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「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 これぞ戦国時代という展開ではあるが今後のキャラクター設定をどうするのかとちょっと疑問に思った内容

2020.10.06 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 これぞ戦国時代という展開ではあるが今後のキャラクター設定をどうするのかとちょっと疑問に思った内容


 今週も水曜日は「大河ドラマ 麒麟がくる」について語りたいことを語ってみたい。

まず今回は「三淵藤英」の「奸計」ということである。ストーリー的には、下にも書いているが、改めて私なりに解釈をしてみよう。基本邸に三好と松永久通(久秀の息子)という軍隊に追われ、将軍が足利義栄が就任する中、越前を頼ってきた足利義昭がいる。それが朝倉義景に上洛を促すが、朝倉義景本人は阿君丸の「京都に行ってみたい」という言葉で前向きになるものの、上杉・加賀一向一揆・若狭武田など、朝倉に呼応するものはいないという状態になっていた。その中で、明智光秀が織田信長のところに行き、織田信長が前向きという話を聞き、足利義昭が岐阜に行く決断をする。しかし、朝倉が岐阜行きを邪魔しないように三淵藤英が奸計を図り、上洛はんたいはの朝倉景鏡や山崎吉家と図り、阿君丸を暗殺するというストーリーである。

さて、朝倉義景は姉川の合戦で織田信長に負け、その後一乗谷で滅ぼされること、また足利義昭がいながら織田信長にみすみす取られてしまう。ある意味で最大のチャンスを逃してしまうということになってしまい、あまり能力がないというような評価がある。しかし、一方で一乗谷の発展具合や当時の朝倉の勢力などを見れば、それほど愚鈍な君主ではなかった。朝倉の記録などを調べれば阿君丸の死によってすべてが狂ったというような状況であった。このドラマもそうであるが、実際に、朝倉義景の能力や野心というものがどのようなものであるのかというような解釈によって異なる。

実際に、足利義昭を取り合っている織田と朝倉というのは、双方ともに斯波氏の守護代であり、ある意味でライバル関係にある二つの大名である。同時に「日本海航路で中国や半島と貿易をしている朝倉」と「名古屋をもとに海運で貿易をしている」ということになり、経済的にも農本主義から変わっている大名であったというような感じではないかというような事である。

麒麟がくる:衝撃展開? 阿君丸を襲った“悲劇”… 「これは不憫」「さすがにかわいそう」「戦国怖ぇぇ!」

 俳優の長谷川博己さん主演のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(総合、日曜午後8時ほか)第26回「三淵の奸計(かんけい)」が10月4日に放送され、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)の子・阿君丸(くまぎみまる)をある悲劇が襲った。

 第26回は、足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じ、織田信長(染谷将太さん)と共に上洛(じょうらく)を決めた義景だったが、その気まぐれな言動から、光秀(長谷川さん)、三淵藤英(谷原章介さん)らは次第に不安を感じるようになる。義景の家臣や一族が決して一枚岩ではない様子を見るにつけ、このままでは上洛をしても三好勢と十分に戦えないと判断した光秀は、信長を訪ね、単独で上洛をするように訴える……。

 この日は手塚とおるさん演じる朝倉景鏡(あさくら・かげあきら)が初登場。義景の上洛に異を唱える景鏡と朝倉家家臣の山崎吉家(榎木孝明さん)、三淵の“密会”も描かれた。また義昭、三淵、細川藤孝(眞島秀和さん)は越前から信長のいる美濃に向かうことを決意。藤孝から文を受け取った義景は怒り、義昭らを美濃に行かせまいとした矢先、悲劇は起きた。

 まさに大人たちの都合により、毒を盛られて命を落とした阿君丸。SNSでは「ああ……可愛い阿君丸君……」「やりやがった…」「やり口がゲスすぎる……」「これは不憫(ふびん)……」「さすがにかわいそう、、、」などと視聴者は反応。さらに「忘れたころにやってくる毒殺」 「麒麟いち残虐なシーン」「あかんよ。三淵はん、山崎はん 」「このためにチュー太郎とか言って無邪気なところを見せてたのか」「戦国怖ぇぇ!」などと衝撃を与えたほか、「久々に悪いタニショー来た」「来週もドロドロそう(いいぞもっとやれ)」といった感想も書き込まれていた。

 「麒麟がくる」は59作目の大河ドラマ。1991年放送の「太平記」などで知られる池端俊策さんのオリジナル作。ドラマでは謎めいた明智光秀の前半生にも光を当て、戦国の英傑たちの運命も描く、エネルギッシュな群像劇となっている。

2020年10月04日 マンタンウエブ

https://mantan-web.jp/article/20201004dog00m200055000c.html

 さて史実からすればどうかわからないが、ドラマということにして考えてえ見よう。

まずは人間関係ということによって考えてみれば、「近衛前久と二条基良」という対立構図がある。その対立構図に呼応して「足利義栄(三好)と足利義昭(三淵細川)」がある。その足利義昭側に「朝倉と織田」という対立構図がある。この中で、明智光秀は、もともと斎藤のところにいて、その後朝倉に世話になって、その朝倉の義理がありながら、織田に鞍替えするというような話になっているというような感じになっている。

さて、今回の内容は前回くらいから「平和を持ってくるためには」つまり「麒麟がくるためには」というような話になってきている。そして、その「平和」を求める人々が、奸計を使って様々な活動をしている。伏線的に言えば「平和を求めるはず」が、「奸計で暗殺する」ということになってしまい、阿君丸が「平和を行うために邪魔な存在」なのか、あるいは「奸計をする人自体が平和を乱しているのか」ということになる。つまり「麒麟を呼ぶことができるのは、将軍なのか」ということになってしまう。一方で「小さい対立」つまり例えば近衛と二条など公家の中の主導権というような話や、あるいは、朝倉の中の上洛派と留意派というような小さな対立などが複雑に絡むというような状況になってしまっている。

そのような複雑な対立の人間関係が、戦国時代は下剋上や戦争によってその力関係が大きく変わってくるし、今後も変わってゆくということになる。その中で個性がありキャラクターが存在するというような状況になってくる。

今回は三淵藤英という人物が、「奸計を使って目的を遂げる内容」ということになっている。実際の歴史上の人物は違ったような気がする。歴史上は足利家に忠誠を近い、弟の細川藤孝が織田信長に裏切った後も足利義昭についてゆくような人物である。その忠誠心の表現が「奸計を使っても義昭の思うようにする」というように表現したのである。それに対して阿君丸が犠牲になったということであろう。その表現方法がよいか悪いかは別にして、逆にそのような「忠誠心」が。後に織田信長の考え方とは異なった内容になってくるのではないか。この「足利義昭」や「三淵藤英」の動きが、織田信長と朝倉義景の対立を生むことになるし、また、それを見ていた「独自の正義感」を持った明智光秀がさまざまな動きになってきているのではないか。

このように考えた場合、このドラマは今回もキャラクター的な伏線があるのではないかというような感じになっているのである。私個人としては福さんが複雑にある方が面白い。今回もそのことがしっかりと出てきているのではないか。