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山伏になって「死からの再生」を体験してみよう

2020.10.01 07:41

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54560  【山伏になって「死からの再生」を体験してみよう】山形・出羽三山で参加した「山伏修行体験塾」 より

 前回のコラムでは、「断食」を取り上げた。文字通り、食を断つのが「断食」である。そして前々回では、肉食を断つ「ベジタリアン」について取り上げた。

(前回)「苦しいのは最初だけ、3泊4日の「断食修行」体験記」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54425

(前々回)「楽園ビーチリゾートの衝撃的「奇祭」を知っているか」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54300

 今回も引き続き、食にまつわる話題を取り上げてみたい。それは「山伏(やまぶし)体験修行」である。

 山伏とは、日本特有の山岳信仰にもとづく修行者のこと。150年前の明治維新政府による「神仏分離」以前まで修験者と呼ばれていた。修験道の修験者である。

「山伏体験修行」がなぜ食の話題になるかというと、食に関しては断食やベジタリアンと真逆の関係にあるからだ。山伏修行では、食事は朝昼晩と一日三度。一汁一菜の簡素な食事でありながら量は多く、しかも出されたものはすべて平らげないといけない。断食もラクではないが、出されたものをすべて食べきるというのもラクなことではない。そして修行が満願成就したあとに味わう豪勢な「精進落とし」との大きなコントラスト。

一度は「山伏姿」になってみたかった

 富士山がその代表的存在だが、白装束で金剛杖をつきながら集団で登山している信仰登山者たちに出会うのは稀なことではない。日本では霊山信仰に基づく信仰登山から登山が始まったことを知れば、山伏が行う信仰登山の存在も身近なものに感じられるのではないだろうか。

 筆者はずいぶん前に地方の観光事業に関する記事を読んだときから、「山伏体験修行」にぜひ参加してみたいと思っていた。なかなか実現に踏み切れなかったが、何ごともキッカケが重要である。「断食参籠修行」を体験した以上、次は「山伏体験修行」をしなくてどうするのだという、強い気持ちというか、まあ勢いみたいなもので参加に踏み切った。

 ネットで検索していて見つけたのが、「山伏修行体験塾」であった(参考:山伏修行体験塾/羽黒山観光協会)。個人参加では9月限定だが、「2泊3日コース」への参加が義務づけられている。願ったり叶ったりではないか! さすがに「日帰り」では修行のうちに入らないであろう。

 以下の文章は、参加後にブログに書いた体験記をもとに再編集したものだ。実際のところ、体験塾参加中は朝から晩まで、次から次へと続くメニューに追いまくられ、ものを考えている余裕はなかったのが実情だ。「断食参籠修行」と同様、「情報遮断」が要請されるので写真もメモも一切取っていない。あくまでも記憶にもとづいたものである。写真は一部を除いて、体験修行期間外に撮影したものであることを、あらかじめお断りしておく。

山伏の白装束は死に装束

「山伏体験修行」は、「体験」という名称は入っていても、あくまでも修行は修行である。単なる山伏姿のコスプレではなく、修行であることには変わりない。参加にあたっては「誓約書」の提出が求められる、自己責任の世界である。

 とはいいながら、まずは型や形から入るのが日本型修行のあり方だ。あくまでも「体験修行」なので本格的な「山伏修行」と異なるのだが、基本は同じである。体験用装束のうち、白衣、袴(はかま)、脚絆(きゃはん)、帯、地下足袋は貸与されるものを使用する。宝冠とフンドシは、金剛杖とともに参加費に含まれているので、自分用として持ち帰ることができる。

 身に着けるものはどれも白く、全身が白装束となる(右の写真)。言い換えれば、死に装束である。山伏修行に入るということは、象徴的にいったん死んで、再び生まれ変わるということを意味する。死と再生である。いわゆる「十界」を経巡って再生に至るイニシエーションのプロセスなのである。

 下着はフンドシを着用する。戦後生まれの世代で、日常的にフンドシを使用している人はごく一部だけだろう。私はといえば、大学時代に日本生まれの武道である合気道をやっていたが、それまでフンドシを締めたことはなかった。修行の1つである禊ぎの水垢離(みずごり)や滝行では、男子は文字通りフンドシ一丁で水に入ることになる(ただし、女子は水着着用なのでご安心を!)

 足回りは、軍足のうえに白の地下足袋を履き、その上に白の脚絆(きゃはん)をつける。これは登山用具のスパッツのようなものだ。なんせ山伏修行とは、ほとんどが信仰目的の山歩きなのである。

 頭には宝冠(ほうかん)を巻く。宝冠とは、幅広のはちまきを、まず頭巾(ずきん)のようにかぶり、余った布でもって後頭部と前頭部のまわりを巻き、側頭部の両サイドにネコ耳のような形をたて、冠のようにするものである。これで全身白づくめとなる。

すべて先達(せんだち)の指示に従う世界

 山伏修行体験では、何をするにもひたすら先達(せんだち)の指示に従って行動することが求められる。修行期間中は山伏装束に持ち物といえば金剛状だけ、腕時計やスマホなど電子機器類はすべて預けることになっているので、正確な時間も分からない。

 この行動姿勢を何よりも象徴的に表現しているのが、「うけたまう」(発音は、う・け・た・もー)という返事だ。「うけたまう」とは、漢字で書けば「請け給う」ということになるだろう。英語でいえば、 "Yes, sir !" である。

 山伏は、先達から何か言われたら、「うけたもー」という答えしか存在しない。それも腹の底からの大声で答えることが求められる。「NO」とは絶対にクチにできない存在、それが山伏というものである。実際問題、山のなかをひたすら歩く「抖(と)そう行」だけでなく、すべての行(ぎょう)は先達である指導者に従わなければ、きわめて危険である。フォロワーシップの重要性である。

 まるで体育会のような感じだが、高校も大学も体育会で過ごしてきた私には、特段の違和感はなかった。むしろ、余計なことは一切考えずにカラダを使うことだけに集中できた3日間は、ある意味では、たいへん貴重なものであったといえる。カネを払ってまでも参加する意義はそこにあるというべきだろう(なお、2018年実施の個人参加の2泊3日コースは、往復の旅費交通費を除いて3万2000円)。

朝から晩までてんこ盛りのスケジュール

 私が参加した8年前の2泊3日の「山伏修行体験」のスケジュールを記しておこう。朝から晩までスケジュールがてんこ盛りだ。山伏の世界の用語は独特で、一般の人にとっては何を意味しているのか分からないので、後ほど解説を加えることにする。

[1日目]

13:30 「いでは文化記念館」に集合、着替え、峰入り式。

14:00 講話

14:30 水垢離

15:00 抖(と)そう行

17:30 床固め  

18:30 壇張り

19:00 抖(と)そう行

21:30 忍苦の行

22:00 宿入り 

[2日目]

4:00 起床 

4:30 水垢離

5:00 床固め

6:00 壇張り

7:00 月山 抖そう行

15:00 滝うち

18:00 床固め

19:00 天狗相撲

20:00 抖そう行

21:30 忍苦の行

22:00 宿入り

[3日目]

4:00 起床

4:30 水垢離

5:00 床固め

6:00 羽黒山抖そう行

9:30 出世式

10:00 終了式

10:30 精進落とし

11:00 解散 

ただし時間は目安であり、必ずしもこの通りに進行しているわけではないようだ。もちろん、時計も預けたままの参加者には確認のしようもないわけだが。

 では、かいつまんで修行内容について説明しておこう。

「床固め」は座禅のことである。とはいっても、禅寺の座禅の厳しさはない。胡座(あぐら)でも結跏趺坐(けっかふざ)でも問題ない。山伏の白装束のまま地面に座るのである。

「水垢離」(みずごり)は、冷水に浸かっての禊ぎ(みそぎ)の行である。男子はフンドシ一丁に白い地下足袋のみ、女子は水着に地下足袋。猛暑の夏であったが、水は冷たい。船漕ぎ運動で簡単な準備体操をしたあと、先達から水に入っていく。ここから先はもう気合あるのみである。冷たい水の中でひたすら気合いで耐え抜く。

 しかし不思議なもので、水に浸かっている肩までは寒さを感じなくなり、むしろ水の上に出ている肩の一部がえらく冷たく感じてくる。 滝行(たきぎょう)もそうだが、水垢離もまた気合いでなんとかなるのだ。精神一到何事か成らざらん。一見、非合理的で無意味に見えながら、実は深い意味を持っているのが日本型修行である。

「抖そう」(とそう)行とは、山掛け歩行のことだ。初日と3日目に羽黒山、2日目には月山(がっさん)に登る。なお、この「山伏体験塾」は神道系のためであろう、出羽三山のうち湯殿山には行かないのが残念ではある。明治維新政府が布告した「神仏分離令」(1868年)によって、出羽三山の山岳信仰もまた、神道系と仏教系に分離され、現在に至っているのだ。

コメ本来のうまさを実感

 説明を続けよう。「壇張り」(だんばり)とは食事のことだ。「一汁一菜」の食事である。いでは文化記念館のホールで、畳の上に板を並べ、その前で食事をいただくことになる。

 大きな茶碗のご飯一杯に味噌汁一杯、これに漬け物が二切れ付くのみだ。お茶はなく、お椀の白湯(さゆ)で箸で洗ってそれをクチにするのみ。 一汁一菜については、講話の際に先達から「断食」だと説明があったが、副食が付かないとはいえ「断食」とはほど遠い。朝昼晩と一日三食もあり、むしろ量的には過剰に感じられた。

 いただきものはすべて食べるのが作法であるから、全部残さず平らげることが求められる。これまた「修行」である。とはいっても、この修行は自分にとって意味があった。2日目以降は、味噌汁の具と漬け物の種類が変わるだけなのだが、この単純な組み合わせはむしろ、コメが本来持つうまさを引き出していると思われた。コメは庄内米である。うまいコメは、余計なおかずなしに味噌汁だけで食べたほうが、本当のうまさが分かるということは大きな発見であった。

羽黒山修験道の最大の試練が「南蛮いぶし」

 初日の最後で最大のイベントが、夜の10時頃に行われる「忍苦の行」(=南蛮いぶし)である。 羽黒山修験道の最大の試練である。

 狭い部屋に全員が押し込まれて行われるこの行は、まさに難行苦行そのものである。 唐辛子の粉末を火鉢でいぶして団扇(うちわ)であおぎ、部屋中に煙を充満させる。唐辛子の粉末が含まれているので、呼吸するのが困難になる。むせてくるので、ちょっと咳でもしようなら、唐辛子粉末がノドに吸い込まれてさらに咳をさそい、目も鼻も苦しくて涙と鼻水が出てくる。まさに苦行以外の何物でもない。ひたすら下を向いて、唐辛子粉末を飲まないように頑張るしかない。

 しかし、南蛮いぶしが終わって、部屋から脱出したときに吸った空気のうまさは格別だ。もしかしたら、これを体験させるために、この行(ぎょう)が存在するのであろうか。いつも吸っている空気を有り難いと思うのは、このような制約条件を課すことも必要なのだろう。けっして無意味な苦行ではないのだ。この南蛮いぶしは、2日目の夜にも行われる。

いよいよ最後のイベントの「出世式」(=火渡り)である。「出世式」とは、薪を燃やした炎の上を飛び越えることによって、十界修行をしてきた死に装束姿の山伏が、参道(=産道)を通って、ついにこの世に生まれ変わって蘇るという意味を持つ儀式である。火のチカラで浄化されるとともに、生まれる最後の瞬間を象徴的に表現しているのだという。山伏修行とは、死と再生に関わるものなのだ。

 無事終了。 あーあ、これで終わってしまった。終わってしまうと、なんだかあっけない。 初日の羽黒山の石段上り下りがけっこうつらかったので、どうなることかと思いもしたが、なんとか最後まで挫折することなくやり通すことができた。

最終日の「精進落とし」は豪勢な料理

 山伏装束を脱ぎ、私服に着替えると、俗世間に戻ってきたという実感を持つことになる。貴重品を返却してもらい、腕時計を装着、携帯をチェック、デジカメも手にする。「情報断食」は終わった。まさに俗世間に戻ってきた瞬間だ。

 その後、宿坊に移動し、宿坊の風呂で3日ぶりに汗を流し、ヒゲを剃る。そして、待ちに待った「精進落とし」だ。庄内地方の食材をふんだんに使った豪勢な料理である(下の写真)。銘々膳の前に胡座をかいて座り、生ビールを飲む。ああ、ビールがうまい! スポーツで汗を流したあとではない。死に装束で修行してきたのだ。生まれ変わって俗世間に戻ってきたからこそ、余計にビールがうまいのだ。修行期間中の一汁一菜とのコントラストは、あまりにも大きい。

 体験修行を終えたあと、この3日間を振り返ってみた。 なんといっても重要なのは精神力だと痛感した。体力もさることながら精神力。3日間をやり抜いた充実感。五感をフルに解放したこの3日間は実に素晴らしい体験であった──。

 以上が、私が参加した8年前の「山伏体験修行」の記録である。非日常体験であり、俗世間の流儀とは真逆かもしれないが、こういう世界もあるのだということを知っておいてほしいと思う。価値判断は別にして、“日本型修行”のあり方を凝縮しているからだ。