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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教51-籠城4カ月島原の乱終結

2020.09.28 11:42

原城跡に立て籠った一揆勢は3万7千人、しかも城跡とはいえ石垣も門もしっかり残り、三方は海に面した絶壁、今度は幕府側が城攻めをすることになった。幕府は板倉重昌らが派遣された。藩の思わぬ苦戦に板倉は、自ら出陣するが、何と狙撃されて討ち死にしてしまう。

江戸ではメンツを潰された家光がカンカンである。知恵伊豆と呼ばれた老中松平信綱が10万の軍勢をもってやってくる。信綱は、実に慎重に、原城を包囲して、攻城櫓を組み立てて侵入を伺った。さらにトンネルを掘るも、城中からもトンネルを掘って崩されてしまう。

信綱はオランダ船を呼び寄せて砲撃し、異国の援軍を待っても無駄というメッセージを送る。さらに矢文や書状で、強制的にキリシタンにされた者さらには天草四郎まで許すとまで妥協する。しかし一揆勢は応じず、そのまま時が過ぎる。一揆勢の兵糧も乏しいが、幕府の10万のほうも事情は変わらない。何よりも全国への波及が心配だ。

実に事件が起こって4か月、1638年4月11日、幕府軍は総攻撃に移った。この戦いで幕府軍の死傷者も1万人以上にのぼった。天草四郎は討死、死者は復活をさせないために骨まで砕かれた、城内キリシタンは木を組んだりして十字架を作っていた。翌日乱終結後、藩主板倉勝重は処刑、天草は幕府直轄地とされ、キリシタン政策も大きく変わることになる。

下は島原陣図屏風