TENNOZ TWILIGHT #04
天王洲トワイライト
東京に戻って、ようやく一年が経とうとしている。急に決まった海外転勤でニューヨークに住み、大きな公園や海辺のある街の気持ちよさを覚えてしまったせいか、戻ってきたばかりの東京はなんだか全てが窮屈に見えてしまった。
まだテレビさえ置いていなかったマンスリーマンションで、ラジオのDJが「今日の天王洲アイルは天気いいね〜」と、本当に、気持ちよさそうに話すのを聴いて出かけてみると、渋谷から直通の電車ですぐに着いた。休日のせいか、人が少なく、なんといっても海辺の街は落ち着いていた。私は、一度この街を訪れただけで気に入って、その日のうちに部屋を借りてしまった。運河に日差しがキラキラと反射して、公園や街路樹の緑も多く、久しぶりの日本の秋を気持ちよく過ごせそうだった。
でも、その街で再会できる人がいるとは、まったく想像もしていなかった。
20代のほとんどを日本で過ごせなかったから、今では大学時代を過ごした東京の街でも道に迷うようになっていた。学生時代の友達も、ここ数年は結婚や出産で地元へ帰ったり、郊外に家を買ったりしていて、気軽に会える人は少ない。銀河劇場に通うようになったのは、休日に一人でも充実した気持ちになれたのはもちろん、シアターに行く習慣ができたニューヨークの街が恋しかったからかもしれない。
天王洲の銀河劇場へは、演目が変わる度に訪れている。客席とステージとの距離は最大でも20mと近く、馬蹄型をしたシアターのどこに座っていても、からだでその振動や響きを感じられ、いつも心まで震わされる。
カズキ君は、彼そっくりの幼い女の子を連れていていた。開演間近、会場が暗くなり始めた瞬間に席に座った私は、いつものようにステージに夢中になった。客席から近い舞台で繰り広げられたダイナミックなパフォーマンスに、観客からは長い拍手が送られた。
明かりがついて席を立った瞬間、私はしばらくの間、言葉を失った。
「もしかして浜田さん」
「やっぱり、カズキ君」
劇団に入っているのだという娘を連れた彼は、笑顔に少し皺ができて、それを見ただけで私は涙が出そうだった。
「こんなに大きくなったのね」
「早いよ、浜田さんと最後に会ったのも、もう10年近く前のことだね」
銀河劇場からガレリアを抜け、カフェに3人で座り、私は彼の娘のリナちゃんに挨拶する。古いお友達なの、と。ニューヨークへ行く前、私たちは東京で同僚として数ヶ月を過ごした。研修や、社会人生活への不安や焦り、会議一つでも緊張した私にがんばれよと声をかけてくれたのはカズキ君だった。
彼が好きだったけれど、それを確信する間もなく転勤してしまった。今思えば、きっと彼も想っていてくれただろう。
「いつ戻ってい来たの」
カズキ君は数年前に会社を辞め、両親が営む店を手伝っていると聞いていた。
「去年、戻る時も突然決まったの。友達も実家に帰っているし、結婚してカズキ君みたいに家族で過ごす世代になっちゃって、せっかく戻って来たのに思ったより寂しいんだ」
「向こうでがんばっているって、ほら、田中さんを覚えてる? 彼女からよく聞いていたんだよ。よく、やったよ」
「カズキ君こそ、パパになって、なんだか、たくましいっていうか」
二人とも、若々しかったスーツ姿を思い出して笑った。リナちゃんのお母さんは美容師で、日曜日は父娘で二人きりで過ごすことが多いという。
「リナちゃん、よくお芝居見るの?」
「リナ、女優さんなの」
まんまるの目を、きゅっと細めて笑顔になると、カズキ君そっくりだ。休日の習い事で劇団に通わせたり、こうしてお芝居を観せたりするのが父の役目だという。
「向こうにいる間に、みんなそれぞれの道に進んじゃって、なんだか私だけ、まだ浦島太郎みたいな気分なの」
「俺はニューヨーク行きが羨ましくてしょうがなかったよ。あのあと浜田さんみたいに仲のいい同僚もとくにできなくて、結局3年くらいで辞めちゃったんだ。でも、なんとか実家の店を継いでいる」
カズキ君には年相応に自分の家族や店があって、あたたかな暮らしがある。私には、続けている仕事と天王洲の部屋と、のんびり水辺を歩く休日の時間くらいしか“持っている”と言えるものがない。
「ねえ、きっと浜田さんは、帰ってきたばかりで大変だろうけれど、全部これからで、楽しみだね」
私は、不安な顔をしたのかもしれない。
「全部これから、か。大丈夫かな」
「どこかに必ず到着できるさ」
到着。カズキ君が選ぶ言葉は、変わっていなかった。あの頃みたいに、私を安心させてくれる言葉を選んでくれた。
カズキ君とリナちゃんをモノレールの駅で見送ったあと、ボードウォークを一人で歩いて家まで帰る。天王洲から放送している、英語交じりのラジオ番組を聴きながら。
番組の終盤、ゲストにDJは言った。
「今日は、本当に会えてよかった」
みんな漂っている。日本の小さな水辺の街で再会したり、音楽を聴いたり、食べたり、出会ったり、別れたり、引越したり、沖へ向かう船を見送ったり。みんな、それぞれの暮らしの中を漂っている。
ビルの明かりがともり始める。その明かりが水面でゆらゆらと揺れるように、天王洲という水辺の街で、きっと穏やかに、ゆらゆらと過ごしていく。どこかに、心が到着できるように。私の暮らしの幕はここで上がったばかりだ。
【小説の舞台】
天王洲 銀河劇場
品川区東品川2-3-16 シーフォートスクエア2F
東京モノレール「天王洲アイル駅」直結。
中央口改札を右へ徒歩1分、
りんかい線「天王洲アイル駅」A出口より徒歩3分。
KAZESORA 〜風空〜 No.6
2015.11.2.の記事です。
Editorial by BTTB inc.
Scenario & Text:Eri Sakuma さくまえり