『ラストレースへの想い』・佐藤友哉
4年生にとってラストレースとなる全日本大学選手権(インカレ)が近づいています。そこで、引退前の4年生にブログを書いてもらいました!
各自様々な想いを綴っています。是非ご一読ください!!
今回の担当は 佐藤友哉(文・長野=諏訪清陵)です。
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思考の整理です
ラストレースと一口に言っても、選手たちのように明確な「終わり」があるわけではない。早稲田クルーの有無に関わらず私にとってのラストレースは男子エイト決勝でしかないのだから。(この意味では選手以上に、あまりに予定調和な「終わり」は存在するのか?)
私は大会本部でレースを見届け、白旗が上がり次第すぐに撤収の指示を出すだろう。その時私は安堵できたら嬉しい。選手たちが安全にレースを終え、公正な審判の下着順がつけられたのであれば、学連理事長としてそれ以上求めるものはない。
多くの大会に携わってきたが、運営に落ち度がなかったと断言できる大会など一度もなかった。ある時はタイム計測ミスがあり、ある時は過呼吸選手のレスキューに手間取り、またある時には浮藻の影響でレースを中止してしまうこともあった。しかし大会は必ず無事に閉会する。どんなトラブルが起きようと、必ず閉会する。そこにどんなカラクリがあるのだろう?
学連理事長という重責に就き、暗中模索の1年が過ぎた。昨年10月に未曾有の台風被害を受けコースが壊滅した際には、2週間後に控える全日本新人の開催だけを盲目に信じ、ひたすら復旧作業に明け暮れた。オフシーズンには早慶レガッタ準備と並行して、戸田の設備を整理、点検し、お花見や対校戦に備えた。コロナ禍で全てが中止されても、秋の大会は開催できると信じ、藻刈りやコース整備を続けた。こうして振り返ると、まさに大会を開催するために奔走してきた一年だったと実感する。
我々の代にいよいよ引退が迫り、少ない実践機会の中で下の代へなんとか引き継ぎをしている。最近やっと暗闇の中で盲目に手探ってきた過去の自分を俯瞰できるようになった。大会開催はあくまで通過点でしかない。大会を無事に閉会させることこそが学連の意義なのか。先輩方は今まで何十年もその意義を果たしてきたのか。おそらく一度の例外もなく。
下の代が必死に吸収しようとする姿から私も多くのことに気づかされるものだ。きっと来年の今頃、お前たちもこんなことを思っているよ。下田に読まれていないことを願いつつ、書かずにはいられないものだなあ。お前たちが必死に開催しようとしている大会、俺はもう無事に終わることを願ってしまうよ。