公園占拠の夏とその終わり(イシイシンペイ)
生来が病的に気が散る質であるのに、今年はいろんなことが起きすぎる。あれを書かねばこれを書かねばと懐で数日温めている先からどんどん新しい「まさか」が押し寄せて、書き出しの機を見失ってしまう。くりかえしくりかえし。
ロサンゼルスの真ん中に出現したテント村も、この数ヶ月書こう書こうと思いながら事態の移り変わりについていけずに文章化できていなかったことのひとつだ。
それに最初に気づいたのは6月12日の夕方だった。ジョージ・フロイド殺害事件から半月ほど経ち、大規模デモとそれに便乗した有象無象の破壊活動は一段落していた。私もだいぶ平常心を取り戻していたので、ダウンタウンまで出てみることにした。リトルトーキョー地区が安全なら寿司でもテイクアウトして帰る算段である。
我が町コリアタウンからは地下鉄で15分ほど。シビック・センターという駅で降りると、その地上出口はグランド・パークという公園の真ん中につながっている。公園を通り抜けていくと、背の高い金属のオブジェが立っていて、「The Park for Everyone」というこの公園のコンセプトが色々な言語に訳されて透かし彫りにされている。その中には「우리들의 공원」というハングルや、「みんなの公園」という日本語も見える。
オブジェから一段下がったところが、芝生の広場になっている。何もイベントがないときは、ホームレスや暇そうな若者がちらほらと寝そべっているところだ。その広場の向こうに、日本の国会議事堂を垂直に引き伸ばしたみたいな真っ白の建物がそびえており、それがロサンゼルス市庁舎だ。市議会議事堂と市長のオフィスが入っている。さらに市庁舎の向かって左手には高等裁判所、右手にはロサンゼルス市警本部のビルが配置されている。それぞれ重量感のある大きなビルだ。
白亜の市庁舎に向かって100人くらいの人だかりがあり、「ブラック」と「ブラウン」の連帯を訴えている。その手前の芝生上に10張ほど、キャンプ場や音楽フェスで見るようなテントとタープが見えた。なんだろうと思ったけど、そのときは誰がテントを張りだしたのかは深く考えなかった。メガホンを持ったデモ隊の方がより興味を引いた。街中が略奪防止のベニヤ板だらけだった。
7月11日、ちょうど1ヶ月後にまたダウンタウンに足を伸ばした。寿司が食いたくなる頃合いだったからである。グランド・パークを通りかかると、前月にテントの群れを見た広場は「村」に発展していた。いつの間にかテントを囲むように鉄柵が持ち込まれ、たくさんの立て看板が囲みの外側に向かって立てかけられている。日本の大学にある「タテカン」と同じで、ベニヤや段ボールにスローガンや警察暴力の犠牲者の名前がペンキで大書してある。ブルーシートを張った「本部」のような構造物もできていて、長期戦を覚悟したアクティビストの存在がうかがえたが、特別暑い時間帯だったのでテントの中には誰もおらず、「村」の住人たちはどこかで日光を避けているようだった。
次に寿司が食いたくなったのは8月22日。例によって夕方のグランド・パークを通ると、「タテカン」が増えており、椰子の葉を組んだ先住民の簡易住居みたいなものまでできている。ハーブの鉢植えみたいなものも持ち込まれていて、いよいよ占拠の度が進んでいる。フットサルコートくらいの広さながら、極小の「自治区」である。
「タテカン」があまり見事なので、こそこそスマホで写真を撮っていると、柵の中、つまりテント村の中から「おい」と声がした。若干身構えつつ顔を上げると、デニムのつなぎを着た若い男が「ここは初めてかい」と聞いてきた。ああ、前からときどき横を通るんだけどねと答えてるうちに、男はひょいっと柵を飛び越えて私の前に立った。あぶるような西日を浴びて汗だくである。
お前はコリアンかと聞かれたので、いやジャパニーズだと答えると「わたしはDです、どうぞよろしく」と片言の日本語で名乗ってきた。アニメを見て覚えたという。「この場所がどういうところか知ってるか」と言うので、いや知らない、君はずっとここにいるのかと聞き返してみた。学生かい、ともつけくわえた。Dは、俺はニューヨークから10日前にここに来たばかりだ、と言う。もともとは子供のときにハイチから性的搾取目的で買われてきて、アメリカには10年以上いるけど正規の滞在資格がまだないんだと、ざっくりした自己紹介もしてくれた。興味があるならざっとあたりを案内してあげようかというので、お願いすることにした。
公共地の占拠というと数年前のオキュパイ・ウォールストリートが記憶に新しいので、これもそんな感じかと聞いてみると「イエス」という。特に組織母体を持たない人々が三々五々集まってきて、公園に居座ることで問題を可視化し続ける意図があるとのこと。できることを分担しながらデモをやったり勉強会をしたり、夜は人種差別に関する映画の上映会などもしているらしい。リーダーシップは曖昧で、何事もその場にいる人たちの話し合いで決めている。
ブルーシートを張ったやや大きめのタープの下は「キッチン」になっていて、寄付で集まったありあわせの材料で毎日温かい食事を作っている。食事はいつも多めに作って「ネイバーフッド・コミュニティ」に配っているという。私たちが話している最中にも、「キッチン」にひどく痩せた中年女性がふらっとやってきた。チリビーンズのようなものが盛られた紙皿を受け取って、またいずこかへ歩き去っていく。Dはそのような人々のことを「ホームレス」という単語では表現しなかった。ただ「ネイバーズ」すなわち「ご近所さん」と呼んでいた。
Dは人と話すのが得意ということで、こうやって外の人に活動の概要を解説したり、広報官のような役割を買って出ているらしい。私もヒマだったので適当に相槌を打ったり質問を返したりしているうちに、立ったまま3、40分話し込んでしまった。この占拠運動がいかにラディカルに社会変革を目指しているか、ラディカルとは具体的にどういうことか、ところで日本語でラディカルって何て言うんだ、日本にそういう概念はあるのか、ブシドーはラディカルじゃないか……等々。彼は特に寄付をねだるでもなく、教条的に説き伏せてくる様子もない。無限に話し続けられそうだったが、だんだん日が暮れてくるので、じゃあ俺そろそろ行くわと言った。ずっと手に提げていたテイクアウト寿司の代金と同じくらいのカンパをDに手渡し、さよならした。
この占拠は街のド真ん中で展開されたわりに、規模の小ささゆえかあまり世の中の注目を浴びることがなかった。街区を大きく占拠して治安部隊と衝突を繰り返したシアトルやポートランドの類似例に比べて、不思議なほど取り締まりを免れていた。アメリカ社会が絶え間なく激震に揺られた夏の間じゅう、市庁舎と市警という公権力の中心にエアポケットが維持され続けたのは、半ば奇跡的なことであっただろう。
注目されないといっても地元のメディアでは散発的に取材されており、それをいくつか読むと、どんな人たちがどんな狙いを持って活動してきたのか、軌跡をたどることができる。きっかけは6月3日、夜間外出禁止令に反したデモ隊が、グランド・パークの芝生広場に連行されてきたことだという。そこで一緒に連行されてきた何人かが「夜はおうちに帰れと言われて、はいそうですかと従うぐらいだったらデモ隊はいらんのじゃ」と意気投合し、逆に資材を持ち寄って広場にキャンプを立ててしまったのが始まり。これが6月9日、私がたまたま横を通りかかるほんの3日前のことである。当初はオキュパイ運動の流れをくんでOccupy BLMと名乗ったが、すぐにBlack Future Projectと改名した。途中の7月に内部で方針の対立がありBlack Unity LAというグループに主導権が移ったりもしつつ、常時30〜40名が滞在しながら先述のような種々の示威行動に従事している。テントで夜を明かすメンバーは半分くらいであり、残りは「通い」。もともと公園にたむろしていたホームレスと渾然一体となって風紀を乱す存在として、地元のコミュニティや保安官組織に目をつけられつつも、目立った摘発も受けずに不思議な自治圏を現出している。
へーなるほどなるほど。ネットの記事をさらいながら、また寿司の調達がてら、Dにいろいろ聞いてみないといけないなと思っていた。
思っていた9月12日の夜、というか13日の朝のこと。眠れないままにツイッターを見ていたら、地元のジャーナリストのアカウントから「保安官部隊が例のキャンプに突っ込んだ」という報せが飛び込んできた。日曜の午前3時の不意打ちだった。ほとんど抵抗する余地もなくテントやプラカードなどは全て「クリアー」されたとのことだった。占拠が始まってから実に96日目に入ろうとするところであった。
夜が明けるころに眠りにつき、昼過ぎに起き出して現場に野次馬しに行ってみた。ちょうど公園から警官の誘導でトラックが出てくるところだった。荷台には占拠キャンプの残骸ゴミを満載している。公園にはぐるり金網フェンスが張り巡らされ、中には入れなくされている。前から生活していたホームレスも残らず追い出されたようだ。道路には黄色いテープが貼られて車両規制がかかっている。地下鉄の地上出口には警官の二人組が見張りに立っていて、いつもと違う雰囲気だ。私もBLMのシャツとか着てたら尋問されたかもしれない。フェンスで囲まれた広場は、ほとぼりが冷めるまでしばらくそのままにされるようだ。「みんなの公園」が聞いて呆れるぜ、と思いながら遠巻きに記録写真を撮って帰ってきた。
グランド・パークから追い出されたアクティビストたちは、少し離れた中央駅前の広場に移動したそうだが、そこもすぐに警察がやってきたという。その後またどこかに移ったのか、それとも各自ストリートに散ったのか、そしてDはどこに行ってしまったのか。私には知りようのないことである。
参考記事:
Inspired by the Occupy Movement of the 2010s, Activists Pitch Tents in Grand Park, Los Angeles Magazine
Across from City Hall, a protest encampment is a ‘reminder’ of need for police reform, Los Angeles Times
(いずれも最終アクセス2020年10月5日)