三つの石は一つの石?
時期はバラバラに購入している三つの水晶。
左パキスタン、真ん中はニューヨークハーキマー、右はインドマニカラン。
なんとなく似ているので並べてみる。
人としてどうしても外せない視点、つまり単純に過去の経験からみると、右から左への変化、トランスフォーメーションかなと自動的に決めてしまうところがあるんだけど(だんだんクリアになる的な。クリアな方が次元が高い的な)、でもこれは実は一つの石なんじゃないのかな?と、ふと思う。
一つの石の三つの側面。
そしてすぐに「側面がたった三つしかないわけないよね」と思うと、似た石がまた出てくる。
こんな風に。
並べていると、自分が持ってる石は丸玉だろうが川流れだろうが、もしかして全部一つの石で、その側面の数だけ持っているんじゃないの?
とか思う。
そして石というのは自分自身のたくさんの側面のひとつひとつなのかもしれないな、とも。
わたしは石をものすごくたくさん持ってる。
「自分の側面はいくつくらいあると思う?」っていきなり聞かれたら、ふつう思いつくのは数えるくらいしかないのかもしれない。
「真面目なところ、怠惰なところ、優しいところ、冷たいところ」とかね。どんなに自分を細分化してみても、すぐに言葉に落とせるのはせいぜい10とかそのくらいかなぁ。
でも本当はわたしが持ってる石の数や種類のすべてにわたしの側面は当てはまったりするのかも。
そう考えていて、わたしは今のところ石を買うことは止める気はないなぁと、思った。
わたしが石を買うのを止めるときはもしかして、自分の側面や可能性を見つけることにピリオドを打つときなんじゃないかと思えてきて。
どんな小さな石でも、それは確かにわたしの一側面であり、ひとつの可能性なんだとしたら、それを見つけるのを止める日がくるなんて思えない。
そんなふうに石と接している以上、紛れもなくそうなんだろうね。
そして、わたしから石を渡される方々もやはり、そんなことをほんの少し経験したりするのかな。
石が渡ってしまえばそれはその人のものだから、そこからまた新たな可能性が開いていくのだろうけれど。
久しぶりによく寝たから、脳みそがリラックスしてる気がする。