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蕪村誕生

2020.10.06 14:29

http://toby.la.coocan.jp/sub5-buson-utsunomiya.htm 【蕪村・宇都宮】  より

蕪村は、10年ほど、結城に滞在していたが、世話になった砂岡雁宕の娘婿、佐藤露鳩が宇都宮に住んでいて、寛保3年(1743)、彼の許を訪れた。ここで歌会を開き、翌年、「歳旦帖」を編集発行した。この「歳旦帖」の中で、はじめて「蕪村」の号を用いた。宇都宮は、蕪村号誕生の地であり、この歳旦帖も「宇都宮歳旦帖」と呼ばれることになる。蕪村の前の、「宰鳥」で詠んだ最後の句と「蕪村」の号で詠まれた最初の句が、碑として宇都宮に残る。


  鶏は 羽に はつねを うつの 宮柱  宰鳥

この句碑は、宇都宮二荒山神社の境内にある(写真上)。平成11年11月 蕪村顕彰会 建立。

二荒山神社の社頭で、新年の夜明けを迎えた鶏が、勢いよく羽ばたいている姿に寄せて、この地で第一声をあげた喜びを詠んでいると案内板に書かれている。読みは、トリはハに...で、うつのみやと掛けている。

  古庭に 鶯啼きぬ 日もすがら   蕪村

の句碑は、二荒山神社の東、仲町の生福寺に新しくできた(写真下)。平成19年4月12日 蕪村顕彰会とある。尊敬していた芭蕉の、「古池や...」の句に寄せて、俳諧師として独立宣言の意気を感じさせる。

蕪村29歳のことであり、歳旦(元日)に自分や門弟の発句を集めて刷ったという歳旦帖を残した記念碑になっている。

 なお、与謝を名乗るのは、42歳の頃、京都に居を構えた時期だという。


蕪村誕生 (Japanese) Tankobon Hardcover – September 1, 2004

by 成島 行雄 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

防人の古代から現代までの郷土栃木を描いた『ファンタジアとちぎ』。乱世に生きた武将の生涯を描いたオペラ『那須与一』。若き日の蕪村の姿を追った『蕪村誕生』。作者畢生の作品をまとめて紹介。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

成島/行雄

1928年栃木県河内郡篠井村(現今市市)に生まれる。国学院大学文学部卒。89年県立上三川高等学校長を最後に退職。前学校法人はちまんだい幼稚園長。栃木県文芸家協会員。99年蕪村顕彰会を設立し、蕪村句碑を宇都宮二荒山神社境内に建立。04年結城市文化協会の委嘱を受け、蕪村句碑建立に助力。宇都宮蕪村研究会員。同蕪村顕彰会事務局長。しもつけ連句会会員。画歴・墨瀋院主宰南雲稔也先生に師事して彩色中国画を学ぶ。墨瀋院会員。93年日書画展新人奨励賞、94年同展特選、95年同展修美社賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

https://ameblo.jp/sawara20052005/entry-12594343958.html 【蕪村と漢詩 一行の雁や端山に月を印す】より

 『蕪村と漢詩』(成島行雄/花神社)より選句

〈蕪村と白楽天〉 

一行の雁(がん)や端山(はやま)に月を印す

A flock of the geese are flying like a line of characters.There is a full moon on the mountain over there like a Rakkan(an artist's signature and seal).

 一列に並び飛ぶ雁を一行の文字に例え、端山にかかる丸くて赤い月を落款印に例える。白楽天の詩には、「雁は青天に点じて字一行」とあり、「この景色を絵に写し取り」、さらに「その絵に詩を題しよう」というのだから、まるで絵描きの蕪村のために作った詩のようなもので、わが意を得たりといったところか。

白楽天 

江樓晚眺 景物鮮奇 吟玩成篇 寄水部張員外(江楼にて晚に景物の鮮奇なるを眺め 吟玩して篇を成し 水部張員外に寄す)

澹煙疏雨間斜陽 江色鮮明海氣涼

蜃散雲收破樓閣 虹殘水照斷橋樑

風翻白浪花千片 雁點青天字一行

好著丹青圖寫取 題詩寄與水曹郎

澹煙(たんえん)の疏雨の(そう)斜陽に間(まじ)わり

The swarms of light rain has let up. And the sunset is shining.

江色鮮明にして海気涼し

The water color of the river becomes clear.And the wind blowing from the sea is cool.

蜃散じ雲收まりて楼閣を破り

The clouds are gone.And the mirage are broken.

虹残り 水照らして橋樑を断つ

The bridge of rainbow is reflecting on the water.And it divides the river into two.

風は白浪を翻して 花千片

The wind blows.And white waves appear like 1,000petals. 

雁は青天に点じて字一行

The flock of geese look small like the points in the blue sky.And the points line up and form a line of characters.

好し丹青を著して図写し取り

Good. I draw this landscape in the picture.

詩を題して水曹郎に寄せ与えん

I make a poem on this picture. And I give it to you.


https://ameblo.jp/sawara20052005/entry-12585773135.html  【蕪村と漢詩 木の下が蹄(ひずめ)のかぜや散さくら】 より

『蕪村と漢詩』(成島行雄/花神社)より選句

〈蕪村と杜甫〉 

木の下が蹄(ひずめ)のかぜや散さくら

The fine horse-Kinoshita is running fast with the wind.And the wind is winding up by his hoofs.Cherry blossoms are scattering.

 杜甫は、胡馬、汗血馬の勇姿を漢詩「房兵曹胡馬」で描写。一方、蕪村は、杜甫詩をベースに、平家物語の名馬「木の下」エピソードのエッセンスを加えて、五七五の句にまとめる。

 「木の下」とは、源三位頼政の嫡子、仲綱が愛用した名馬の名前。この名馬を平宗盛が所望したが、仲綱はなかなか手放さなかった。やっと手に入れた宗盛は、腹いせに馬を仲綱と名付けて焼き印を入れ、酷使して辱めた。平家物語によれば、これが頼政の宇治合戦の原因となったとする。句は、名馬「木の下」の雄姿を描く。と同時に、木の下は、頼政父子が亡きがらとなって桜の下に埋められているシーンを連想させ、散るさくらは合戦に敗れたシーンを仄かに暗示させる。

杜甫 房兵曹胡馬

胡馬大宛名 鋒稜痩骨成

竹批雙耳峻 風入四蹄軽

所向無空闊 眞堪託死生

驍騰有如此 萬里可横行

胡馬 大宛の名あり

This Ko-region hourse is the name-Daien.

鋒稜(ほうりょう) 痩骨(そうこつ)成る

The shape of the horse is sharp like a pike and really fit.

竹を批(そ)ぎ双耳(そうじ)峻(そばだ)ち

The both ears like the cutting bamboo are standing up.

風入りて四蹄(してい)軽し

The horse is running fast with the wind.And his four hoofs is light.

向かう所 空闊(くうかつ)無く

In the direction of travel,there is no space.

真に死生を託するに堪えたり

A man can entrust his life to this horse.

驍騰(ぎょうとう)なること此くの如く有れば

萬里も横行すべし

As I said, this horse is brave and strong.You can go far to the end of the earth.


https://ameblo.jp/sawara20052005/entry-12615069138.html  【蕪村と漢詩 半日の閑を榎やせみの声】より

『蕪村と漢詩』(成島行雄/花神社)より選句

〈蕪村と李渉(りしょう)〉 

半日の閑を榎(えのき)やせみの声

I got a half day vacation. I can hear a cicada's voice from the nettle tree-enoki.

 「半日の閑」とは、次のエピソードによっており、蕪村の上記句のほか、李渉の漢詩、芭蕉の『嵯峨日記』にも取り上げられている。

 蘇東坡は、僧・仏印を訪ねて半日を過ごし、「半日の閑を得たり」と詩を口ずさんだところ、仏印は、「学士は、半日の閑を得たでしょうが、拙僧は半日を忙了した」と言い、二人は大笑いした。

李渉 題鶴林寺

終日昏昏酔夢間 忽聞春尽強登山 

因過竹院逢僧話 又得浮生半日閑

終日 昏昏たり 酔夢の間

I spent the whole day drowsy.

忽ち 春の尽くるを聞きて 強いて山に登る

I heard that spring was over. So I climbed a mountain.

竹院を過ぎるに因りて 僧に逢って話(かた)り

At a temple in the bamboo forest, I met a priest and talked to him.

又 浮生 半日の閑を得たり

Thanks, I got a half-day vacation in a dull life.

芭蕉 『嵯峨日記』

独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。長嘯(ちょうしゅう)隠士の曰く、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と、素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、

うき我をさびしがらせよかんこどり

A bird-Kankodori. Make me lonely.

とは、ある寺に独居して云し句なり。


蕪村と漢詩』(成島行雄/花神社)

内容(「BOOK」データベースより)

蕪村が漢詩から学んだものは何か。

内容(「MARC」データベースより)

蕪村の句の麗しさは、文章のくだけた洒落さとは全く似ないもので、読んでみると漢詩を仮名書きにしたように見える。蕪村は、漢詩から何を学んだのか。漢詩と蕪村の世界とのかかわりについて、漢詩の側から検証する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

成島/行雄

1928年栃木県河内郡篠井村(現今市市)に生まれる。国学院大学文学部卒。89年栃木県立上三川高等学校長を退職。現在、学校法人栃木県神社庁八幡台学園八幡台幼稚園長。栃木県文芸家協会員。蕪村研究会員。蕪村顕彰会事務局長。主な活動・75年栃木県芸術祭30周年記念公演台本『ファンタジアとちぎ』3幕8景を執筆。91年文化庁移動芸術祭栃木公演台本『しもつけ賛歌』4幕12景を執筆。92年栃木県民オペラ創立10周年記念公演台本『那須与一』3幕5景を執筆。99年蕪年顕彰会を設立し、蕪村句碑を宇都宮二荒山神社境内に建立。画歴・この間、墨瀋院主宰南雲稔也先生に師事して彩色中国画を学ぶ。墨瀋院会員。91年日本書画振興協会主催第4回日書画展に入選。93年同展新人奨励賞、94年同展特選、95年同展修美社賞を受賞。96年第1回個展『鳥を描く』を栃木県総合文化センター第2ギャラリーで開催。99年第2回個展『蕪村句を描く』をギャラリー花工房オリーブで開催する。著書に72年『樹の島抄』(落合書店)。77年『とちぎの野仏』(花神社)。88年『昭和一たけの少年期・こんたりぼ』(栃木新聞社)。94年ストーリーマンガ『円仁』(下野新聞社)。94年『求法曼荼羅』(近代文芸社)。99年『蕪村誕生』(七艸書房)。など。共著に99年『蕪村の師巴人の全句を読む』(下野新聞社)。2000年『「宇都宮歳旦帖」を読む』(下野新聞社)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)