季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句①
https://jikan.at.webry.info/201408/article_3.html 【季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句 その1】 より
日本人は、夕焼けの赤い空を見上げ、恋人のことを思ったり、一日が終わる無常観に人生をはかなんだりととても切ない気持ちにしてきました。しかし、みなさんは俳句の世界で季語としての「夕焼」はどの季節にあたると思いますか?たぶん大半の日本人は秋と答えるのではないでしょうか。秋の澄み切った空を赤く染めながら西の山に沈んでゆく、そんな風景を心の中に皆様もお持ちかと思います。
しかし、俳句の世界では、「夕焼」は、夏とされています。なぜそうなったのか自分なりに検証してみたいと思います。
なお、季節の感覚は、俳句の決まりである旧暦で、夏と秋の境は立秋の8月上旬(7日前後)と考えておりますので、現代の感覚とは若干ずれます。
季語とは
季語を広辞苑で引いてみると、「連歌・連句・俳句で、句の季節を示すためによみこむように特に定められた語。季の詞。季題」ということで、俳句を作る上で必須となっている言葉であり、古典和歌などから、古今東西の各自の共通の認識を持つために選んだもので、俳句を作る人たちが合意しなければならないものです。子規の「俳諧大要」でも「俳句に於ける四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。」とあります。
一般的には俳句を作る際には、歳時記や季寄せと呼ばれる季語を集めた辞書の言葉を必ずいれなければなりません。
暦が太陰太陽暦から太陽暦のグレゴリオ暦に変わった明治5年の12月にも、規則を定め、対応してました。ただし、明治時代には、想定していない人間の活動領域の広域化で北海道と九州沖縄の気温の差の認識の違いが生じています。また、地球温暖化の影響で、10月に入っても夏日を記録している状況では、いずれは紅葉は冬の季語とせざるを得なくなるかもしれません。
季語における「夕焼」
「夕焼」を「最新俳句歳時記 夏」(山本謙吉編 文藝春秋社)で引いてみると「とくに夏とはかぎらないが、真夏の頃真黄色に夕焼けた景色の壮快さから、夏の季語としている。もっとも真夏の旱つづきには、夕焼けをみることが多い。」としております。他の歳時記や季語辞典もさして変わりないことがわかりました。ほぼ文面が同じで「太陽光線が大気中の空気分子や浮遊微粒子によって散乱・・・」と宮沢賢治風の一見文学的というよりも科学的な表現であり、が突然「爽快な印象・・・」と急に文学的な表現になることが共通しており、引用本になった歳時記が存在すると思われます。
この「爽快」というイメージにどうもなっとくはいかない。日が暮れて夕闇が迫っても、大暑の頃はまとわりつくような暑さで、夕涼みといいながら汗がにじみ出て内輪で仰いでいる。その汗にはコンクリートが無い時代には、土ぼこりがまとわりついて薄汚れて、日焼けの色を更に濃くしている。夕涼みをしていると薮蚊に刺されて掻いた跡に血がにじむ。とても「爽快」とは思えません。
童謡における「夕焼」と季節
皆さんが思い浮かべる夕焼けの童謡はたぶん「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘がなる~。」の中村雨紅(本名:高井宮吉)が大正12年『文化楽譜あたらしい童謡その1』に刊行された中に掲載されていた「夕焼小焼」で、少年時代を過ごした八王子市上恩方町での風景といわれています。この歌の季節を検証してみると、特に季節がわかる歌詞は書いていないが、2番の歌詞をみると「子供が帰った後からは円い大きなお月様」とあり、特に季節を書かない月は秋とするのが古来からのイメージであり、仲秋の満月を特に名月としてきました。また「からすと一緒に帰りましょう」とあり、後で述べる枕草子の「秋は夕暮。・・・からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。」とあり、そのイメージがあったのではないでしょうか。そこで私としては、やはり秋と推計できると思います。推計の域を出ないですが。
次に思い浮かぶのは、同じ出だしの三木露風作詞(本名:操)の「赤蜻蛉」でしょう。「夕焼小焼の赤とんぼ~」と赤とんぼは、季節ははっきりと秋としています。三木露風は、兵庫県龍野市で生まれ、その郷愁を函館のトラビスト教会で作り、大正10年に童謡集「真珠島」で発表されて以来、名曲として日本人に歌い継がれております。
ちなみに両歌に共通の「夕焼小焼」の最初の作品例は、調べた限りでは、大正4年に北原白秋の「石崖に子ども七人腰かけて河豚を釣り居り夕焼小焼」(雲母集)と思われます。白秋は、大正7年に「赤い鳥」の児童詩の担当となっていますので、両詩人とも白秋の歌を参考にしたのかもしれません。
「とんぼのめがね」(額賀誠志作詞)でも「とんぼのめがねは赤いろめがね夕焼雲をとんだからとんだから」と夕焼けと秋のとんぼを重ねています。
「紅葉」(高野辰之作詞)でも「秋の夕日に照る山紅葉~」で始まります。
「まっかだな~まっかだな~」で始まる「真赤な秋」(薩摩忠)でも「沈む夕日にてらされて」「夕焼け雲をゆびさして」と言うまでもなく秋としています。
以上のように童謡として歌いながら、日本人の心の中に小さい頃からすり込まれている「夕焼けは秋」というイメージが、大正時代の作詞家にも我々にも強いことがわかります。
https://jikan.at.webry.info/201408/article_4.html 【季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句 その2】 より
万葉集と「夕焼」
万葉集の中でさすがに「夕焼」というのはありませんが、(万葉集の訓は諸説あるので確証はありませんが。。。)日が入る風景を詠んだ最初が
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比沙之 今夜乃月夜 清明己曾
わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜清明けくこそ
(巻1 15 天智天皇)※清明己曾は様々な訓の説があります。
であると思われます。この歌が歌われたのは、斉明天皇7年(661年)1月と推計されています。(万葉百歌 山本謙吉池田弥三郎共著参照)それ以外で見つけたものは
※万葉仮名は探し難く、全歌とはいきませんでした。
留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家当不見
ともしびの明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず (巻3 254 柿本人麻呂)
何処 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者
何処にか吾は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば (巻3 275 高市黒人)
玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏○ ※○雨かんむりに微
たまさかる夕去り来ればさつ人の夕月がたけに霞たなびく (巻3 18 )
久方之 天芳山 此夕 霞霏○ 春立下 ※○雨かんむりに微
ひさかたの天の香具山このゆうべ霞たなびく春立つらしも(巻101812 柿本人麻呂家集歌)
此暮 秋風吹奴 白露尓 荒争芽子之 明日将咲見
この夕べ秋風吹けど白露のあらそう萩の明日咲き見む (巻10 2102 よみ人知らず)
暮影 来鳴日日象之 幾許 毎日聞跡 不足音可聞 夕影にきなくひぐらしのここだくも日
とに飽かぬ声かも (巻10 2157)
夕去者 於君将相跡 念許憎 日之晩毛 悦有家礼
夕されば君にあはむと思へこそ日の暮るらくもうれしくありけれ(巻122922よみ人知らず)
春日野尓 照有暮日之 外耳 君乎相見 今曽憎寸
春日野に照れる夕日の外のみに君を相見て今そ悔しき (巻12 3001 よみ人知らず)
由布佐礼婆 美夜朝乎左良奴 尓努具母能 安是可多要牟等 伊比之児呂婆母
夕されば深山を去らぬにの雲のあぜかた染むといひし頃はも (巻14 3513)
春野尓 霞多奈毘伎 宇良悲 許能暮影尓 鶯奈久母
春の野に霞たなびきうらがなしこの夕光に鶯鳴くかも (巻19 4290 大伴家持)
があります。探した中では、意外と春の歌が多く見受けられ、万葉の時代には春のイメージがあったのかもしれません。
平安期の「夕暮」
夕暮について有名なのは、やはり清少納言の枕草子の「秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」とあります。清少納言だけでなく、多くの歌人たちが、「秋」と「夕暮」を愛し、歌にしてきてきました。
7大勅撰集の中で、「夕暮」他はどのように撰歌されてきたかを語句とともに調べてみると
平安時代の勅撰和歌集の夕暮の歌
勅撰集 巻 番号 単語 歌 歌 人 季節
古今 秋上 204 日暮 ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山のかげにぞありける よみ人知らず 秋
古今 秋上 205 夕暮 ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかにとふ人もなし よみ人知らず 秋
古今 秋上 244 夕影 我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影の大和撫子 素性法師 秋
古今 冬 317 夕されば 夕されば衣手寒しみ吉野の吉野の山にみ雪降るらし よみ人知らず 冬
古今 離別歌 392 夕暮 夕暮れのまがきは山と見えななむ夜は越えじと宿りとるべく 僧正遍照 無季
古今 戀歌一 484 夕暮 夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を戀ふとて よみ人知らず 無季
古今 戀歌一 515 夕暮 唐衣日も夕暮れになる時は返す返すぞ人は戀しき よみ人知らず 無季
古今 戀歌一 545 夕されば 夕さればいとどひがたき我が袖に秋の露さへ置きそはりつつ よみ人知らず 秋
古今 戀歌一 546 秋の夕べ いつとても戀しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり よみ人知らず 秋
古今 戀歌二 555 暮るる 秋風の身に寒ければつれもなき人をぞたのむ暮るる夜ごとに 素性法師 秋
古今 戀歌二 562 夕されば 夕されば蛍よりけにもゆれども光見ねばや人のつれなき 紀友則 夏
古今 戀歌五 772 夕暮 こめやとは思ふものからひぐらしの鳴く夕暮れは立ち待たれつつ よみ人知らず 秋
古今 戀歌五 777 夕暮 來ぬ人を待つ夕暮れの秋風はいかに吹けばかわびしかるらむ よみ人知らず 秋
古今 戀歌五 815 夕されば 夕されば人なき床をうちはらひなげかむためとなれる我が身か よみ人知らず 無季
古今 哀傷歌 838 暮れぬ間 明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の今日は人こそかなしかりけれ 紀貫之 無季
古今 哀傷歌 846 日暮 草深き霞の谷にかげ隠し照る日の暮れし今日にやはあらぬ 文屋康秀 春
古今 1103 夕暮 こし時とこひつつをればゆふぐれのおもかげにのみ見えわたるかな よみ人知らず 無季
後撰 春下 141 夕暮 をしめども春の限のけふの又ゆふぐれにさへなりにけるかな よみ人知らず 春
後撰 秋上 221 夕暮 秋風のうちふきそむるゆふぐれはそらに心ぞわびしかりける よみ人知らず 秋
後撰 秋上 231 夕暮 こひこひてあはむと思ふゆうぐれはたなばたつめもかくぞあるらし よみ人知らず 秋
後撰 秋上 254 入り日 ひぐらしの声きく山のちかけれやなきつるなへにいり日さすらむ 紀貫之 秋
後撰 秋上 254 夕暮 くやくやとまつゆふぐれと今はとてかへる朝といづれまされり 元良親王 秋
後撰 恋一 511 夕暮 ゆふぐれは松にもかかる白露のおくる朝やきへははつらむ 藤原かつみ 秋
後撰 恋四 856 夕暮 かげろふのほのめきつればゆふぐれの夢かとのみぞ身をたどりつる よみ人知らず 春
後拾遺 秋上 266 夕暮 いろいろのはなのひもとくゆふぐれにちよ松むしのこゑぞきこゆる 淸原元輔 秋
後拾遺 秋上 302 秋の夕暮 きみなくてあれたるやどのあさぢふにうづらなくなり秋のゆふぐれ 源時綱 秋
後拾遺 秋上 333 秋の夕暮 さびしさにやどたちいでてながむればいづくもおなじあきのゆふぐれ 良暹法師 秋
後拾遺 秋下 374 夕暮 あきはただけふばかりぞとながむればゆうぐれにさへなりにけるかな 法眼源賢 秋
後拾遺 秋下 375 秋の夕暮 としつもる人こそいとどをしまるれけふばかりなるあきのゆふぐれ 大弐資通 秋
後拾遺 秋下 371 夕日 ゆふひさすすそののすすきかたよりにまねくやあきをおくるなるらむ 源頼綱朝臣 秋
後拾遺 哀傷 554 秋の夕暮 いかばかりさびしかるらんこがらしのふきにしやどの秋のゆふぐれ 右大臣北方 秋
後拾遺 雑三 1010 夕暮は つねよりもはかなきころのゆふぐれはなくなる人ぞかぞへられける 堀川右大臣 無季
後拾遺 雑四 1038 秋の夕暮 おもひやる心さへこそさびしけれおほはらやまのあきのゆふぐれ 藤原国房 秋
金葉 春 80 入り日 いりひさすゆふくれなゐのいろはえて山したてらすいはつつじかな 摂政家参河 春
金葉 秋 239 秋の夕暮 うづらなくまのおいりえのはまかぜにをばななみよる秋のゆふぐれ 源俊頼 秋
金葉 雑部上 568 入り日 ひぐらしのこゑばかりするいばのとはいりひのさすにまかせてぞ見る 修理大夫顕季 無季
詞花 秋 107 秋の夕暮 ひとりゐてながむるやどの荻の葉にかぜこそわたれあきのゆぐれ 源道済 秋
詞花 秋 121 夕暮の声 ふるさとにかはらざりけりすずむしのなるみののべのゆふぐれのこゑ 橘為仲朝臣 秋
詞花 恋下 249 夕暮 ゆふぐれにもの思ふことはまさるやとわれならざらむ人にとはばや 和泉式部 無季
詞花 恋下 270 夕暮 ゆうぐれはまたれしものをいまはただゆくらむかたをおもひこそやれ 相模 無季
詞花 雑下 357 夕暮 ゆうぐれはものぞかなしきかねのおとをあすもきくべき身とししらねば 和泉式部 無季
詞花 雑下 394 夕間暮 ゆふまぐれこしげきにはをながめつつこの葉とともにおつるなみだか 少将義孝 秋
千載 春下 124 夕暮の空 ながむればおもひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕ぐれのそら 式子内親王 春
千載 春下 126 入り日 いり日さす山のはさへぞうらめしきくれずは春のかへらましやは 久我内大臣 春
千載 秋上 235 夕暮の空 たなばたの心のうちやいかならむまちこしけふの夕ぐれの空 摂政前右大臣 秋
千載 秋上 260 秋の夕暮 なにとなく物ぞかなしきすがはらやふしみのさとの秋の夕ぐれ 源俊頼朝臣 秋
千載 秋上 266 夕間暮 夕まぐれをぎふくかぜのおときけばたもとよりこそ露はこぼれる 藤原季経朝臣 秋
千載 秋上 278 夕暮の空 出でぬより月みよとこそさえにけれをばすて山のゆふぐれの空 藤原隆信朝臣 秋
千載 秋下 306 夕暮 夕ぐれはをのの萩はらふく風にさびしくもあるか鹿のなくなr 藤原正家朝臣 秋
千載 秋下 321 夕間暮 夕まぐれさてもや秋はかなしきと鹿のねきかぬ人にとはばや 道因法師 秋
千載 秋下 322 秋の夕べ つねよりも秋の夕べをあはれとはしかのねにてやおもひそめけん 賀茂政平 秋
千載 羇旅 544 夕暮の空 いはねふみ嶺のしひしばをりしきて雲にやどかるゆふぐれの空 寂蓮法師 無季
千載 恋四 844 秋の夕暮 まつとてもかばからいこそはあらましかおもひもかけぬ秋の夕ぐれ 和泉式部 秋
千載 恋五 954 夕暮 なき人をおもひ出でたる夕ぐれはうらみしことぞくやしかりける 仁和寺後入道法親王 無季
https://jikan.at.webry.info/201408/article_5.html 【季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句 その3】 より
新古今和歌集における「夕焼」
新古今和歌集(和歌の世界)では、夕焼けという単語は見あたらず、比較的新しい単語と思われます。それに変わる表現としては、「夕暮」と「夕日」、「夕べ」、「夕闇」、「入り日」があり、それらのキーワードで検索すると80首見つかり、それを一首一首検証したところ表のようになりました。
四季以外の首では、一部私の主観も入っていることから反論もあるかとは思いますが、半数弱と圧倒的に秋が多いことがわかります。特に「秋歌上」の秋の前半期が17首と圧倒的に多いことがわかります。
「秋歌上」の代表的な「夕暮れ」の歌は、「三夕」と呼ばれる
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮 寂蓮
心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ 西行
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ 定家
があげられます。
「秋歌下」の代表的な歌は寂蓮の百人一首にも撰ばれた晩秋の情景の
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ
と秋の四首とも寂寞とした夕暮の「あはれ」を歌っております。
春の夕暮の歌で、新古今集の中で秀でているのは、後鳥羽院の
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ
があげられます。しかしこの歌も「秋の夕暮」と比較して春の夕暮も捨てたものではないと歌っているので、意識としては「秋の夕暮」のイメージが新古今集の時代にも固定されていると考えてよいかと思います。
冬の夕暮れの歌は、定家の 駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ
と日が沈みかかっているのに宿の見つからない不安の旅中の情景を歌ったものです。
羇旅歌にも多くみられ、鴨長明の
枕とていづれの草に契るらむ行くをかぎりの野べの夕暮
などがあります。
こうして見ても、「夕暮」は「秋」というイメージは、中世においても確立しており、それ以降に夕焼けが夏という意識が形成されたものと考えます。
新古今和歌集における夕暮の歌
35 第一 春歌上 後德大寺左大臣 なごの海の霞の間よりながむれば入日をあらふおきつしら浪 春
36 第一 春歌上 太上天皇 見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ 春
61 第一 春歌上 攝政太政大臣 忘るなよたのむの澤をたつ雁も稲葉の風のあきのゆふぐれ 秋
116 第ニ 春歌下能因法師 山里の春の夕ぐれ來て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける 春
154 第ニ 春歌下 寂蓮法師 思ひ立つ鳥はふる巣もたのむらむ馴れぬる花のあとの夕暮 春
216 第三 夏歌 權中納言公經 ほととぎす猶うとまれぬ心かな汝がなく里のよその夕ぐれ 夏
220 第三 夏歌 攝政太政大臣 うちしめりあやめぞかをる郭公啼くやさつきの雨のゆふぐれ 夏
247 第三 夏歌 藤原定家朝臣 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ 夏
251 第三 夏歌 前大僧正慈圓 鵜飼舟あはれとぞ見るもののふのやそ宇治川の夕闇のそら 夏
264 第三 夏歌 藤原淸輔朝臣 おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに 夏
269 第三 夏歌 前大納言忠良 夕づく日さすや庵の柴の戸にさびしくもあるかひぐらしの聲 夏
271 第三 夏歌 鳴く蝉のこゑも涼しきゆふぐれに秋をかけたる森のした露 夏
278 第三 夏歌 前大僧正慈圓 雲まよふ夕べに秋をこめながらかぜもほに出でぬ荻のうへかな 夏
279 第三 夏歌 太上天皇 山里のみねのあまぐもとだえしてゆふべ涼しきまきのした露 夏
284 第三 夏歌 紀貫之 みそぎする河の瀬見れば唐衣ひもゆふぐれに波ぞたちける 夏
303 第四 秋歌上 中務卿具平親王 夕暮は荻吹く風のおとまさる今はたいかに寝覺せられむ 秋
304 第四 秋歌上 後德大寺左大臣 夕されば荻の葉むけを吹く風にことぞともなく涙落ちけり 秋
321 第四 秋歌上 式子内親王 ながむればころもですずしひさかたの天の河原の秋の夕ぐれ 秋
340 第四 秋歌上 藤原淸輔朝臣 薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけむ 秋
347 第四 秋歌上 よみ人知らず をぐら山ふもとの野邊の花薄ほのかに見ゆる秋のゆふぐれ 秋
352 第四 秋歌上 前大僧正慈圓 身にとまる思を荻のうは葉にてこのごろかなし夕ぐれの空 秋
353 第四 秋歌上 大藏卿行宗 身のほどをおもひつづくる夕ぐれの荻の上葉に風わたるなり 秋
357 第四 秋歌上 攝政太政大臣 おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮 秋
359 第四 秋歌上 攝政太政大臣 物おもはでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮 秋
360 第四 秋歌上 前大僧正慈圓 み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆふぐれの空 秋
361 第四 秋歌上 寂蓮法師 さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮 秋
362 第四 秋歌上 西行法師 心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ 秋
363 第四 秋歌上 藤原定家朝臣 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ 秋
364 第四 秋歌上 藤原雅經 たへでやは思ありともいかがせむ葎のやどの秋のゆふぐれ 秋
365 第四 秋歌上 宮内卿 思ふことさしてそれとはなきもの秋の夕べを心にとぞとふ 秋
366 第四 秋歌上 鴨長明 秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮 秋
369 第四 秋歌上 藤原長能 ひぐらしのなく夕暮ぞ憂かりけるいつもつきせぬ思なれども 秋
443 第五 秋歌下 土御門内大臣 われならぬ人もあはれやまさるらむ鹿鳴く山の秋のゆふぐれ 秋
491 第五 秋歌下 寂蓮法師 村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ 秋
513 第五 秋歌下 左衞門督通光 いり日さすふもとの尾花うちなびきたが秋風に鶉啼くらむ 秋
529 第五 秋歌下 曾禰好忠 入日さす佐保の山べのははそ原曇らぬ雨とこの葉降りつつ 秋
564 第六 冬歌 藤原秀能 山里の風すさまじきゆふぐれに木の葉みだれてものぞ悲しき 冬
572 第六 冬歌 藤原淸輔朝臣 柴の戸に入日の影はさしながらいかにしぐるる山邊なるらむ 冬
650 第六 冬歌 左衞門督通光 浦人のひもゆふぐれになるみ潟かへる袖より千鳥鳴くなり 冬
663 第六 冬歌 寂蓮法師 降り初むる今朝だに人の待たれつるみ山の里の雪の夕暮 冬
671 第六 冬歌 藤原定家朝臣 駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ 冬
803 第八 哀傷歌 太上天皇 亡き人のかたみの雲やしぐるらむゆふべの雨にいろはみえねど 無季
874 第九 離別歌 中納言隆家 別路はいつもなげきの絶えせぬにいとどかなしき秋の夕暮 秋
885 第九 離別歌 西行法師 君いなば月待つとてもながめやらむ東のかたの夕暮の空 秋
951 第十 羇旅歌 大納言經信 夕日さす淺茅が原の旅人はあはれいづくに宿をかるらむ 無季
952 第十 羇旅歌 藤原定家朝臣 いづくにか今宵は宿をかりごろもひもゆふぐれの嶺の嵐に 無季
953 第十 羇旅歌 藤原定家朝臣 旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし 秋
957 第十 羇旅歌 皇太后宮大夫俊成女 ふるさとも秋は夕べをかたみとて風のみおくる小野の篠原 秋
964 第十 羇旅歌 鴨長明 枕とていづれの草に契るらむ行くをかぎりの野べの夕暮 無季
966 第十 羇旅歌 禪性法師 初瀬山夕越え暮れてやどとへば三輪の檜原に秋かぜぞ吹く 秋
1033 第十一 戀歌一 太上天皇 思ひつつ經にける年のかひやなきただあらましの夕暮のそら 無季
1106 第十ニ 戀歌ニ 左衞門督通光 ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空 無季
1142 第十ニ 戀歌ニ 藤原定家朝臣 年も經ぬいのるちぎりははつせ山をのへの鐘のよそのゆふぐれ 無季
1195 第十三 戀歌三 よみ人知らず 夕暮に命かけたるかげろふのありやあらずや問ふもはかなし 無季
1196 第十三 戀歌三 藤原定家朝臣 あぢきなくつらき嵐の聲も憂しなど夕暮に待ちならひけむ 無季
1198 第十三 戀歌三 攝政太政大臣 何故と思ひも入れぬ夕べだに待ち出でしものを山の端の月 無季
1203 第十三 戀歌三 藤原秀能 今來むとたのめしことを忘れずはこの夕暮の月や待つらむ 秋
1219 第十三 戀歌三 紀貫之 かけて思ふ人もなけれど夕されば面影絶えぬ玉かづらかな 無季
1302 第十四 戀歌四 寂蓮法師 恨みわび待たじいまはの身なれども思ひ馴れにし夕暮の空 無季
1308 第十四 戀歌四 俊惠法師 わが戀は今をかぎりとゆふまぐれ荻吹く風の音づれて行く 秋
1310 第十四 戀歌四 攝政太政大臣 いつも聞くものとや人の思ふらむ來ぬ夕暮のまつかぜの聲 無季
1316 第十四 戀歌四 藤原家隆朝臣 さてもなほ問はれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峯に見ゆらむ 秋
1318 第十四 戀歌四 鴨長明 ながめてもあはれと思へおほかたの空だにかなし秋の夕暮 秋
1322 第十四 戀歌四 前大僧正慈圓 わが戀は庭のむら萩うらがれて人をも身をあきのゆふぐれ 秋
1325 第十四 戀歌四 藤原家隆朝臣 知られじなおなじ袖には通ふともたが夕暮とたのむ秋かぜ 秋
1327 第十四 戀歌四 前大僧正慈圓 心こそゆくへも知らね三輪の山杉のこずゑのゆふぐれの空 無季
1329 第十四 戀歌四 式子内親王 生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮を問はばとへかし 秋
1476 第十六 雜歌上 前大納言忠良 折りにあへばこれもさすがにあはれなり小田の蛙の夕暮の聲 春
1559 第十六 雜歌上 皇太后宮大夫俊成 荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮 秋
1603 第十七 雜歌中 藤原秀能 今さらに住み憂しとてもいかがせむ灘の鹽屋の夕ぐれの空 無季
1625 第十七 雜歌中 藤原高光 白露のあした夕べにおくやまの苔のころもは風もさはらず 秋
1640 第十七 雜歌中 西行法師 たれ住みてあはれ知るらむ山里の雨降りすさむ夕暮の空 無季
1674 第十七 雜歌中 西行法師 古畑のそばのたつ木にゐる鳩の友よぶ聲のすごきゆふぐれ 無季
1730 第十八 雜歌下 伊勢大輔 嬉しさは忘れやはする忍草しのぶるものを秋のゆふぐれ 秋
1744 第十八 雜歌下 周防内侍 かくしつつ夕べの雲となりもせばあはれかけても誰か忍ばむ 無季
1753 第十八 雜歌下 前大僧正慈圓 いたづらに過ぎにし事や歎かれむうけがたき身の夕暮の空 無季
1805 第十八 雜歌下 宮内卿 竹の葉に風吹きよわる夕暮の物のあはれは秋としもなし 無季
1806 第十八 雜歌下 和泉式部 夕暮は雲のけしきを見るからにながめじと思ふ心こそつけ 無季
1968 第二十 釋教歌 皇太后宮大夫俊成 今ぞこれ入日を見ても思ひこし彌陀のみくにの夕暮の空 無季
1975a 第二十 釋教歌 伊勢大輔 今日はいとど涙にくれぬ西の山おもひいり日の影をながめて 無季
https://jikan.at.webry.info/201408/article_6.html 【季語における「夕焼」についての考察 日本人の「夕焼」と和歌・俳句 その4】 より
江戸時代の俳句における「夕焼」
芭蕉と「夕焼け」
俳句において、「夕焼」がいつ頃から出てきているかを検証してみました。 俳句といえば、松尾芭蕉(1644~1694)であり、元禄時代から見てみようと思い、「新潮日本古典集成 芭蕉句集」(今栄蔵 校訂)他を一句づつ約千句調べてみたところ、「夕焼」の句はなく、その他入り日など夕暮れに近い句も探してみましたところ七句(見落としがあるかもしれませんが)。
一つは、「奥の細道」の金沢での あか/\と日はつれなくも秋の風 (秋)
であり、これもはっきりと夕日をさしてはおりませんが、「あかあか」ということで、夕暮れ前の暑い最中を詠んだものと考えましたが、これも結句にあるとおり「秋」の俳句であることがわかり、詠んだ月日の旧暦7月23日以降(金沢に着く前という説もあります)からもわかります。
それと同じく「奥の細道」の酒田での 暑き日を海にいれたり最上川 (夏)
これは象潟から帰って二度目の酒田滞在中の旧暦の6月24日(7月下旬)以前とされており、季節は夏に分類されます。
あとは、
かれ枝に烏のとまりけり秋の暮 (秋) 秋の暮客か亭主かなかばしら (秋)
秋のくれ男は泣かぬものなればこそ (秋) 夕晴れや桜に涼む波の花 (春)
最後に、晩年かるみを理解されなかったからといわれている有名な
此道や行く人なしに秋の暮
しかし多くの句を残した芭蕉として、夕暮れや夕日を詠んだものが少なく、芭蕉はあまり夕方の句は題として好きではなかったのかもしれません。
蕉門と「夕焼」
芭蕉及びその門弟の作でもその作品の一部を「俳諧随筆 蕉門の人々」(岩波文庫柴田宵曲著)他で調べてみたが、其角(1661~1707)、嵐雪(1654~1707)、惟然(?~1711)、去来(1651~1704)、丈艸に
和歌の骨(こつ)槙たつ山の夕(ゆうべ)かな 其角(秋)
舟炙(あぶ)るとま屋の秋の夕かな 嵐雪(秋)
がありますが、これは三夕の俳諧化です。それ以外では、
秋の暮祖父のふぐりみてのみぞ 其角(秋)
夕日影町半(なか)に飛ぶこてふかな 其角(春)
此夕軒端隔ちぬいかのぼり 嵐雪(春)
立いでてうしろ歩(あるき)や秋のくれ 嵐雪(秋)
秋のくれ石山寺の鐘のそば 嵐雪(秋)
待宵や流浪のうへの秋の雲 惟然(秋)
涼しさよ白雨(ゆうだち)ながら入日影 去来(夏)
夕暮れや兀げ並びたる雲のみね 去来(夏)
屋のむねの麦や穂に出て夕日影 丈艸(夏)
夕栄えや茂みにもるゝ川の跡 丈艸(夏)
夕ばえや花の波こすあらつゝみ 丈艸(春)
夕暮れを惜しむ隙なし冬景色 支考(冬)
江戸中期の俳句を蕉門の一部ではあるが、これだけ探しても無いことから、「夕焼」は季語として当時扱われていなかったと考えられます。
蕪村と「夕焼」
次の俳人として与謝野蕪村(1716~1784)の句集を「蕪村俳句集」(尾形仂 校注)他により調べてみると夕方に関係するものとしては十二句
秋の暮辻の地蔵に油さす (秋)
黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺 (秋)
門を出て故人に逢ひぬ秋の暮 (秋)
門を出れば我も行く人秋のくれ (秋)
秋の暮京を出て行人をみる (秋)
秋のくれ仏に化ける狸かな (秋)
去年より又さびしいぞ秋の暮 (秋)
父母のことのみおもふ秋のくれ (秋)
あちらむきに鴫も立たり秋の暮 (秋)
我がてに我をまねくや秋の暮 (秋)
門を出れば我も行人秋のくれ (秋)
弓取に哥とハれけり秋の暮 (秋)
淋し身に杖ワすれたり秋の暮 (秋)
となっています。
一茶と「夕焼」
一つ時代を過ぎて江戸時代後期の小林一茶(1763~1827)になると圧倒的に夕方の句が多くなります。しかし季節も一概に夏、秋とは言えない。「一茶俳句集」(丸山一彦校注 岩波文庫)、「一茶全集」(信濃毎日新聞社)にある夕暮等を年号とともにあげてみると(秋の暮はもっとあるらしい)
夕紅葉谷残紅の消かゝる (秋)寛政
夕日影町一ぱいのとんぼ哉 (秋)寛政
ゆふ暮の松見に来ればかへる鴈 (春)享和
夕陰や片がは町の薄羽織 (夏)享和
扇から日は暮そむる木陰哉 (夏)享和
日の暮や人の貌(かお)より秋の風 (秋)享和
日の暮の背中淋しき紅葉哉 (秋)享和
又人にかけ抜れけり秋の暮 (秋)文化前期
夕暮が蛍にしめる薄畳 (夏)文化前期
秋紐を艸履も見ゆる秋の夕 (秋)文化後期
夕されば蛍の花のかあい哉 (夏)文化後期
夕空や蚊が鳴出してうつくしき (夏)文化後期
夕暮の腮(あご)につゝ張る扇哉 (夏)文化後期
鵜舟から日暮広がるやうす哉 (夏)文化後期
死神により残されて秋の暮 (秋)文化後期
エイヤッと活た所が秋の暮 (秋)文化後期
親に似た御貌見出して秋の暮 (秋)文化後期
むさしのへ投出ス足や秋の暮 (秋)文化後期
青空に指で字をかく秋の暮 (秋)文化後期
山雰(きり)の足にからまる日暮哉 (秋)文化後期
とおおむね夏と秋に分かれています。しかし、
夕やけと背中合せの岡穂かな (秋)文政4年
夕やけや人の中より秋が立つ (秋)文化前期
夕やけにやけおこしてや鳴蛙 (春)文化後期
夕やけの鍋の上より千鳥哉 (冬)享和
夕やけや夕山雉赤鳥居 (春)文化後期
夕やけや唐紅の初氷 (冬)文政2年
肝心の夏の句はなく、他の季語があることから、この時代には、「夕焼」が季語になっていないこと(季重さりの禁止)がわかります。
その他の俳人の俳句として
夕焼けの雲や野松の蝉の声 (夏) 祐昌法師 文化4年以前
夕やけやきら/\とゝぶほととぎす (夏)山店
江戸時代の歳時記
次に、江戸後期の享和三年(1803年)に刊行された曲亭馬琴の「俳諧歳時記」を嘉永四年(1851年)に藍亭青藍が補った「増補 俳諧歳時記栞草」(曲亭馬琴編 藍亭青藍補 堀切実校注 岩波文庫)を調べてみると夏の部には、「夕暮」も「夕焼」もなく、ただ秋の部には「秋の暮」として「去来湖東問答」を引き出して、
問云、春の暮に対して暮秋と心得たる作者多しといへり。尤、秋の暮は秋の夕間暮
(ゆうまぐれ)なり。春の暮は暮春の事に侍るにや。
答云、春の暮は暮春也。又一片に限るべからず、一句の趣にもよるべし。
○秋の夕暮といふべきを、文字の数もすくなき句なれば、略して秋の暮といふ也。近ごろ下五文字に秋の夕といへる句、まゝあり。秋のゆうべといはねばことば足らず。作者心得べし。
これは、今の歳時記にも記載されています。