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トルストイ『人生論』から学ぶ、幸せな人生の幕の下ろし方(前編)

2020.10.07 06:42

Facebook・ZIEL 投稿記事 🌼特集

みなさんはロシアの作家であるレフ・トルストイをご存じでしょうか? 『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』の3大長編などで日本でも広く知れ渡っています。

また、キリスト教を独自に見直し、「世界のさまざまな宗教の真髄は同じだ」という万教帰一的思想を展開、実践した思想家で、多くの著書を残してきました。

そんなトルストイが著した『人生論』。「人生」に対する彼の考えから、これからを生きる新しいヒントを得ることで、新しい自分に出会えるのではないか――。そう考えた編集部は、さっそくトルストイの専門家の方にお話を聞くことに。ただ、海外文学や思想家と聞くと、少しハードルが高く感じる方もいるでしょう。

安心してください! 私もその1人です。

今日はトルストイの専門家であるモスクワ大学上級講師の佐藤雄亮先生、日本学術振興会特別研究員の齋須直人先生、編集部の花塚、出口の4人で座談会を行いました。

トルストイ『人生論』から学ぶ、幸せな人生の幕の下ろし方(前編) https://www.ziel-magazine.com/%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82.../

82歳で家出したトルストイは幸せだったのか?

座談会メンバー

佐藤雄亮先生

モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学 日本語科上級講師。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専門は、トルストイを中心とする19世紀ロシア文学。著書に『トルストイと「女」博愛主義の原点』(早稲田大学出版部)、『選文読本——日本語参考書』(リュボーフィ・オフチンニコワと共著、モスクワ大学出版)など多数 。

齋須直人先生

独立行政法人日本学術振興会特別研究員(受入先:早稲田大学)。桜美林大学他非常勤講師。専門は、ドストエフスキーを中心とする19世紀ロシア文学。

花塚水結

編集者。トルストイ『人生論』ではじめて海外の文学に触れる。Twitter:@_I_eat_hotate

出口夢々

編集者。幸せになりたいと毎日願っている。Twitter:@momodeguchi

トルストイの生涯

1828年、ロシアのヤースナヤ・ポリャーナで名門の伯爵家にトルストイは生まれました。

20歳を過ぎたころに創作に関心をもち、自分探しの旅に出ます。1851年にはカフカスを訪れ、軍隊勤務をしたのと前後して、創作活動を始めました。

1862年には宮廷医の娘ソフィア・ベルスと結婚し、この結婚を機に、創作力が絶頂期を迎えます。その後、代表作の『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などを執筆しました。

『戦争と平和』を書いたころ、トルストイ自身にさまざまな出来事があり、生きることへの不安が彼を襲い、思想や人生に対する根本的な態度が変化したのです。

キリスト教を独自に見直し、「すべての大宗教や大思想の考え方の根源はひとつである」という、万教帰一的な「トルストイ主義」の思想を展開、実践。世界的に影響を及ぼしました。

ヤースナヤ・ポリャーナにあるトルストイの家

ただ、この思想を追求していく過程で家族や近親者と対立するようになり、家庭にいたたまれなくなります。その後、82歳で家出をしますが、鉄道で移動中に肺炎にかかり、アスタポヴォの駅長舎で亡くなります。

トルストイが晩年まで追い求めてきた「トルストイ主義」がもっとも理論的にまとめられているのが、今回主題である『人生論』です。

生命は不滅である

佐藤:トルストイは『人生論』のなかで「我々の生命は死とともになくなるものではなく、不滅である」と述べています。

生命とは、わたしが自己のうちに意識しているものだけである。わたしは常に自己の生命を、過去の自分とか未来の自分とかいう形で意識するのではなく(わたしは自分の生命についてこのように判断する)、自己の生命を、いつどこではじまるのでも、いつどこで終わるのでもない、現在のわたしとして意識する。わたしの生命の意識には、時間と空間の概念は結びついていない。

…(中略)…

だから、この見方をとるなら、肉体的生存の時間的、空間的な中止は、なんら現実なものを持たないし、わたしの真の生命を打ち切ることができないばかりか、かき乱すこともできないことになる。そしてこの見方をとれば、死は存在しないのだ。

『人生論』(訳・原卓也、新潮文庫)177ページ

佐藤:生命と物質は異なる次元にあり、私の生命も、あなたの生命も、実は大きな生命のひとつの現れであり、みんなつながっているということです。

人間の生命は、自分だけのものだと思うかもしれませんが、実は非常にさまざまな要素がくっついているのです。自分にとって大切だった人の思い出や感動した本。身近な人や好きな芸術家、思想家――。自分の人格とほかの人格が別のもので、論理的、機械的な関係を結んでいるのではなく、その人の生命に入って溶け合っている。トルストイはこのように考えています。

花塚:私が「影響を受けている人物」は自分の生命に溶け合っているということですか?

佐藤:はい。キリストや仏陀、孔子といった大人格は、2000年以上にわたり、我々の生き方に影響を与えていますが、物理的には存在しません。つまり、人間の生命は物理的次元以外のどこかで生き続けているのだと、トルストイはいっています。

みなさんの心にも、影響を受け続けているなと思い当たる人がいるのではないでしょうか。

花塚:(たしかに、好きなアーティストの歌詞や、作家の言葉に影響を受け続けているかもしれない……)

左上から時計回りに、編集部出口、編集部花塚、齋須先生、佐藤先生。モスクワにご在住の佐藤先生とZOOMをつないでの座談会を行いました

佐藤:たとえば、自分を見つめ直すために座禅を組むとしますよね。座禅を組んでいると、自分の頭でイメージしていた自我の殻がボロボロ落ちて、ひとつの大きな存在だということを悟る――その大きな存在は、私であり、あなたである。そう考えると、みんなもともとひとつの存在ですから、そこにおのずと同情心も流れ出します。自分探しというものを通じて、大きな存在にいたる――つまり自己認識の過程になります。

自己認識というと少しむずかしいかもしれませんが、「新しい自分」ができたときや、わかったときって、非常に楽しく、わくわくしてきませんか? それはつまり、これまでの「自分」という枠組みが取れて、新しいものをつかむ過程で、ふと他人とつながっていることに気がつくということなんです。

ただ、自己認識は人によって違いますから、あくまでも自分を探すなかで思想をつかむ、ということですね。それぞれの人が、それぞれの出会いや仕事や読書や芸術体験などを通じて、少しずつ自分が見えてくる。

そうすると、自分は他人とどのようにかかわっているか、かかわるべきかがわかります。それは「愛」かもしれませんし、今までわからなかったことが明確になる、一種の創造性かもしれません。

この「他人との関係」がわかると、人それぞれ充実した人生を送ることができて、表面的ではない人間関係を築けるんです。人間関係の根本に「愛」がありますから。そうすれば、死ぬときも、納得して死ぬことができるだろう、とトルストイはいっているわけです。

一体感は「愛」になる

出口:佐藤先生は、先ほど「同情」とおっしゃっていましたよね。同情するってあまりよくない行為とされてる部分があると思うんですけど、同情心とはどういったものでしょうか?

佐藤:そうですね、日本語で「同情」というと、「かわいそうだよね」みたいな、上から目線のような印象があると思います。ただ、ロシア語では「ソストラダーニエ」という言葉を使ってます。「相手の喜びや悲しみを共有する」という意味ですね。

トルストイ『人生論』(訳・原卓也、新潮文庫)

齋須:そうですね、「ソストラダーニエ」は直訳に近いかたちでは「共苦」と訳されますが、「上から目線」のようなニュアンスはありません。

出口:日本語でいうと何だろう。共感?

佐藤:共感は近いかもしれませんが……。このあたりは、翻訳のむずかしいところですね。

トルストイのいう「愛」とは、いわば究極の一体感です。たとえば、「僕と出口さん、花塚さん、齋須さんは同じ存在だ」と感じる一体感です。それは新たな自分の発見でもあるし、自己認識でもあります。つまり、自分と他者のつながりを認識できる、ということです。

このつながりを認識できればそれに従おうとすることで、「愛」になるし、今までの自分の殻を破るという点では新たなものをつくり出す、「創造」につながります。

たとえば、自分がオーケストラの一員として周りの人たちと一緒に演奏すると考えると、非常に強力な一体感が生まれるでしょう。同時に、そのなかで一人ひとりが自分の役をきっちり貫いて演じきることで、逆に連帯感や一体感が高まるという一種のパラドックスもあると思います。こうした側面は人間関係や友情にも存在します。