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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

黒人奴隷1-黄金海岸から奴隷海岸へ

2020.09.30 09:21

1637年現在のガーナの黄金海岸にあったポルトガルのエルミナ城がオランダに奪取された。この城ができたのは1482年、この地域で発見された金鉱を採掘する拠点として建設された。最盛期には地球上の金の1/10にあたる24000オンスが輸出され、この地は「黄金海岸」の名を得た。

ところが、金がなくなるに従い、ここはアフリカ人の奴隷貿易の拠点となった。アフリカでは部族間闘争があり、負けた者は奴隷にされた。欧州人はそれに介入し、部族に銃を売る代金として、負けた部族の奴隷を要求した。西アフリカの王国はこの奴隷売買で覇権を得る。

アフリカ奴隷は、インディオが死んで少なくなったスペイン領アメリカに送りこまれ、ここで砂糖と交換されて欧州で売る、三角貿易が確立することになる。年間数千人のアフリカ奴隷が送りこまれ、その砂糖で優雅にインドティーを飲む。

そしてオランダがこの奴隷貿易に参入する。1630年にオランダはポルトガルからブラジルの植民地ペルナンブコを奪い、ここの砂糖の大規模プランテーション用に大量のアフリカ奴隷を送り込む。その後欧州各大国も参入し、この地が黄金海岸から「奴隷海岸」の名を頂くことになるのである。そして奴隷貿易で得た資金が産業革命の原資となった説もある。

下はエルミナ城遺跡世界遺産