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喜雲寺 KIUNJI

「半眼の心」(2020年9月6日放送分)エフエム岩手 「SUNDAY坊主BAR」

2020.10.02 01:28

月1回の放送になりましたエフエム岩手「SUNDAY坊主BAR」ですが、

ラジオでお話ししたことを文字起こししたり、

話せなかったことをピックアップして定期的に書きたいと思っています。


今日は、9月6日放送の秀吾録のコーナーでお話しした「半眼の心」について。


※ページの下部に音声データのリンクを貼っています。(36:30~)

内容を要約すると以下の通りです。


1、 半眼とは半分見て、半分見ないこと。


2、 見ることと見ないことのメリット・デメリット

3、 見たいものだけを見る時代


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1、半眼(はんがん)とは


半眼(はんがん)とは、目を閉じているのでもなく、目も開いているでもない、半分開いている状態のことです。


仏像も多くは半眼です。


これは、半分は外の世界を見て、半分は内なる心を見ている状態と言われています。


曹洞宗では、坐禅の時は「半眼にしてください」と指導する場合が多いです。


しかし、わたしの坐禅会では、そのような指導をしていません。


坐禅の指導方法については、詳細は省きますが、

眼の状態は、閉じても開けても問題ありません。


明るいと思えば目をつぶればいいし、

開けても気にならなければそのままでOKです。


どちらかにこだわってしまうことが問題で、

「半眼の心」は開閉という分別から離れることが大切なのです。

2、「見ること」と「見ないこと」のメリット・デメリット


放送では、ゴダールのある映画のセリフを紹介しました。


「努めて物事を見ること。努めて物事を想像すること。前者は“目を開けて見よ"、後者は、“目を閉じよ"ということだ。」


映画『アワーミュージック』(2004)(ジャン・リュック・ゴダール)でのセリフです。


目の前の物事をじっくり見ることは大切ですけれども、時にはそれが、裏にある真実の姿を見えなくさせてしまうことがあります。


逆に目を閉じて想像することで、その真実に近づけることもありますが、見えないことで妄想に振り回されてしまうこともあります。


私たちは、目に見えるルールがあると、どうしてもそれを拠り所にしてしまう。


こうでなければならないと思って、それに苦しんでしまう。それなら目をつぶってもいいかもしれません。


しかし、ルールを無視して、危険を見ずに突き進むことで、ケガをしてしまうこともあるでしょう。


「眼を開く、閉じる」


どちらかに偏り過ぎてしまうことは、人生を豊かにしません。


悩みを抱えたとしても、「しっかり見ること」「しっかり想像する」、この「半眼の心」で向き合えば、解決策が生まれるかもしれませんね。

3、見たいものだけを見る時代


悩み相談などを受けていると、

「しっかり見ること」よりも

「しっかりと想像すること」が不足しているような気がします。


今は、情報があふれていると同時に、情報をコントロールすることが容易になっています。


「見たいものだけを見る」

そんなことができる時代になっています。


ネット検索やTwitterなど、自分が見たいものだけをピックアップしていれば、その情報だけで生活することができます。


私もTwitterをよく利用しますが、

わざわざ自分が嫌いな人のことをフォローしたいと思わないですし、

そういった人とは、自然と距離を置いてしまいます。


そんな状況でネットに触れていると、

自動的に自分の考えに近い人、親和性の高い情報に囲まれてしまいます。


これは、本当に危険です。


まるで、世界は自分と同じような考えの人だけで出来上がっているような錯覚に陥ります。


しかし、現実は違います。


様々な考え方、価値観の人がいることを「しっかりと想像する」ことが大切です。


「見たいものだけを見る」そんな時代だからこそ、

「見たくないものも見る」ことや

「見たものの先にあるものを想像する」ことが大切なのだと感じています。


※下部のリンク(ラジオクラウド)にて音声が聴けます。(36:30~)


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