ちいさなものがたり

無意識と理論

2020.09.29 12:22

絵を描くという行為は無意識だ。


とは言ってもここでは描くための理論を

駆使する時はという意味で、である。


具体的には遠近法、比率、トライアングル、

フレーム(芯線)なんか数えあげれば

キリないのだが、これらを駆使する時は

遠近法的には〜ととか比率は〜

なんて特に考えて描いてはいない。


描いて消して加えて削って…

繰り返しているとこれらの理屈は

無意識に駆使されているからである。


染み付いているとでも言うか。


様々な理論を消すか加えるかという

意味ではアナログ→デジタル変換して

描いているとも解釈することもできる。


そう考えると深い。

話を元に戻そう。


絵描きには大きく分けて二種類ある。


それは直観的感覚か理論的感覚なのか

という意味である。


僕の場合理屈っぽいイメージがあるかも

知れないが間違いなく前者である。


前置きの通り考えるよりも自分の

直観的感覚で筆を進めるタイプだと思う。


けれどもヒトに教えるとなると

自分の感覚がどうであれ、

それを伝えるには

理論的に説明できなければいけない。


コロナ禍によりオンラインという

新しい形態の交流が主流になりつつある。


その為に資料を作ることが多くなったけど

それは同時に自分の描き方の説明書を

つくるようなものだとも思う。


教えるために作っているものなのに

逆に自分に教えてる気がするので

無意識というのも皮肉なものである。


まあそれが逆に新鮮でやりがいが

あるのだけども。


ちょっと若い頃は理屈なんていらん!

なんて格好付けてたけれども

実際は単に考えるのがめんどくさいだけ

だったんだなとも気付く。


時もまた財産なんですね、本当に。