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からだ、こころ、たましいの学び屋

BOOK「わかっちゃった 人たち」編集:サリー・ボンジャース、訳:古閑博丈(こが ひろたけ)

2020.09.29 06:31


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第1章

おしまい(D・A) 男性

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ダグラス・ハーディング 夏のリトリート

リトリートが終わって仕事に戻ったとき、普段の半分のスピードでゆっくりと動きながら、会う人全員に微笑んでいました。歓喜と愛の涙があふれたりとか、そういうばかばかしいことが起こりました。

でも何週間かすると、そんなこともなくなってしまって、振り出しに戻りました。

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トニー・パーソンズ

トニーはこう言います。

「私がミーティングでしていることは、あなた方がすでに知っていることを思い出させること、それだけです」

僕も心のどこかで、ものごとは実際にはトニーの言うとおりになっているんしゃないかと気づいていたんです。

ただ、人は育っていく過程で、その認識から離れた状態にしだいになれていくものです。

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非二元の本をいろいろと読んで、トニー・パーソンズのミーティングに何度も通って、ネイサン・ギルのミーティングにも何度も行き、そしてロジャー・リンデンにも通いました。でも、それはある意味で娯楽に過ぎなかったんです。

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ウェイン・リカーマンがミーティングをするためにロンドンに来ていました。

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そのときパッと何かがわかりました。何かが起こったことにロジャーは気づいたんでしょうね。僕を見てこう言いました。

「うん。でもまだ二元性が残っているだろう?」

「ああ、たしかに。まったくそのとおりですね」

「今度また一対一のセッションをしよう」

とロジャーは提案してくれました。

そして金曜日、ロジャーはその日のセッションで何を話していたのか、僕にはおもあだせむせん。普通の雑談でした。そのうちロジャーがこう言いました。

「ちょっと話を止めてみよう」

僕は目を閉じて静止しました。そうしたら、

「ヒューン!」

何もかも消えてしまいました。しばらくして目を開けると、ロジャーがこう尋ねました。

「どうだった?」

「言葉にできません」

まったく言葉では表現できないものだったと思います。ある意味ではまったく何も起こらなかったんでしが、それはほんとうに驚くべきことです。自分についてのイメージが消え落ちました。自分についての習慣的な観念が次第に消えていって、そしてただ見てあるものだけが残りました。それは、無の中、空の中にぶらさがっていました。

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思考と距離を置いて、思考の奴隷にならないということは、以前よりはうまくできるようになっています。

思考がどれだけの苦しみを生み出しているかがわかれば、少なくとも僕にとっては、思考を落とす方がましです。

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もし頭の中のイメージが消えたら、ここにはほんとうは誰もいないんだということがわかります。僕の場合、まさに文字どおり身体が消えたのです。それと同時に重心が一気に沈み込みました。体の重心が足首まで下がった気持ちでした。間違いなく身体的な現象でした。

そんなことで、とてつもない弛緩とすべての脱落という感覚がありました。

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習慣的な思考の大群が人の心をとらえて、物語の中へ引きずり込みます。、


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ラマナ・マハルシ


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ダグラス・バーディング

最初の一瞥を経験するにはとてもよい手法です。でも、

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実際には訓練もテクニックも要りません。今ここにある気づきのほかには何も存在していないからです。

あるのは、あるということ、これ、それだけです。これはもうそれなのに。

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ひとつ変わったのは、もし本当に退屈な人がいたら、たぶん僕は席を立って去ってしまうでしょうね。ひとつ変わったのは、自分の中にいるろくでなしや嫌な人を表現する率直さが今はあるということです。

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あの決定的なことが起こった日、ロジャーと話していたときですが、どんな感じか、どんな違いがあるかを言い表してみるように彼に言われました。僕は手な指を組んで、こう言いました。「前は、思考はすべてがこんな感じにからまった塊でした。ゆっくりと、それが全部解けました」

指がほどかれ、手は開き、すべてがありのままに認識されました。頭の中の混乱もありません。ですがプログラミングは全部そのまま続いています。

開放が起こってからの一年、個人としての物語を事実だと思うことが、しだいになくなっていきました。そのプロセスは一年ほどかかって完了したように思います。過去を手放すというのはとても気持ちがよくて、すごく素晴らしい軽やかさを感じました。素晴らしいことなんです。人はいつも記憶を失くす心配をしていますが、僕はこう思っています。「お願いだから、できるだけ早く記憶を失くしてよ。記憶なんてくだらないよ」記憶がないというのは最高のことです。

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かなり長いこと、自分に個人として過去があるという感覚が消えてしまいました。個人としての過去というものが落ちたなくなるというのは、ほんとうにすごく気持ちいいことです。過去や未来について空想に耽ることがなくなりました。知覚が少し 変化したような気がします。

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必要なことすべてやって来ます。宇宙はどの瞬間にも一人ひとりに必要なものを正確に与えています。

「これだよ、今だよ。わかる?未来に何か特別なことがおこるとか、そういうことじゃないんだよ」

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僕が言いたいのは、明晰さがあって、今やすべてが明白だということだけです。すべては意識なんだということは明白です。



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第二章 

私は木(C・B) 女性

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ムクターナンダ


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ジーン・ダン

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人によってはそれにかなり時間がかかります。手に入れるべきものなど何もないということは、ジーン・ダンからも他の人たちからも何度も何度も何度も聞いていました。ラメッシのリトリートでたまたまそのことがついに腑に落ちたんです。

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でもその日、長年にわたっていろいろなところで聞いたすべてのことがひとつになって、わかったんです。手に入れるべきことなど何もないんだってことが。

でも、まだそれはゆっくりとしたプロセスで、あるときはわかっているのに別のときはわからなくなるという状態でした。

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ババ(ムクターナンダ)に出会ってから探求がすべて終わるまで、すべての道を歩き終えるまで、27年ほどかかりました。そして先生たちのところへ行くことをやめました。本を読むのも好きではなくなりました。

ある時点でそういうことはもう参考にならなくなりました。目的地に着けば、地図は捨ててしまいますよね。もう着いているんですから。

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誰か別の人の話とか、誰か別の人の解釈を聞くんではなくて、それよりも、意識が私の中でどう顕現しているのかというのが面白いんです。私は今、かってないほど自分自身だという気がしています。わかっていた子供のころにあったのと同じ気づきがあります。自分が誰かということがわかっているんです。私は幸せです。自分の人生を生きています。

今はひどい日というのはまったくないのです。

家族や孫について嫌なことに巻き込まれたりもするんですが、それは嫌なことのようでいて実際はそうでないというのがわかっているような感じです。自分という人間と同一化していないので、以前とは違って流されるということがないのです。それがこのシフトの性質です。

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日が沈む時間に、壁に映る影に見入ったり、木漏れ日や、水面に反射する水を眺めたりしていることがあります。それに釘付けになります。永久に眺めていられるような気がします。ただ、美に気づくということなんです。

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以前なら、木を見たら「あの木はほんとうにきれいね」と感じていたでしょうね。今は、木を見たら、私が木なんです。それが違いです。そういうワンネス一体性がただあるんです。

主体も対象もありません。葉っぱに触れてみたたり、香りを嗅いでみたり、樹液のネバネバを触れてみたり、そよ風の軽さを感じたりできます。ただ見るというよりも、もっと完全な経験なんです。言葉にしようとして頑張ってしまうと消えてしまいます。言い表そうとすると、その生命を奪ってしまうんです。

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初めのころは瞑想がほんとうにとても役に立ちました。瞑想をすると、物語がない自分というものに慣れます。

ほんとうの自分という空間に慣れ親しんでいくんです。いちどわかってしまえば、テクニックも練習も要りません。

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人は当たり前のことでは納得しないものです。

「これが答えだなんてありえない。これでほんとうに全部なの?」それが、あるがままを認識する上でまさに邪魔になっているんです。こんなのはそれではありえない、どこか別のところにあるに違いない、もっといいもので、もっと輝かしいものだろう、という期待がです。どんな期待も、どんなことを頭に浮かべても、それが邪魔なんです。

最終的には、自分にはまだわかっていないという観念がしだいに弱まっていきます。そういうことをめぐって生まれる思考そのものも、ただの物語です。マインドなんです。コントロールを失いたくないんです。簡単には手放してくれません。思考は回り続けます。でも、人が思考を額面どおりに受け取らないということ自体が、思考のエネルギーを奪って、しだいに弱めていくことになります。そして自然に消えていきます。

63

第3章 オーストラリアはない

男性

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ただ何かを見ているだけで、それはまったく驚くべきものなんだというような感じ。どうしようもなく美しい。じつにうっとりしてしまう。

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覚醒とはただ単に、どこにも誰もいないってことを認識するってこと。ここには誰も存在していない。ひとつのものがそれ自体をいろいろな形に分けているだけなんだ。いろんな形をとって現れてる。それだけ。



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第4章 まったくの自由、まったくの無秩序(Y・S) 女性

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他の言い表し方があるとしたら、「これは、ある種の完全なくつろぎ、生じるものが何であれその中にすっかりくつろぐということ」という感じでしょうか。それが基本です。何であれ生じるものの中でくつろぐこと。何であれ迎え入れて、何であれ愛する。でもそれはすることではないんです。

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第5章 海であること(C・T) 男性

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ダグラス・バーディング「今ここに、死と不死を見る」BOOK

ダグラス・バーディングの実験

ダグラスは、人の顔の大きさの穴があいてある白い厚紙を人々に渡すんです。その厚紙には小さな鏡も貼り付けられています。まず、鏡を見るように言われます。すると自分の顔が見えます。人が同一化している自分の顔です。、、、

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世界中に今あふれているような問題がいろいろと出てくるのは、私たちが葛藤をかかえていて、個人としての人格や顔と同一化して、個人レベル、国家レベル、部族レベルで自分が同一化している対象を喧嘩腰で防御しているからです。その個人と同一化しているのをやめれば、そういうことはすべて消えてしまうでしょうね。

現代文明のほとんどには、実際の話、マインドに戻ってマインドの中で生きるのを強化する作用があります。宗教的な伝統ですら、本質的にはマインドの活動、ケゴに基づいた活動なんです。宗教はスピリチャルな活動とは無縁のものです。まったく関係ないものです。

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海の中に浮かぶあらゆるものに対して、海はただ「イエス」と言います。海はすべての味方なんです。

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高次の自分というものは判断も選択もしませんが、どういうわけかCはこの世界で生きていかなくてはなりませんし、選択を迫られます。それが人間だっていうことです。選択をしないといけないんです。

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やたらとじたばたする必要もなければ、必死に頑張る必要もないんだということです。ただ信頼する、それだけです。

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喜びはいつでも見つかるんです。何が起こっていてもその内側では人はいつでも幸せです。それがもともとの状態です。海は幸せです。やすらいでいるんです。楽しんでいます。何も欠けているものはありません。それ自体でほんとうに幸せなんですよ、実際(笑)。

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すべてが存在しているんです。同時にすべてがあるんです。すべてがです。

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ある種の伝播というものはあると思っています。私たちは誰がブッダなんです。どんな人の中にもブッダの部分があるんですが、その部分が必ずしもその部分が目覚めているとは限らないというだけです。自分よりもどちらかと言えばもう少し目覚めている人と一緒ににいると、自分の中のある部分がその目覚めと響き合うことになります。その部分がすぐに輝きだして、懸命に前面に出ようとしながら、対話しよう、それ自体を表現しようとするんです。

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カトリック神学者ヘンリ・ナウエン。カトリックのイエズス会の系列の人。偉大な思想家で素晴らしい人物。彼の著書。

「Reaching Out『差し伸べられる手、、、真の祈りへの三つの階段』」女子パウロ会刊。

信仰における三つの変化。

1.孤独の寂しさから孤独の悦び。

2.敵意から受容への変化。

3.迷妄から祈りへの変化

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境界線は消えてなくなりました。そして、境界線が消えるというのは、どんなときでも自分をゆっくり他者に差し出しているということです。以前は必ずしもそうではありましんでした。燃料の半分がCのエンジンを動かすために使われていました。つまりCが分解しないようなです。

自分が誰であるかがわかって、それと同一化していると、まったく何もする必要がありません。すべてそのままで大丈夫だからです。すべてはまさに完璧です。いちいち邪魔する必要などありませんし、心配する必要も、じたばたする必要もありません。

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駆り立てているのは誰なんだろう?と自問してみふ。何かが起こって欲しいと思っているのは誰なのか、尋ねてみてください。何かを求めているのは誰なんだろう?その人にただ優しく接して、見守ってみるのです。その人に苛立だないでください。ときどき自分にこう尋ねるのです。「このことを不安に感じているのは誰なんだろう?誰ですか?そこにいるのは誰ですか?」

この質問では「誰なのか?」という点が大切なのではなくて、「どこ?どこなの?」というところがポイントです。その誰かがどこにいるか見つけてみてください。「どこにいるんだろう?」と。

プロセスを信頼してください。すべてはそのままで問題ないんだということを信頼するんです。自分に厳しくしないでください。今いるところがいるべき場所なんです。もし何か感情が生じるとしたら、それは理由があって生じています。そして生じることには価値もあるんです。

明け渡しのプロセスの中で自分そのものが失われてしまうんじゃないか、という思考がどこからか生じます。個人としての人格がきちんと存在しないしてあることには価値があって、個性を気にすることにも価値があって、自分自身という全体性にも概念にも価値があります。そういうことには価値があるんです。それは捨てないといけないようなものではありません。そこがつまり問題なんです。何かを放棄しなければいけないという話ではありません。放棄しないとダメという思考があるだけなんです。


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第6章 豆を数える人(T・F) 男性

他の人たちにとっては、「悟りを開きたい」とか「真理を手にしたい」ということかもしれませんけど、僕にとっては「やすらぎ」こそがキーワードでした。

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シフトが起こったのは1993年の7月で、か奇跡のコース」を通してでした。ものすごい恍惚感に浸りました。ゲラゲラ笑ったと思ったらダーッとと泣いたりして、それが交互に起こったのです。中といっても悲しみではありません。何かが解き放たれるという感じの泣き方です。

僕の場合は神秘体験とかそういう感じのものはなかったんですけど、すごい量のエネルギーと、カタルシスと、どこにも問題はないないんだという感覚がありました。

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それでも恐れは消えましんでしたね。恐れはまだありました。僕にとって場所恐れが核心の物語なんです。恐れと恐れからどう流れるかっていうのが人生を左右する巨大要素でした。恐れというのは僕にとっては人と一緒にいるときの苦痛のことでした。体で感じましたよ。心臓が猛烈にドキドキしたり、口がカラカラになったり、声の調子がへんになったり。ものすごく強烈な恐れがあって、何をしているときでもずっと背景にありました。恐れが本当の意味での師だったと言ってもいいほどです。恐れが生じたときにおびやかされるイメージと僕は完全に同一化していたわけですから。

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【BOOK】「わかっちゃった人たち」「I Am That」(アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」ナチュラルスピリット刊)



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2000年にトニー・パーソンズの本「As

It Is」(あるがまま)

これだ、自分がずっと知っていたことがここにあった。

それが探求の終わりでした。

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それが、何かになるという感覚の終わりで、自分がものごとをどうにかコントロールしているという感覚の終わりでした。何かになれるとか、選べるとか、ものごとを動かせるという感覚が、個人としての「自分」があるという感覚を生んでいたんだっていう気づきがありました。そういう感覚はすっかり消えました。

というわけで探求は終わったんですけど、問題は消えませんでした。個人的なものは全部なくなったのに、それが自分の体とか物語には必ずしも反映されてないんです。「人間」だという感覚は、自分は人格をもった個人だという感覚はもうないのに、不快さがまだ残ってました。

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ときどきおそれに襲われるような人間であってはだめだとか、内気さ不快さも感じてはいけないという観念、それは消え去りました。

何が起こっても「問題はない」という血兵が確かにあるんです。

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第7章 ティースプーンもスピリチュアル

(K・N) 女性

2020/09/29