私の経歴書~かさこ塾宿題 自分の棚卸~
以下、先月、かさこ塾の宿題1で作成した経歴書を公開します。
・1986年9月30日 茨城県北茨城市に生まれる。0歳。
・1990年ごろ 私が一人で家から出て行ってしまい、いないことに気付いた親が必死に探す。最終的に、1㎞ほど離れたスーパーで保護された。それ以来、家の敷地に門扉が取り付けられることとなった。
・二歳の時に妹が生まれる
・四歳の時に弟が生まれる。
・幼稚園からピアノを習い始める。杉の子幼稚園。
・小学校に入り、そろばん、サッカー、スイミングを習っていく。中郷第一小学校。
・小学校に入学して初めて教室に入るときには、恥ずかしかったからか、なかなか入ることができず立ち往生していた。
・サッカー少年団では、点取り屋の左ウイングとして活躍していたが、ミスをすることが怖かった。
・そろばんとピアノの練習をするのが嫌で、習い事に行くのがつらくなる。親はやるといったのだから最後までやりなさいという。中学校に入れば部活で忙しくなるから習い事を辞められるので、中学生になるのが待ち遠しかった。
・高校でサッカー部に入るまでは、あまり親に逆らえなかったように思う。
・中学校一年生のときに合唱コンクールで金賞を受賞する(中郷第一小学校)。担任の直井千鶴先生は男子をやる気にするのがうまく、私もクラスで四天王の一人と呼ばれ、張り切って練習していた。男子は恥ずかしがってあまり歌おうとしない傾向があるので、男子をやる気にさせることが金賞を獲るために重要な条件であったため(今となればそう思う)。小学校の時から家族でカラオケにも行っていたし、歌うことは好きであった。お風呂でもよく歌っていた。
・中学校二年のクラスでは音楽の教科書を投げられたり、マキビシのように画鋲を撒かれたりしていじめを受けた。それで一度学校で泣いてしまった。
・高校一年のときの文化祭(三年に一度開催)で女装してひとネタ披露することになる。安っぽいウエディングドレスを着て、クラスの女子に初めてメイクもしてもらった。日立北高等学校。
・勉強だけで高校生活を終えるのもどうかと思い、迷った末に高1の9月からサッカー部に入部する。入った当初は、サッカー部特有のノリに馴染めずストレスであった。怪我をしたことをきっかけに、部員と徐々に面白く会話ができるようになっていった。よくいじられるようになった。それで笑いが生れるのは嫌いじゃなかった。サッカー部に入ったことで、いい意味での適当さを学んだように思う。それまでは真面目であったために。この時期に今の人格が形成されたように感じる。
・だが部活の練習は苦痛であった。特別にうまかったわけでもなくあまり輝けなかった。毎日部活に行くのが嫌であった。雨が降り、筋トレ中心のメニューで終わる日はうれしかった。雨が好きだった。早く部活を辞めて受験勉強に専念したいと考えていた。
・高3になり部活が終わってからは受験勉強に集中した。今まであまり勉強に時間を取れなかった分、土日も関係なく朝から晩まで勉強した。だが、すぐに結果に結びつくことなはなく、模試などの結果は散々であった。高2の途中から、勉強と部活のストレスで家族に当たることが増えた。学校では普通にしているが、家ではその分常にイライラし、言うことを聞かない妹や弟を叩いたりしていた。
・週刊少年ジャンプを買っていたが、妹や弟に見せるのが嫌で家のどこかにいつも隠していた。手の油で本のページが萎れる感じが許せなかったのだと思う。今は全く気にならないのだが、当時はストレスによりそれぐらい神経が尖っていた。
・そして、私が高3のある晩、寝る前にジャンプを見てから寝ようと隠し場所を見ると、ジャンプがなくなっていた。それまでも私がお風呂に入っているときなどに、ジャンプをたびたび盗みみられていることがあったため、またどこかに持ち出したなとそのとき怒りが頂点に達した。その怒りの矛先は盗んだと思われる妹に向かった。夜12時頃に、すでに寝ている妹の部屋に入り、寝ている妹の頭をグーで殴りかかった。俺のジャンプどこにやったんだよと言いながら怒りに任せて数発殴った。ほどなくして母が駆け付けた。妹は泣いていた。殴った私の手は熱くなり震えていた。次の日の朝、妹が私とすれ違うときに、反射的にビクッと怯えていたことが未だに忘れられない。本当に最低なことをしてしまった。やられた妹は外傷だけでなく、心にも傷を負ったに違いない。
・高2と高3の時期は、家で常にイライラしていたため、家族の誰とも口を利かなくなってしまった。それから約8年の間、妹、弟とは一言も口を利かないこととなる。
・今まで模試ではD判定しかとったことがなかったのに、センター試験本番でA判定が出る。志望は茨城大学工学部都市システム工学科(土木の学科)。
・無事に茨城大学に合格する。
・2005年4月 茨城大学入学。この年の12月に初めてMr.ChildrenのIラブUツアーに参加する。電話を100回くらいかけ続けてチケットが取れたのだ。高2の冬であったか、HEROを聞いて良い曲だなと思いMr.Childrenが好きになった。そこからは今まで聞いたことのある曲でいいなあと思っていた曲がすべてMr.Childrenの曲だったと知り、それ以来過去に遡り、ミスチルにどっぷりはまり込んだ。初めて買ったCDが「シフクノオト」であった。それ以前の曲も私にとってはすべて新曲であるため、とても幸せであった記憶がある。また、ミスチルの曲を歌えるようになりたくて、布団で口を覆い練習した。夜歌うとうるさいため。高校からの家までの帰り道も歌いながら自転車で走った。ほとんどが田んぼで囲まれている田舎道である。たまに暗くて見えなくて、前から人が歩いてきたときは、大熱唱していたために恥ずかしい思いもした。
・大学4年の時、研究の一環で先生と二人でタイに行った。が、丁度帰国する日に、タイでクーデターが起き反政府組織の人々が空港を占拠してしまったため帰れなくなってしまった。空港に爆弾も投げ込まれたりしていたから、無事でよかったと思う。結局、クーデターから数日後にJALが用意した飛行機で、沖縄を経由し帰ってくることができた。バスで4時間くらい揺られて、ついた先の軍用機地から飛び立ったが、軍用機地にいる人の数とその光景は異様な雰囲気であった。いい経験となった。
・タイでクーデターが起きたからなのか、内定をもらっていた造園会社の内定を断り、大学院に行くことをタイで決めた。何かもやもやしていたものが吹っ切れたのかもしれない。
・大学院までいって、分かったことは自分は何もできないのだということであった。だから、就職したら謙虚に頑張らないといけないと決意した。
・就職前の卒業旅行で研究室の仲間と再びタイへ飛び立ったその日に、東日本大震災が起こった。14:46に私たちは空の上にいた。だから、あの壮絶な揺れを私は経験していない。タイのホテルにつき、NHKをみると映画で見るような津波の映像が延々と流れていて、なんじゃこりゃと思いました。一緒に来ていた友達に岩手やいわき出身の人もいたので、着いて早々に安否確認が始まりました。
すぐに帰ろうかいうことも考えましたが、今帰っても難民が増えるだけだということで、予定通りにタイで過ごしてから帰るということに決めました。
・いろんな出会いがきっかけで奇跡の連続で、大学院時代に、妹と弟を水戸に呼び話をすることができた。実に8年ぶりの兄妹弟でも会話であった。妹に夜殴りかかったことを謝った。妹とはそのとき完全に友好になれたわけではない。妹にはトラウマとして残っているのかもしれない。でも何かが変わった。会話ができて一歩進めたのは大きなことだ。2016年現在は、8年ぶりの会話の時よりは妹も話してくれている気がする。
・2011年4月 前田工繊㈱に入社。約半年の研修期間を本社のある福井で過ごす。この年の9月に東京営業部に配属される。
・東京で働いてからは、今思うと上司のパワハラの日々でした。働く目的もわからず、ただただ毎日頑張って朝会社に行っていました。遅刻も繰り返すようになりました。病院には行っていませんが、あれはうつ病だったかなと思います。本当に今起きなければ間に合わないというぎりぎりの時間にならないと布団から出られなくなりました。殴られたり、人格否定をされたりするのがとても嫌でした。仕事のできない私も悪かったのですが。当時いろんな本を買って読んで励まされていなければ、完全に折れて今もこの会社にいることはなかったと思います。
・2014年4月に入籍。同年11月に結婚式を挙げる。披露宴では入場前のオープニングビデオでポップザウルスツアー2012のオープニング映像をかけて、一曲目のエソラが流れるところで歌いながら私と妻が入場するという演出を行いました。歌いながら登場するのは、とても緊張しましたが、ライブ感あふれるめちゃめちゃ楽しい思い出深い結婚式になりました。妻とは高校の同級生で、ミスチルのライブによく一緒に行っていた。恋愛感情は皆無であったが、何回もライブにいっしょに行っているうちに付き合い結婚することになった。人生は不思議だし面白いなと感じた。
・2015年3月17日 娘の真由が生まれる。超かわいい。どの親も思うのかもしれないが、間違いなく世界で一番かわいい。お世辞抜きにして。2016年6月25日現在1歳3か月。尚もかわいさに磨きがかかっている。真由ちゃんと公園に行って遊んだりしているうちに、自分はほかの子供とも一緒にこうやって遊ぶことが好きなんじゃないかと思うようになった。今の仕事を一生するつもりは毛頭ない。何か好きなことを仕事にしようと思った。これまでもいろんな本を読んでそう思ってきたが、具体的な行動は起こせなかった。もう一つ、歌うことが好きだ。結婚式で歌ったときも本当に楽しかった。最高の気分だった。ミスチルのオフ会で酔っ払いながらその日であった人たちで歌った時も最高に楽しかった。人とふれあい話すのが得意だ。ラフにいい距離間で面白く話をすることができる。話は聞くことが基本。そうやって今までも生きてきた。何か自分にできることがあるはず。妻と子供を幸せにしながら。
・2016年6月23日にボイストレーニングに行った。まず行動を起こすことが大事だと気付いたからだ。「自分思考」(山口絵理子)を読んで。今、自分が好きなことは歌を歌うこと(主にミスチル)、子供と遊ぶことの2つであると仮定して行動しよう。ちなみにボイストレーニングでは、臍の下5㎝程度にある丹田から声を出すことが大事だと教わった。呼吸が大事だと。気功の知識と実践をボイトレに活かしているとのこと。桜井さんと同じように楽しく歌えるように、近い将来ライブができるようにボイストレーニングを続けてみようと思う。
・2016年6月25日に今住んでいる場所の近くにある保育園へ面接を受けに行った。夏休み期間(7/1~9/30)の保育補助バイトを募集していたからだ。まず経験してみようと思った。経験してまた何か感じられればいい。好きなことを仕事にするには、急がば回れで経験することだ。と思っている。私は月~金まで今の会社で働いているため、土曜日だけバイトとして働きたいという条件で面接に臨んだが、あいにく土曜日は子供の数も少なく人では足りているから、月~金で働ける人を募集しているとのことであった。ということで面接は残念な結果に終わった。
・しかし、今、思った。ボランティアでもいいから土曜日働かせてもらえないかもう一度聞いてみよう。ボランティアなら予定決めていつでも歓迎しますと言っていたし。まずやってみよう。そして英国チャイルドマインダーの資格を取ることも視野に入れよう。
・ひとつの懸念事項としては、私が土曜日保育園に行くとなると妻の負担が増えるということだ。妻の時間が減ってしまう。これは妻も現実嫌がっている。この問題は要相談だ。妻がおかしくなってしまっては元も子もない。
まだ明確なビジョンはないが、心の声に従いやるべきことをやるようにしよう。
皆に感謝。親と旅行にも行こう。