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郷愁の風景

【三重県】四日市(四日市市)

2020.09.30 04:29

三重県の中核都市である四日市は、その地名の通り近世から「四」の付く日に市場が開設され、江戸時代には天領に指定されたと同時に、東海道の宿場町としても発展した。

近代以降も国鉄(現・JR)と近鉄が名古屋から通るようになり、明治17年の築港(四日市港)により水陸交通の発達に伴って商業・工業が発展する。

しかし、戦後には四大公害の一つ「四日市ぜんそく」の名で知られるようになるという負の歴史もある。

四日市市街地は、終戦直前の昭和20年6月に米軍B29戦略爆撃機89機により焼夷弾11000発、567.3トンを投下され、全市の35%が焼失し、市街地の大半が焦土化している(四日市空襲)。

従って、現在の市街地は戦後復興都市計画に基づき形成されたもので、中心市街地は近鉄四日市駅を中心にJR四日市駅前にかけて広がる。

近鉄四日市駅前にはアーケード街が縦横無尽に広がり、商業中心地として発展を見せている。

一方で、JR四日市駅前は昭和31年に近鉄が現在地に駅を移転した影響で衰退を見せ、現在は昭和時代で止まったかのような街並みを残している。

そのため、昭和レトロを地のまま見せている街並みで、その象徴として闇市派生のマーケット「三和商店街」として近年まで現存していた。

(写真は「三和商店街」※現存せず)


【三重県】三和商店街(四日市市)201901  ※現存せず

JR四日市駅前にモダンなファサードを持つマーケット「三和商店街」が残っていた。 

恐らくは戦後の露天商が集まってできたマーケットが起源だろうが、出来た当時の国鉄四日市駅には近鉄も一緒に乗り入れていたため、駅前の繁華街として賑わいを見せていたそうだ。 

しかし、昭和31年に近鉄が現在地に駅を移転後は繁華街の中心も一緒に移ってしまい、国鉄の駅前は次第に寂れるような形になる。 


 注・この三和商店街は解体され、現存していないそうです。