Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

森から世界を見る

日露戦争 開戦まで その1 (1904年)

2020.09.28 10:06

義和団と手を組んで列強に宣戦布告をした西太后を倒すため、8か国は北京に派兵した北清事変。義和団の鎮圧後、各国は撤兵しましたが、ロシアだけが全満州を占領したあとも駐留を続けました。朝鮮に利権を持つ日本と、ロシアとの緊張が高まってきました。ここでは、出口治明教授の「0から学ぶ日本史講義」より、日露戦争について学びます。以下は、出口先生に100%頼った文章+私の勝手な印象が混ざった文章ですので、大筋は史実ですが、一つの解釈として理解してください。

日本は、なぜ大国と戦争を始めたのでしょうか?

当時の国論は分かれていたようです。

伊藤博文や井上馨は、「ロシアと戦っても勝てない。満州はロシアに譲って、韓国の権益を確保しよう」という主張で、「満韓交換」の方針を唱えました。平和主義的な雰囲気もありますが、朝鮮半島を自分のものにしようというのですから、純粋な帝国主義であることは間違いないですよね。

一方、山縣有朋や小村寿太郎(外務大臣)は、満韓交換がうまくいけばいいと内心思いつつ、ロシアと交渉してもうまくいかないのではないか、と考えていたようです。

実際、ロシアとの交渉は難航したようです。実は、別に述べるように、決裂ではなかったようですが、結局、戦争が始まるわけですから、交渉は結果としてうまくいかなかったわけです。

なぜでしょうか。一つの原因は、日清戦争後に清の保護国から独立して1897年に大韓帝国(高宗の皇帝即位)になった韓国が、日本の圧力を逃れてロシアに接近したため、ロシアが韓国の権益を放棄するとは言わなかったであろう、ということです。

韓国がどのような圧力を日本から受けてきたか。ここでは触れる余裕がありませんが、最近の日韓をめぐる状況の悪化を見るにつけても、歴史の文脈を踏まえて、両国民の感情が今現在、どのように形成されているかについてを、国民はよく考える必要があると思っています。例えば、歴史修正を意図する小説家による、学問的に認められない記述が満載されたフィクションのような歴史本には、決して騙されてはいけない、と思います。

話を戻すと、もう一つの原因は、日本と英国の接近であり、日英同盟が調印されたことは既にこの場でも書きました(1902年)。

ロシアは、清と、日本と戦争になった場合に同盟する密約を結んでいましたが、日英同盟が結ばれると、二か国以上の交戦になった場合は英国に参戦義務が生じるので、おいそれと戦争はできません。1902年にロシアは満州からの撤兵条約を清と結びました。

この時期のパワーゲームの状況は、日ロ開戦を避けるような流れになったか、とも見えます。

しかし、ロシアは三回に分けて満州から撤退するはずでしたが、最初の1回だけで、1903年の第二回撤退は行われませんでした。逆に、ロシアは満州におけるロシアの権益を認めるように清国に要求を出し、韓国との国境付近に軍事拠点を作り始めました。

韓国や清の国民は、日ロのはざまで、どのような状態だったのでしょうか。

こういう歴史を見ると、王朝による独裁や、帝国主義による国家間の略奪の争いを、二度と繰り返してはならないと思うのですが、わずか120年前の出来事。人類には、いまだに争いを防ぐための仕組みを確立してはいないようです。

そして、国論が分かれていた日本でも、対ロ強硬策が力を増してきて、なんと大学教授たちから「ロシアを一発殴れ」という意見が表明されるようになります。

まさに、いま、学問と政治の関係が大きく揺らぐ事件が起きたばかり(2020年、菅政権による「安保法案や共謀罪、特定秘密保護法に反対した学者6名」の日本学術会議任命拒否事件)。

歴史をきちんと学びましょう、と声を大にして叫びたいです。