【インタビュー】専門性を身につけて新しい挑戦をしていく生き方
みなさん、こんにちは!JAEでインターンをしている鈴木洋輝です。
第4弾目は立命館大学を卒業され、新卒でパソナへ入社。
その後転職し、株式会社Honki(以下Honki)で人事や営業の統括としてご活躍されている箱島 建人(はこしま たけと)さんをゲストに迎えています!
鈴木)箱島さん、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます!本日は、よろしくお願いします。
箱島さん)は~い。お願いします。
鈴木)それでは、自己紹介をお願いします。
箱島さん)わかりました。改めまして、箱島建人といいます。
まず、JAEとの関わりから話させてもらうと、私が大学2年生の時にJAEを通したインターン シップに3ヶ月間参加しました。
その後、インターンシップフェアの運営などにも関わってる時に別のインターン先で、現在働いているHonkiの代表と出会い、今に繋がっています。
大学卒業後は、新卒でパソナに入社して3年間、新規営業や人事に関わりました。その後、出戻りのような形でHonkiに転職し、人事や営業など全体の統括をやっています。
鈴木)ありがとうございます!なるほど、、大企業からベンチャー企業への転職、どのような気持ちの変化があったのか気になります。
それでは、まず学生時代からお話をお聞きしていきたいと思います。
学生時代
鈴木)インターンに関わるきっかけとなった、JAEにはどうやって出会ったのですか?
箱島さん)きっかけとしては、フィリピンで活動を行っている学生団体の仲間からたまたま誘われたのが始まりでしたね。
そのような学生団体にいたのもあって、当時から『自分で何かに取り組む』という習慣が付いた方だったと思います。
また、学生時代にバイクで日本を旅していたのですが、当時は何も無いところに行くのが苦手で、自分の得意なフィールドを常に取ってきたこと、そして、様々な人との出会いが今の生き方にも繋がっているんだと思います。
その中で、人と人をつなぐのが好きというか、、、人に関わるというところで自分の強みが活かせるんじゃないかなぁと思って、人材業界を選びました。
鈴木)なるほど、学生時代から様々なことにリーダシップをもって挑戦され、その中で自分の強みの根幹となる部分を見つけていかれたことがよく分かりました。
新卒での就職活動
鈴木)そのような箱島さんが、パソナに就職したきっかけは何ですか?
箱島さん)パソナに入る就活をしたときは3年生なんですけども、実は僕自身、公務員試験を受けようとするぐらいの公務員志望の人間だったんです。
父親も兄も公務員だったので、自分も3年生の時には京都府庁でインターンをしていました。
ただ、そのときにどこかで公務員に自分は向いていないんじゃないかと思ってたんですよね。
そのとき感じた違和感に”正直”になれたことは大きかったと思います。
結局、『人間は自分の経験の中でしか、人生を選ぶことはできない』と思っています。
僕が人材業界に入ったのは、ただ単にそれまで人に関わることをメインでやってきて、そういったものに興味があった。”選択されていたものを選んだだけだった”ように感じます。
パソナに入ったのも、単にその中ならできるイメージが湧いたから。ベンチャーよりも大企業のルートに入った方が自分ができると感じたからというだけだと思います。
鈴木)違和感に正直に、イメージできるもの=経験したものの中から選ぶということが選択の本質なのですね。
大手企業からベンチャー企業への転職
鈴木)新卒で入社した大企業パソナから、ベンチャー企業であるHonkiへ転職した箱島さん。
パソナ就職からHonkiへの転職までにはどのような経緯・気持ちの変化があったのですか?
箱島さん)そうですね。。転職に至っては、大学時代のインターン先に出戻りをした感じにはなります。
社会人になって、営業で新人賞を獲ることもでき、一定の成果は出せましたが、実はみんな新規営業で飛び込み営業ばっかりしていて、僕だけチームの事情で上司がいなかったので、会社に『人材が足りないんです~』という問い合わせにばかり対応していたんですよ。
そうしたら、営業成績がめっちゃ上がっちゃって、自分の力ではないのに認められてしまうことに苦しくなってしまったのがありました。
そのような3年間でこの先、本当に自分に力が付くのかと考えると全然イメージが湧かなくなってしまいました。
そう悩んでいた中で、当時Honkiの社長にも戻ってこいと言われていて、転職を決めました。
そのときに父親にも相談して、『自分の人生、やりたいことやりなさい』っていう言葉にも押された気がします。
鈴木)自己評価と周囲の評価が乖離してしまうと本当に辛いですよね。
箱島さん)うんうん。まあそんな形でHonkiに移ってきました。
でも、いろいろなやり方を認めてくれるパソナで働いて転職をしたっていうことが良かったんじゃないかなと思っています。最初はもちろん苦労しましたけどね。
特に今でも覚えているのが、岐阜の学習塾を経営している社長とお会いしたときに、『お前、ベンチャーらしく生きろ』って怒られたことですね。
お酒の席でお酒を注ぐときに言われたことで、大手の中にいたときには気遣いとか心配り上司を立てたりとかしていたのですが、『そうしとけばいい』じゃなくて、『自分の価値で生きろ!』と言われたことが特に覚えています。
Honkiでは、2014年に新規事業を立ち上げました。
大学時代に繋がっていた大学の先生から紹介された会社の採用代行業だったのですが、別に計画的ではなくて目の前に現れた道に従って必死に動いていただけでしたね。
これはタイミングの問題だったのだけれども、そのタイミングが生まれた要因は大学時代頑張ってきたことに尽きると思います。
この事業を立ち上げられたのも、Honkiの社長とも出会ったのも大学生だし、大学生の時にいろいろな人に出会っていたからこそ、25歳の新規事業立ち上げに繋がっているんだと思います。
専門性を身につけていくことで自信が生まれ、新たな挑戦がしやすくなる
鈴木)なるほど、大学時代の行動、関係性が社会人になっても大きく影響を与えているのですね!大学生活=人との出会いとも言えそうです。
箱島さん)まさにそうですね。
自分のキャリアでいうと、人事という一つの”専門性”を20代の内に身につけることができたので、人生なんとでもやっていける。その分野なら成果を出せるという自信が生まれました。
その結果、安心して新たな挑戦ができるようになると思います。
20代と30代のギャップとして、選択できる選択肢が少なくなって、社会の評価がそれを許しにくくなったように感じます。
そのときに、それまでに自分が築いた専門性を軸とできるかが重要になるんですね。
このように失敗できる生き方・保険をかける生き方をしても良いと思いますね。
僕自身も人材採用という安定した専門性を持った上で、別に失敗はできる生き方ができているので。
鈴木)確かに、先の見えない・正解がない世の中だからこそ、自分が安心できる生き方を続けながら新たな好奇心を探索するやり方が大切になってくるのですね。
社会人として生きていると、嫌なことやどうしても苦手としていることをやらなければいけないときもあると思うのですが、箱島さんはどのように対応してらっしゃるのですか?
箱島さん)そうですね。正直に言うと、嫌なことを克服したって持って言えることは無いですね。
克服しないといけないともあんまり思っていなくて、、それが自分の"性格"だから。
例えば、鈴木くんに飛び込み営業やって、鋼の心でやれっていっても性格的に厳しいじゃないですか。
鈴木)確かに、厳しそうです。
箱島さん)なんか”無理”とか”できない”っていう感情に抗う必要は無いと僕は思っていて、苦手だからできない。得意だからできる。両者とも正しいですよね。
得意だからできない、苦手だからできる、は無いですよね。
だから、ちゃんとそこならできるって領域を仕事の中でも探していくことが大事だと思います。
僕の場合、それが飛び込み営業ではなくて、彼らが持ってきた案件を今後につなげていく、継続していく領域が僕ができる領域でした。
まとめ
今回のインタビューで鈴木自身が感じたのは、箱島さんの人生に対する器用さです。
パソナでの新規営業時代も自分が苦手だと思えば自分の得意なやり方で結果を出す。
また、どうしても一歩上の人と自分を比較しがちですが、うまくいかない自分も受け入れる余裕を持つことも社会を生き抜くポイントのようです。
さらに、箱島さんは自分の得意な専門性を常に背後に持っていながら、新たな世界へ飛びこんでいることが伝わってきました。
失敗しても生きていける安全領域を確保しつつ、新たな出会いと過去の関わりをつなげていく力が箱島さんの強みな部分だと感じました!
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