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じゅんじゅんホームページ

チキンカレーパスタと昔話

2020.09.28 01:47

昨日おつまみに作ったチキンカレーをスパゲティに乗せる。

なんだかカフェっぽいモーニング。

サラダに赤っぽさが欲しいなあと即席でコブサラダ風ドレッシングを作ったら、市販くらい美味しくて朝からテンション上がった。

★コブサラダ風ドレッシングレシピ★

ケチャップ大さじ1とマヨネーズ大さじ1弱にオリーブオイルを少し入れて混ぜる


黒胡椒と粉チーズをかけるとコク&スパイシーでさらにコブサラダドレッシングに近い味に。

これはリピート必須。

ドレッシング切れちゃった、買い忘れた際に是非お試しあれ。


ちなみに手羽元は軟骨も全部食べちゃう派。

サイゼリヤの辛味チキンを食べ始めると夢中になり過ぎて静かになります。

酔っ払うと延々お喋る癖があるので、困ったときには骨付き肉を与えてみてください。

ケンタッキーなどでも可。

夢中になりまくります。


骨をかじっていると、昔新宿JAMの主的存在だったよもさん(かなり身体の大きな男性で、めちゃくちゃ歌声がでかくて、ヤカンでジントニック呑む猛者)に、

「私手羽先の骨食べるの好き!」

って言ったら、

「おれも骨食べるよ!」

とサイゼでスペアリブの骨にかじりつき始めておったまげたの思い出す。

スペアリブには敵いません。

前歯折れちゃうよ。

※じゅんじゅんの前歯は付け歯なのでつよく噛み過ぎると折れる仕様。

スペアリブおったまげ事件後日のツイート。

ふと思い出してよもさんのアカウント辿ってみたら、Twitterでのやりとりが残っていた。

すごいぞTwitter。よくやったTwitter。

2014年6月のじゅんじゅん画。(怖いわ。)

新宿JAMに月8本とか出演していた頃。

ひどいときは14本とか出させて戴いていた。

ほとんどがサブステージ。

メインステージの幕間の10分を2〜3枠もらって、フロアで唄う。

参加費に飲み放題が付いてくるというシステムを聞き、

「呑み行くより安いし音楽聴けるし最高じゃん!」

と、飛びついた結果、前述通りの出演過多となる。


当時私は何故かベリーダンスの衣装で腹を出して裸足で演っていた。

ベリーダンスを習っていたのもあるけど、元々何か演る時に服を着ることがあまり好きじゃなくて。

わずらわしいというか、表現の妨げになるのでその格好をしてた。

邪魔だからといって全裸だとちょっと違ってきちゃうし。唄どころじゃなくなっちゃうからね。

サブステの女王とか言われていた。照れる。

新宿JAMスタジオロビーでの一枚。

企画の後だったかな。

みんな若い。

リリリや教祖仮面やライリィライリーの式守ウノくん、ありったけの世界などなど、JAM時代からのバンドマンは、特別な存在。

同じ学校の卒業生みたいな感じ。

27歳生誕祭の一枚。

じゅんじゅん生誕祭はここからスタートした。

当初から前売当日共に飲み放題付きでした。

髪が短いし若い。

ホットパンツは変わらないのか。


泥酔して記憶が全く無いままライブ演れる体質もJAMで習得した。

出演控えててもガンガン呑めるのはこの頃の修行(酒業?)のおかげ。


よもさんはJAMのステージでライブ中に倒れて、そのまま急逝してしまった。

私はその当時まだまだ子供で、今よりもひどい呑み方ばかりしてた。自虐的な意味でひどかった。

あとは音楽を聴いて、歌を唄ってた。

音楽を聴いているときと、唄っているときは素直に感情を吐き出せた。今もそう。

そういうひっちゃかめっちゃかな状態を、やさしく見守ってくれてたのが、よもさん。

とくになにを言うわけではないけれど、たぶん私の荒くれぶりに気付いていたのでしょう。

まあ誰がどう見ても荒くれていたが。

JAMにはどうしようもない酔っ払いが溢れてた。

みんな、よもさんにたくさんお世話になった。

よもさんがジントニック呑む時使ってた、通称よもやかん。

よもstockという企画をやっていて、亡くなってからも有志で続いてた。

いまはどうなんだろう。

西永福JAMで続いてるのかな。


お葬式のとき、よもさんの本名見たけどピンとこなくて、よく考えてみたらよもさんのこと全然知らないなって気付いて。

いや、知ってるんだけど。

経歴や家族構成なんて話さないし、最近好きな酒の話とか、私が酔ってやらかした話とかしかしてない。

そもそも泥酔してて覚えていない。

それでも、お葬式でお顔みたら涙たくさん出た。

不思議なんだけど、でも当たり前なのかな。

日常では、名前や職業なんかでその人を知っているつもりでいるけれど、どうやったって全部なんてわかんないし、わかるわけがないし、一部でもお互いを認知していたら、それでもう充分過ぎるくらいなのかなって。

大切さは、かわりない。

泥酔して過ごした数年間の重みは、測れないね。

むしろ、なかなか培えない人間関係の形だよね。

よく言えばの話だけど。

JAMスタジオライブにて、宇宙ちゃんに胸を揉まれながら合唱する私。

今とやってること変わらないな。


ライブハウスの交友関係って、強いようで崩れやすいし、突然失踪する人も、来なくなってしまう人もたくさんいて。

その後どうしているのか、わからないことだって多い。

大丈夫かなとか追いかけた方がいいのかなとか色々考えもしたけど、

全ての人を追いかけて笑顔を向けるのは、ちょっと違うかなって。

疲れちゃうし、向こうの気持ちもわからないし。

ひとりになりたいと思うこと、私にもあるし。

だから私は、移動式のキッチンカーみたいに、「ここで開店していますよー!」とのぼりを上げて、ふと立ち寄ってくれた人達と乾杯していようと思った。

消極的だとか新規開拓しなくちゃとかそういう意見もあるのだろうけど、私はアイドルでもなければ背伸びして自分を売り込みたい人間でもない。

私は、私の安らぐ場所を選んで、みんなが無理せず楽しめる空間を作っていたい。

ただ、何かあったらかなしいから、病気とか入院してしまったときは教えてほしいな。

私にはなにもできないかもしれないけれど。

何も知らないでいるのは寂しい。

エゴかもしれないけど、そう思います。

ふとしたことで故人に限らず、誰かやなにかを思い出すのって、きっと偶然だし、ある意味奇跡だし、もしかしてテレパシーなのかもしれないから、そういうの大切にしていきたい。

記憶は宝物だから、たくさん反射させて、思い出して生きていきたい。

かなしいのもうれしいのも、しんでしまいたい、と思うことだって、生きてるからだもんね。

つらいことは良いことだ、生きてることは素晴らしいことだって言いたいわけじゃない。

死っていうのは無だから、本当になんにもなくなっちゃうのだなって。

よもさん生きてたら何してたかなって。

生きてる私がよもさんの分も考えていいんじゃないかな。



私が新宿JAMで泥酔して椅子ごと床に倒れてそのまま吐いて爆睡事件の翌日。

謝罪と称したひとり鍋ツイキャスで再び泥酔して途中からベッドで寝始め、スマホの電源が切れるまで私の寝姿が延々と配信された時、

「風邪ひくなよー笑」

ってコメントくれたやさしいよもさん。

じゅんじゅんは今日も生きるの楽しいYear***(*☻-☻*)