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松浦信孝の読書帳

医療と読書

2020.10.22 14:40

これは、自分が十年以上前から感じている、医療をやる上での核心となる話。


「読書」と言う言葉ほど一般化され誤解を生むワードはない。どんな本を読むか、何を思って読むか、どこに傍線を引くかで、その効用は様々である。


そんな中で僕が本を読む理由。それは、「医療には霊性が必要だ」という直感に従っているからである。

今日この記事を世に問うことで、善良なる医療者の諸先輩方から、ありがたい示唆の言葉をいただくこともあるだろう。本日、この記事に限っては、敢えて丁重に全てお断りさせて頂く。


この思想は僕という存在の根幹を為すもので、これを捨てるときは、僕は医療者を辞める時だからだ。


早速本題に入る。

医療に霊性を持ち込む、とは、胡散臭い加持祈祷を行うとか、スピリチュアル的な要素を取り入れるとかでは無い。


ただ、現代医学が科学に従順である余りに消してしまった、現在の科学では証明不可能だけれど過去から連綿と続く実証された真理、を取り戻したい。その一念である。


この、医療には霊性が必要、というのは最近やっと言語化できたものになる。

それまでは、文学や芸術を医療に、と漠然と考えていた。


ただ、臨床に出て、COVID-19に想像以上に翻弄されている世界を見て、医療者でありながら、医療にもたれ掛からない人格形成の重要性と、歴とした科学の一象限として、絶えず反証可能性と、未証明の領域に敬意を払う姿勢が改めて見直される必要性を感じ取ってしまった。


素粒子だって観測によって挙動を変えるということが明らかになっている。医学に於いても既存の枠組みを根底から疑っても良いのでは無かろうか。


現在の医学は素晴らしく、治せる病気は大体治せる。しかし、確固たる治療手段が確立されない分野に対しての対応はぼんやりしている。歯科領域でも、舌痛症、顎顔面痛、味覚異常、顎関節症など、お茶を濁すような対応になってしまう疾患が一定数存在する。


また、これは医療者になる前、中学生から抱いている疑念なので許して欲しいと思うが、癌治療に対する不信感が、勉強しながらも自分の中で消えない。


癌というものは、細菌やウイルスとは異なり、徹頭徹尾自分の細胞から成る。「身から出た錆」というのは表現が悪いが、まぎれもなく自分を構成する一要素である。

面白いことに、性格上の欠点は癖として受け入れるのに、身体上の問題点は、やれ外科手術だ、やれ化学療法だ、放射線照射だ、と徹底的に叩きつぶす、切り離すアプローチが主流である。


コインの表と裏を切り分けなさい、という違和感に近い。


それで救われる人が居るのは確かであるし、患者本人が求めて行うのならそれでいいと思う。


ただ、僕には現在の標準治療が最終形態とは感じられないのである。もしiPS細胞による再生療法が人口に膾炙する時代が来たとしても、本質の問題は解決されないと思っている。


癌は患者が悪いわけでは無い。勿論全ての癌に当てはまるわけでは無いが、年月を掛けて積み重ねてきたエラーの集積が、そうした現象になってしまっていることも一部事実ではある。そうした年月の積み重ねを、一回の手術、数ヶ月の抗がん剤治療や放射線照射で、全て綺麗に無かったことに出来るのか、という疑念が常にまとわりついてくるのである。


だから僕にとって、現在の癌に対する標準治療は、どれだけ現在最高の治療だとしても、家族が、自分が罹患したら、その治療を薦めたいと思えないのが本心のところである。


ここに切り込むのは論理の積み重ねによる医学研究では無い様に思う。昔から長寿の人は沢山居て、癌にならずに亡くなっていった人も数多居る。そんな人々に習う術は、一見非論理的で、「あやしく」見えるような一筋の霊性で手繰り寄せていくしか無いと、僕個人は強く感じているのである。


今日のテーマは非常に難しい。繊細なテーマに敢えて切り込んでいて、これを読んで傷つく方が居る可能性も重々承知の上ではある。

だけど、言わずにはおれない。そんなどうしようもない確信の話である。