他者中心的思考と自己中心的思考 2020.09.29 08:25 私は他者中心的思考が強いです。それは常に、人からどう見られるか、相手からどう感じられるかということを、意識して生活するよう教育されてきたから。その中に「自分らしさ」をプラスして生きてきた。家の中では常に「いい子」でなくてはならないし、1歩外に出たらきちんとしていなきゃ、発言にも気をつけなきゃ。と気を張って生きる。いつも誰かの目があると思って生きてきた私は、だんだんと慣れ、それが心地よくなってくる。たとえ1人で部屋にいても、お風呂に入っていても、トイレに入っていても同じ。いつも盗撮され、盗聴されていると思うと、生活にハリが出ます。自分のことって自分が一番よく見てるんですよね。これくらいでいいか、って思うとこれくらいの人間で終わってしまう。だから自分に厳しくなる。そうやって、他者中心的思考から自己中心的思考が生まれる。自分はこうあるべき、自分はこうでなくてはならないというところから「自分らしさ」を作っていく。私はわりとストイックな人間なのかもしれない。目はなぜ二つあるのか。一つは自分を見るため。もう一つは周りを見るため。耳はなぜ二つあるのか。一つは自分の言ったことを確認するため。もう一つは周りの話を聞くため。手はなぜ二つあるのか。一つは相手に何かを与えるため。もう一つは相手から何かを与えてもらうため。足はなぜ二つあるのか。一つは自分を支えるため。もう一つは未来を歩いていくため。これは単なる私の哲学なのですが、人間無駄なものというものはついていません。けれど人間完璧ではなく、足りないものも存在します。だから人は「共存」するのです。共存し、自分を補いながら、相手を補う。それは依存ではなく、「共存」なのです。依存というのは相手から与えてもらうばかりのこと。それは独りよがりで自分勝手。それこそ自己中心的思考そのもの。だからと言って、他者中心的思考のみでも上手くいかない。それこそ「自分」というものがなくなってしまう。私の理想ですが、他者中心的思考が7割、自己中心的思考が3割がバランスが取れていいのかもしれないと思います。私は「強い女」だと思われているらしいのですが、「強く見せてる」だけです。本当はとても脆い。けれど立派な支柱があるので、私は立っていられるのです。その支柱は、主人であり、周りの方々の思いです。周りの期待に応える。こんな気持ちのいいことはない。そして自分の期待に応える。自分というものは他人より、とてつもなく厳しい。たとえその期待に応えられなくて挫折したとしても、他のことで成果をあげればいい。だから人は、未来を歩いて行けるのです。出会いというのは不思議なもので、今の自分に必要だから出会うのです。嫌な人と出会うこともあるでしょう。自分より素晴らしい人と出会うこともあるでしょう。それは今、あなたに必要な人材だから。嫌いな人、素晴らしい人から何を吸収するか。そして自分は何を与えてあげられるか。何も、素晴らしい人からだけがいいものとは限りません。嫌いな人からも得られるものはあります。私は母が大嫌いだけど、とても感謝しているのは、得られるものがあったから。過去に出会って別れた人たちも同じ。いろんなものを与えてもらいました。だから今の自分がいるわけで、自分一人で生きてきたわけじゃありません。時々周りからのプレッシャーや自分自身のプレッシャーに押しつぶされ、辛く苦しいときもあるけれど、今まで出会ってきた人に与えてもらったものを捨てるわけにはいかないので、前を向いて歩くしかありません。時には走ったり、疲れたら歩き、たまには空を見上げて月を見る。そしてまた歩き、もう一度月を見るために走り出す。輝く月。それはとても人間と意味深く繋がっていると思います。月は太陽がいないと輝けない。太陽があるから生きていける。私も皆様にパワーを与えていただき、月のように輝きたい。そして私も皆様にパワーを与え、月のように輝いてほしい。人は支え合い、共存するからこそ成長します。今日一日、あなたは何を与え、何を吸収しましたか?