Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

"命を美しく演出する"ことは難しい

2020.10.01 21:36



命というものは、
儚いからこそ、尊く、
厳かに美しいのだ。


-トーマス・マン




ドイツの小説家である彼はこう残した。



また、日本を代表するアイドル

乃木坂46にも


「命は美しい」


というタイトルの曲がある。






"命は美しい”





 これは世界中のどんな国でも

”共通認識”である、と私は思う。








先日、私はテレビの特集で

「アートアクアリウム」を見た。



何百匹もの金魚が

水槽、光、闇によって

芸術として展示されている

アートアクアリウム。



実際、

「生命の宿る美術館」

というキャッチコピーや

”生命のダイナミズムが忘れかけていた
日本の美意識を思い出させる”

という言葉から



"アートとしての生命"

が表現されていることがわかる。







私は高校生の頃に一度、

この展示を目にしている。



「金魚が万華鏡のようで綺麗だった」

と感想をもった。





それから6年。


テレビを通して展示を見た私の感想は

高校生の頃とは違った。





6年も続く「アートアクアリウム」、

人気を博しているからこそ今も続いている。





展示に際して、一生懸命に企画した方、

そして楽しく観覧した方のことを

責めるつもりは全くないが、

 私は「アートアクアリウム」から



「すでに美しい命を

より美しいものとして
演出することは難しい」


と思った。




私の祖母だって

家の玄関を風流にするために

金魚を飼っていたし、


私も幼少期には

動物園、水族館を楽しく観覧した。




家を飾るためのお花、

公園を賑わすための木々、

道路を彩るための街路樹。




動物や植物たちは

人間の都合で

命が演出されることを

許してくれた。



彼らは「許す、許さない」などと

思ってはいないだろうが。






アートアクアリウムも

金魚たちが光に照らされること、

水草のない水槽を泳ぐことで

“生命の宿る美術館”になる。



金魚たちは自らの命で

演出を担ってくれた。





「命は美しい」





金魚1匹の命、


たった1匹でも

儚く尊く、厳かに美しい命だ。





すでに美しい命を

「より美しいもの」として演出する。


「命を美しく演出する」



私はこれを

「難しいことだ」と思った。






アートアクアリウム、

美しい命をより美しく演出してまで

伝えたいものとは何なのか?




”生命のダイナミズムが忘れかけていた
日本の美意識を思い出させる”ため

なのだろうか?





私は、

「私たちが忘れかけていた
 ”命の美しさ”を思い出させるため」

だと思いたかった。







今この文章を読んでいるあなたも、

そしてあなたの家族も友人も、恋人も。

まだ会ったことのない人の命も美しい。





誰かに演出されなくても、
誰かに演出してもらわなくても
命は美しい。





私はテレビ越しに、

悠々と泳ぐ1匹の金魚をみて思った。



どんな命も美しい、

命絶えるその時まで。



決してその命が

美しく演出されていなくても。