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Silent White Moon

sweet Filling 12

2020.10.03 12:00



えみりはベッドに横たわり、小さく呻き声をあげ続けていた。点滴を刺されている右腕以外は、包帯で覆われていた。

胸の上に置かれた左腕は腕の付け根から掌まで、シーネと包帯でしっかり固定されている。両脚は膝を軽く曲げた状態で、足先から膝上まで固定され、架台にのせられていた。僅かに覗くつま先は腫れ上がり、時折痙攣するように動いた。


男の強襲から3日。意識は戻らないままだった。




まゆを見舞ったえみりの精神状態を概観して、ハセガワはまゆが運ばれたと聞いた病院に車を飛ばしていた。えみりの心情を思うと、ハンドルを握る手に力が入った。包帯を巻かれた右手が痛む

取り乱してしまっていたら、実家に連れて帰ろう。


ハセガワは小さくため息を吐く。


実家にはもう何年も帰っていなかったが、ひとり暮らしの男の自宅で2人きりになるわけにはいかなかった。


薄暗い駐車場に喫煙所を見つけて、タバコに火を着けた。いつものように吸い込んだ空気が、肋骨に突き刺さる。思わずしゃがみ込むと、ゆらゆらと煙が漂う。えみりの言う通り甘い、匂いだ。


スマホが鳴った。表示されたえみりの名前を見て、急いでタバコの火を消した。


まゆの状態と、今日はまゆの自宅に泊まらせてもらうと聞いて、ハセガワは肩の力を抜いた。電話の向こうのえみりの声は冷たく震えている。


大丈夫だよ、という無責任な言葉は、今回ばかりはかけられない。



「うん、ありがとう。俺は大丈夫。何かあったらまたいつでも言って。どんなに遅い時間でも気にしなくていいから。明日の朝も迎えが必要だったら」


言葉を選びたかったが次々と言葉があふれ出た。

ブーッとバイブレーションの音がした。しばらく沈黙が続いた後に、やだ、とえみりの悲鳴のような声が聞こえた。


「えみりちゃん?」


返答はない。


「えみりちゃん、どうしたの?」


カシャン、と軽い金属の音に続いて革靴が床を擦るような音が聞こえる。足音にしては不規則な、まるで足を引きずって歩いているような音だった。音はだんだん小さくなっていく。ハセガワはスマホを耳に当て、えみりに呼びかけながら救急の入り口に走った。整形外科は3階だった。一気に駆け上がる。息が上がり、肋骨が擦れるような感触があったが気にしてはいられない。


廊下に松葉杖と、スマホが落ちていた。

少し先のトイレから、聞き覚えのある声がした。



ハセガワがドアをこじ開けて中に飛び込んだ瞬間、男が振り上げたバッドはえみりの左腕に食い込んだ。頭を守ろうと咄嗟に腕をかざしたが、それも虚しくえみりは頭を弾かれたように後ろに倒れた。

男は笑いながら、ハセガワに向かって来たが駆けつけた数人の警察官に取り押さえられ、電池が切れたように大人しくなった。折られた肋骨と右手が、脈打つように痛む。


「えみりちゃん…」


咄嗟に抱き起したえみりの顔を、赤い液体が伝う。えみりはうっすらと目を開ける。ごめんなさい、とだけ呟くと首を傾げるような形で意識を失った。


すぐに検査と緊急手術が行われた。酷く折れて変形した左腕と右足は、金属のプレートやボルトで固定された。左膝は靭帯の再建と、割れてしまった膝の骨を針金で繋ぎ合わせる手術が行われた。頭部に裂傷があったが、幸いにも大事には至っていなかった。



「えみりを守っていただいたそうで、なんとお礼を申し上げていいのか…」


えみりの病室を訪れたハセガワに、やつれた顔をした母親は深々と頭を下げた。


「いえ、俺はなにも。少し休まれてください。警察も、お母さんに話があると言っていましたし、代わります」


ドアの隙間から刑事が顔を覗かせる。母親はもう一度ハセガワに頭を下げると、足早に病室を出て行った。



えみりの手術が行われた翌日、母親は大きな荷物を持って病室を訪れた。その顔は憔悴しきっており、えみりの横で泣き崩れた。


約1週間前、えみりが救急車で運ばれた日。

仕事中だったえみりの母親に、マンションの大家から連絡があったそうだ。すぐに上司に報告し、帰国したいと申し出た。しかしその時点で出国禁止令が出てしまっていたという。

働いている研究所で、未知のウィルスが発生していた。国からの指示により、外部との連絡手段は全て断たれた。職員全員がすぐに検査を受けたが、結果が出るのは早くて5日後と告げられたという。



母親がえみりと連絡を取れないでいる数日の間に、えみりの身体は壊されてしまった。

えみりの身体には、後遺症が残る可能性があると告げら、母親は医師からの説明を聞き終わるとすぐに上司に退職の意を伝えた。




「えみりちゃん、そろそろ目を覚まして…」


ハセガワはえみりの右手を握る。熱を持ったえみりの手が、僅かに動いた。


「えみりちゃん、分かる?」


「ハセ、が…」


「もう大丈夫だからね。お母さん呼んでくるよ」


そう言って立ち上がろうとしたハセガワの手を、えみりは強く握り返した。


「ごめん…な、さ…ありが、とう…」


「どういたしまして」


ハセガワはにっこりと笑う。えみりはまたゆっくりとその目を瞑った。


ハセガワが廊下に出ると、えみりの母親が立ち尽くしていた。


「えみりちゃん、意識が戻ってきたみたいです。看護師さんに知らせて、そのまま失礼しようと思います」


「…今、警察に色々訊かれました。えみりのこと。でも…私は何もあの子のことを知らないんです。私が…あの子のそばにいる権利は、ないんです」


えみりの母親は、廊下の先を見つめたまま言った。


「えみりちゃんは、きちんと理解していると思います。俺にも少し話してくれました。忙しく働いてくれているって、少し寂しいけれどって」


赤く腫れた目をハセガワに向けたえみりの母親は、小さく首を横に振った。


「どうして俺を慕ってくれるのって、聞いたことがあったんです。怪しいとか、危険だって思わないの?って。そしたら『ハセガワさん、ピアスいっぱい開けてるけどほぼ全部塞がってるから、今はもう大丈夫だと思った』って。えみりちゃんは、よく人を観ています。だからまず、見つめてあげて、見守ってあげてください。そして彼女の話を聞いてあげてほしいです」


知ったような口きいてすみません、とハセガワは言うと軽く頭を下げて廊下を進んだ。

軽く鼻をすすると、こみ上げるものを押し込むように深く息を飲み込んだ。