The Dispatch 新聞 2014/10/15号
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モロカイ出身者がホクレア乗組員に
モロカイ住民が祖先の渡った海、アオテアロア(ニュージーランド)北西を航海カヌーホクレア号とヒキカナリア号で航海します。モロカイ出身者で初めてのホクレア号キャプテン、パオア氏は話します。「モロカイ住民の代表として私たちの愛する土地と文化を守る為、今回ホクレアに乗る3人を全面的にサポートします。」
今回ホクレア号がアオテアロア行きのルートを航海するのは1985年以来のこと。ホクレア号の姉妹船であるヒキカナリア号は2012年にアオテアロアで作られました。2つの船は11月に到着予定。
マラマ・ホヌア世界航海と名づけられたこの航海は、その名の通り地球の環境保護を伝えるという使命があります。環境を保護する為のハワイアンの伝統と知恵を分かち合い、他国のそれを持ちかえります。今回乗組員となったロス氏は語ります。「モロカイに生まれ育った私は、土地を愛すること、地球を守ることを学んできました。それを次の世代に伝える事はとても大切なことです。」
フェスティバル・オブ・アロハ
モロカイ・ホエの為に世界中からたくさんのパドラー達が、フレンドリーアイランド・モロカイに集まり、3日間のフェスティバルが催されました。そして、それはハワイの文化と王を讃える伝統行事のクライアを呼び起こすものでもありました。
司会のリンドン・デラ・クルズさんは言います。「私たちは祖先がどのようにクライアを行っていたのかに重点をおいています。私たちが長い間失っていたものを取り戻すことは大切なことです。」
フェスティバルは最後の王族の入場から始まり、コンサートやコンテスト、パレードなどが週末を彩りました。
モロカイチーム、カイヴィ運河で好成績
モロカイ・ワアカパエムア・カヌークラブのコーチで舵手のボゾ・デュドイット氏は第62回モロカイ・ホエを前に2つの目標を立てました。
“全体で20位以内に入ること、地元チーム内で10位以内に入ること。”結果は、2012年の成績を上回る全体で14位、地元チーム内で9位となり、2つの目標は達成されました。
今年は、ハワイはもちろん香港・日本・カナダ・フランス・オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ本土などから102チームが出場。年齢層も広く、16~18歳のジュニア部門から65歳以上のマスターズ部門まであり、中には3カ国混合チームもありました。
1952年にレースが始まった頃のタイムは8時間55分でしたが、2011年にはその約半分の4時間30分54秒と技術も向上してきています。
ジーンズ・ウェアハウス大盛況
モロカイの人達は、普段あまり行列に並ぶ事はありませんが、10月10日だけは特別でした。カウナカカイに新しくジーンズ・ウェアハウスがオープンし、店の前には朝6時から夜遅くまでたくさんの人が並びました。 アラ・マラマ通りに開店したこの店の前には子供からお年寄りまで、70人近くの人が並びました。ここには8月までモロカイ・ジェネル・ストアがありました。店は定員最大49名ほどの大きさで、当日は入店の人数制限をしなければなりませんでした。
新しい12人の店員の一人、サラさんは話します。「可愛い服を着たい女の子たちはたくさんいます。だけど、他の島に買い物に行ったり、ネットで注文したものを何週間も待ったりするのは大変でした。しかし、この店の場所は本当に便利だと思います。」
ジーンズ・ウェアハウスを経営する会社は、モロカイの人達が島の外に買い物に行っている事を知っていました。しかし、ここに店を出す計画を実現するのに一年以上かかりました。やっとのことで友人を介してモロカイ・ジェネラル・ストアの経営者であるデイビッド・ミカミ、ジョン・ミカミ兄弟と話をすることができました。モロカイ・ジェネラル・ストア閉店に伴い、ミカミ・ファミリーは小売店向けのものであるこの建物を引き継ぐ店を探していたところでした。
「父も叔父も、誰でもよかったわけではなく、地元の会社であることが重要でした。」とモロカイ・ドラッグの社長でデイビッド・ミカミさんの娘のキンバリーさんは語ります。
ジーンズ・ウェアハウスは1986年、リンダ・ホルト氏により創業。現在はオアフ・マウイ・カウアイ・ハワイ・グアムに29の店舗を展開しています。100%従業員持ち株の会社で、従業員は2~3年働くと自社の株を保有する権利を与えられます。アラ・マラマ店の店員は全員モロカイの出身で、これは小さな町カウナカカイにとってはとても大きなことです。
ジーンズ・ウェアハウスで31年働くシンディーさんは話します。「本社はハワイにあり、ハワイを愛する会社です。アラ・マラマ店のオープンは、モロカイの住民にとっても、当社にとっても大きな利益になります。」
ジーンズ・ウェアハウスは子供向けから大人向けまで、服や靴アクセサリーの販売をしています。月曜から土曜までは朝10時から夜8時までの営業、日曜日は朝10時から夜6時までです
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島本来の姿を取り戻す
第二次世界大戦中からカホオラヴェはアメリカ軍がトレーニングで落とす爆弾に占拠され、住民は爆音やミサイル発射時の地鳴りに怯えていました。文化と環境を取り戻す為、何十年もの間、環境回復が訴えられてきました。
カホオラヴェは、ネイティブハワイアン達にとって精神的・文化的中心となる島であるにも関わらず、半世紀の間、島に入る事を禁止されていました。たくさんのネイティブハワイアンがカホオラヴェに立ち入ったとして逮捕されることもあり、1970年人々はこの法律に疑問を唱えました。1976年、Protect Kaho’olawe ‘Ohana (PKO) が設立され、連邦裁判所に爆弾投下訓練をやめるよう訴訟を起こしました。
1982年には、1819年以来初めて伝統のマカヒキセレモニーがカホオラヴェで行われましたが、爆弾投下訓練は1990年まで続きました。
イ・オラ・カナロア計画と呼ばれるカホオラヴェの古代の名前がつけられたプロジェクトは、PKOとカホオラヴェ保護委員会、ハワイアン問題委員会のメンバーからなり、2016年~2026年の50年間、カホオラヴェが占領されてきた年数をかけて環境回復に努める事を決定しました。
爆弾を取り除く為にこれまで400万ドルを費やしてきましたが、それでも資金が足らず、2004年以来作業は中断されたままになっています。国の歴史地区として登録されているカホオラヴェの島の23%にはまだ不発弾が残っています。
PKOは島の自然と文化を甦らせるために年内にプロジェクトの内容を完成させる事を目標にしています。
退役軍人センター完成間近
資金不足の為に遅れていた退役軍人センターの建築が、約10年をかけついに完成間近となりました。施設は年内完成予定で、施設内には厨房やミーティングエリアなどが設備され、博物館も作られる予定です。
ダン・イアエア氏は亡くなった友人のジョセ・デュドイット氏との約束を守る為、奥さんと共に施設周りの造園のボランティアを169時間しました。
退役軍人センターのミーティングでは、施設のメンテナンス・イベントの企画などの為の委員の登録を募り、タイル・メモリアル・ウォールと呼ばれる資金集めの企画も進行中です。
そして、退役軍人組合のハファーマン医師が退職した後の医療についての話し合いも始まりました。マウイからリハビリカウンセラーが週一回、米国退役軍人福祉局のカウンセラーが二ヶ月に一回訪問していますが、経費不足のため、しばらく訪問を見合わせる事になりました。ハファーマン医師はホノルルから週一回医師を派遣してもらうか、長期滞在できる医師を見つけるかという選択肢を提案。
今後もこの委員会役員によるミーティングは定期的に行われる予定です。
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いじめを見逃さない
いじめ対策家族会は、10月17日、モロカイ図書館の芝生でプラカード運動を行います。地域の皆さんの参加も受け付けています。
参加者はいじめを見逃さないことのシンボルカラーの青色の服を着て、自作のプラカードを持って来る事。10月はいじめの発見・予防月間です。子供たちの為に地域を良くしていきましょう。
モロカイフットボールチーム準決勝進出
10月11日のハナ・ドラゴンズ戦はクウォーターバックの怪我から始まったものの、シーズン最後となるこのホームゲームをみごと勝利で飾りました。これにより、レギュラーリーグ2位、マウイリーグ準決勝進出が決まりました。
モロカイファーマーズのシーズン最後の試合は10月18日、そして10月30日にマウイリーグの準決勝を迎えます。
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週間イベント情報