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Oimachi Act./おい街アクト

日本の遺産的音楽シリーズ

2020.10.01 03:00

日本の戦後からの音楽史を僕なりに振り返ってみると、"遺産的"とも言える歌、シンガー達がいことに気付く。

その中から選りすぐってみることにした。

民俗学的に興味尽きない歌あり、時代を象徴した歌、シンガーもいた。

日本がどうか今後、変わっていこうとも、歌は生物(ナマモノ)、シンガーも人様。大切にしなければなるまい。

感謝と尊敬の念を込めて始めることにしよう。


〈日本の遺産的音楽シリーズ VOL.7〉


歌手や音楽の価値観を変えたのは沢田研二だけではなく、テレビ、その他メディアの取り巻き連中だ


テレビがあったから生き続けたスター、アイドルもただろうし、テレビがあったからダメになった歌の上手い歌手もいるだろう。


その位、テレビには力があった。が、その位、テレビは実力のある歌手やシンガーを消してしまった。


どうしても日本人はテレビから離れられない。余暇の過ごし方にも偏りがある。日本人は音楽やライヴの楽しみ方が地についていない。

日本人は映画や音楽を芸術感覚で捉えようとする教養が備わっていない。

この風潮が強まったのは1960年代と言われる。

あえて一人の芸能人をその代表格として名前をげるなら、ジュリーこと、沢田研二だ。

そう、GSグループ。ザ・タイガースのリードヴォーカル。


「これからはこんな(ジュリーを指して)人が売れていく。歌が上手、下手よりも、カッコいい良さが問われるんだ」


こう某レコード会社のプロデューサーが豪語したのが1965年だった。

あれから55年が過ぎた。

日本の今の音楽産業は「何もない時代」と言われる。街中のレコード店に行ってもいい音楽は1960年代、70、80年代しかないでしょうと、はっきり言い切る。


テレビに出るアイドルに危機感を持っていた音楽人間は確かにいたし、それなりに彼らは努力をした。

が、やっぱり敗れたのだ。


で、誰が生き残ったのかというと、それも解からないくらいに日本の音楽界は、まるで焼け野原だ。


あえてザ・タイガースの沢田研二を代表格とし登場してもらわねばならない。


ジュリーを評価しすぎたあのプロデューサー1人が悪いのではないが、商売人で芸術家でなかった人が多すぎたのだ。