林可夢偉がヒーローだったアブダビ、今でも思い出す素晴らしいシーズンや週末があった。
それが引き起こらないために関係者が惜しみない努力をしているとしても、F1の魅力の一つにクラッシュがある。クラッシュが引き起こすレース展開まで含めるとF1には欠かせないファクタと言っても良い。チームや解説者はセーフティーカーの発生頻度まで考慮してストラテジーを考え、オーディエンスも事故に熱狂する。万人がそうかはわからないけど、モントリオールはカレンダーの中でも人気のある週末のように見える。
クラッシュが魅力と言えるのは、ドライバーや関係者が絶対に安全なのが前提で、アイルトン・セナの事故があった1994年以降20年間、F1のクラッシュが原因でなくなったドライバーはいなかった。
昨年の日本グランプリで大怪我を負ったジュール・ビアンキが、昨日亡くなった。僕はそれをテレビで生中継で観ていて、その瞬間は何が起こったのかを理解できなかった。時間が経ち大きな事故があったこと、天候など様々な要因によって引き起こったことなどが、明らかにされていった。
僕がF1を意識し始めてから、まだ10年ぐらい。アイルトン・セナの事故は、僕にとってはイアン・カーティスが亡くなっていたような昔話だったので、昨年の昨日のリアルな死に対してF1ファンとしてどう接していいのか、まだよくわかっていない。
この事故でバーニー・エクレストンやジャン・トッドが萎縮してF1がおかしな方向に舵を切らなければ良い。僕は今まで通り2週間の一度のF1を楽しみにしていたい。
ジュール・ビアンキの家族にはお悔やみを。彼は、バックマーカーが定位置の弱小チームに奇跡とも言えるポイントと希望をもたらした。フェラーリのレーシングスーツを着て跳ね馬のエースと呼ばれる可能性があった稀有なドライバーだった。