うすれていく際(きわ)
際(きわ)を意識することに
気づいてから数日
悶々としていたが
ついに
とうとう
雑巾をにぎってしまった。
できるなら
それは避けたかった。
ハタキとルンバと
ダスキンに任せておきたかった。
家の中は木材だらけだし
雑巾がけしたほうが
いいにきまってる。
でも春夏は草引きが
忙しかったし
子供たちも帰ってきたり
仕事も新しいシステムになり
作業がいろいろあったから
目をつむってきた。
何より雑巾がけは
好きでなかった。
キリがないと思ってた。
でも冬至前に
この1年の埃を落とそうと
思ったら
今から始めないと
間に合わないし
あちこちの隅々の際が
ぼんやりと埃をつんで
曖昧になっていた。
ああ、もう。
水の冷たさも
まだかろうじて
気持ちいいから
腕まくりして、
ルンバが綺麗に履いてくれた
廊下を、
四つん這いになって
拭きはじめた。
きゅっきゅっと
音を立ててふくと
廊下の際が
しっかりと角を現してきた。
ぼやけていた際
クリアになる際
むきになって
拭きながら
昨日のの出来事を
思い出していた。
父の行動が
少しおかしくなっていた。
毎年暑い夏が苦手で、
7月になる頃には
痩せ細って
気力がなくなる。
9月を超えると少しずつ
元気になって
安心するのだが、
今年は9月になっても
なんだか弱々しく
顔も険しかった。
何度か一緒に買い物に出た時に
財布を持たず
ポケットにお金を
入れてることに
気がついて
尋ねると
お金の出し入れに
モタモタするから
財布はやめたという。
あれ?
と、その時も思っていたはいた。
でも
一つの事件が起きた。
父の言い分を聞いていると
明らかに話しがおかしい。
以前も10年ちょっと前に
脳梗塞を起こして入院したあと
同じような話をしていた。
あの時は一時的なものかと
思っていたけれど
一度病院に行って
心療内科の先生に
思いっきり不審な顔を
されたことを
きっかけに
もう言わなくなった。
周りから見ると
自分の発言はおかしいと思われる、
まだその認識があったのだろう。
ただ
内面では
ずっと同じようなことを
感じ続けていたのだろう。
人の勧めもあり
認知症の検査を受けることを
しぶしぶながら
了承してくれた。
ひと月後に検査の予約が取れた。
その間、
通っている囲碁の会で
以前から知ってる人を
認識できなかった。
そうなると
本人も慌てだし
認知症の検査を受けなければ
という気持ちになっていた。
昨日ようやくその日となり
検査を受けると
脳の萎縮は
年齢相応で、
認知症の簡単なテストは
数値的にも
やはり認知症を示していた。
目の前で
父に向かって
尋ねられる簡単な質問に
四苦八苦しながら
知ってる筈なのに
思い出せないはがゆさで
顔をゆがめながら
「うーん、うーん、
誰だったですかね。。」
絞り出すような声に
歴史でもなんでも詳しくて
テレビはNHKしか見なくて
時事問題を語りだしたら
止まらない
かっての父親が
いつのまに
こんなに記憶をなくしていたんだろう、
と
わたしの方が心底驚いて
その場面が
遠くの
スクリーンの中の
出来事のように感じた。
「肩の腱が切れてからですね、
痛みがひどくて
何も憶えられないんですよ」
苦しそうに
そう呟いた。
「そうでしたか。
でもね、91歳ですからね。
年相応ですよ。
それでも十分やってこられてますよ」
「進行を緩やかにするお薬と
いろいろ考えすぎないお薬を
お出ししますね」
お薬までもらうと
来院してから3時間近く
時間が過ぎていた。
「おまえ、疲れただろう。
こんなに長い時間。悪かったね」
そういう父の方が
よほど疲れていた。
それでも
検査を受ける、
緊張感からようやく
解放されて
ホッとした感じは伝わってきた。
「もうホントに情けないな。
なにも憶えられなくなって。
まさか自分がこんなことになるとはね」
車に乗るや
ため息混じりに
言葉を吐き出す父に
「なにもできなくなっても
おじいちゃんはおじいちゃんだからね。
何も変わらないよ。
おじいちゃんができてたことは
孫たちまで引き継いでいるからね、
安心して歳とっていいよ」
それはまるで、
自分に
言い聞かせているみたいだった。
「そりゃそうだ。
孫たちもあんなに大きくなってな、
何も心配しとらんよ」
ホッとしたのか
薬の使い方を気にしはじめた。
同居している義姉に
夜、電話すると
「心配していたより
落ち込んでいなくて
ホッとした。
診断が出ると余計落ち込んで
しまうんじゃないかと思っていたから」
多分、それはある意味
認知症のおかげなのかもしれない、
そう思った。
診断的には
認知症だけではない病状もあり、
元々心配性しすぎる性格が
高齢とともに
症状として
でてきていたのだろうけど
周りとの協調を重んじる
父の性格が
その症状を自分なりに
抑えていたのだろう。
いま、
認知症の発症で
現実との際(きわ)が曖昧になって
現実とそうでないことが
少しずつ混ざりはじめている。
子供の頃から
窮屈でたまらなかった
威圧的な父に
昨年の今頃
食ってかかってしまったけれど
その窮屈な視線が
かろうじて
父を父で
いさせていたのかと
思うと
せつなかった。
父にとって
自分や家族を律することは
自分を守る術だったのだろう。
わたしも
50代も後半になり
ようやく物事を
ゆっくり
見渡せる時間を持って
「わたしを生きる」
ことを意識して
暮らしの中の際を見極めようと
しつつある時に
父は
現実の際(きわ)を
見失いつつある。
うすれていく際を
なす術もなく
手放していく。
際を見極めようと
新たな視点を得た
気持ちでいたけれど
いずれ
わたしも
視力が落ち
生えかけの草も見えなくなり
しゃがむことも難しくなり
手をかけた庭も
また再び朽ち始めるのだとしたら
イマ
わたしの際を
際立たせることに
何か意味があるのかな
と、
やっと見つけた答えを
また見失った気持ちになる。
それでも
それでも
拭き掃除の手は
止まらなかった。
やけくそのように
だからこそ
手は止めないんだ、と
私でないわたしが
ひたすらに
拭き掃除をする。
そんな刹那感など
振り払ってしまえと
言わんばかりに
黙々と床をふく。
心を無にする
作業は浄化だ。
出来事は決して消えはしない。
でも
次々と湧き上がる
不安や
憤りや
やるせなさを
繰り返す手作業が
いつのまにか
少しずつ
少しずつ
沈めて
鎮めて
静めて。
ようやく
もう、いいや。
なるようになる。
と、手を止めて
顔を上げる。
そうか
際(きわ)
を
整えることが
目的ではない。
目的ではなかった。
際を際立たせる
その作業が
その繰り返しが
わたしを磨いていく。
わたしを強くしていく。
ワタシをわたしにしていく。
だから
明日も
わたしの際を捜そう。
夕方、
父に
「薬はどう?
気分とか悪くない?」
と、電話をかけた。
薬は初めての貼り薬だった。
「今日の分の薬も
ちゃんと貼るから、
大丈夫!」
と、新しい仕事が増えたかのように
しっかりと答えた。
雲ひとつない高くて青い空が
少しだけ胸に染みた。