私はネガティブだと思っていました~ゆるしのレッスン~ 2020.10.06 00:45 先日、個人セッションを受けて下さった方が、私は小さい頃から楽しい事や喜びがあっても、それと同時に罪悪感も感じていたので、私はネガティブな人間だと思ってきました…とシェアして下さいました。逆に、私自身は、小さい頃から、人の悪い部分に焦点が当たりにくく笑っている事が多かったので、あなたは明るいやポジティブと言われていたので、自分自身の事をポジティブな人間の方だと信じていました。ですが、心の学びを深くしてゆくと、世界、又は人間はポジティブ・ネガティブはコインの裏表と同じであり、1つだという事を理解してゆきました。ただ、その人自身によって、ポジティブな事に焦点を当てて生きているのか、ネガティブな事に焦点を当てているのかだけなのだと腑に落ちてゆきました。そして、目覚めていない「私」は、つねに外側の現象によって、ポジティブとネガティブに心が揺れ動いているのだと気付きました。でも、更に心の奥深くを見つめてゆくと、「私は身体だ」と自我の分離の信念を掴んでいるとき…存在論的罪悪感(罪悪感・無価値感・欠乏感・恐れ・憎悪・悲しみ・焦燥感)という泣き叫びを、つねに感じているのだと…認識しました。ですから、シェアして下さった兄弟に、それは自我が感じているノーマルな状態です。ポジティブな現象によって楽しんだり喜んだりしても、心の中の分離感(罪悪感)は消えていないので、それは永遠ではないので、同時に罪悪感や欠乏感も感じています…とシェアしました。だから、それを認識している事は、目覚めの過程では良きことであり、ネガティブな人間だというのは、自我の自己騙しに過ぎないのですよね・と分かち合いました。そして、私が小さい頃から感じていた「私はポジティブな人間だ」という思考も、真理を否定するための自己騙しだったのだと、奇跡のコースの実践を初めて1年が過ぎた頃に気付くことが出来ました。その様に自我は、外側の身体の私は○○によって、価値がある・価値がない…と常に判断しています。ですが、真実はただ神(愛)が在るのみで、それは永遠に変わることは無く、恒常的なものです。ですから、目覚めの過程で、「私」を判断したり、意味付けする時は、私の心が自我と同一化していたのだと気付き、「真に見たい」と聖霊に祈り心を明け渡すことが必要です。そして、あまりにも心が自我と同一化し真実を歪めて見てきたので、自我の分離感への執着を完全に手放さなければいけません。そのために、聖霊は、どこへ行き、何を表現し何をするべきかを…つねに教えて下さっています。それを受けとるか受け取らないかは、私の心の選択によってのみなのです。この事を、セッションを受けて下さった兄弟と分かち合う事が出来ました。聖霊の導きに心より感謝いたします。