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KANGE's log

映画「ミッドナイトスワン」

2020.10.07 12:58

【本来の自分を生きることのできないオデットたちの物語】

新宿のショーパブで働くトランスジェンダー女性である凪沙が、養育費目当てで実家の広島から姪の一果を一時東京で預かる。一果は、母親のネグレクトで人とのコミュニケーションに難があるが、バレエの才能があって…という話。

最初はお金目的だったものが、一果のバレエを応援するうちに、絆が生まれ、自分の子を持つことのできない凪沙が疑似的に母親になる感動物語を想像しながら見ていました。もちろん、その側面はあるのですが、それだけでは終わってくれない話でした。

まず、主人公・凪沙(「くさなぎ」のアナグラム?)の草彅剛ですが、最初の方は「あれ? もっとお芝居うまかったはずなのに…」と、いまいち乗れないまま見ていました(彼の「蒲田行進曲」が好きなんですよ)。やはり、性を超えて演技をするのは難しいのかと思っていましたが、ある時から、全然それがなくなってしまうので、一つの仮説が生まれました。テレビやお店で客に見せるためのいわゆる「オカマ」キャラクターを演じようとはしていないということ。もう一つは、そもそも彼女が、自分の体と心の不適合に違和感を持ったまま、ずっと生きてきているということ。それが、前半のどこかぎこちなさを感じる演技になっていたのではないかと思いました。

作中のバレエの演目や「ミッドナイトスワン」というタイトルから、「白鳥の湖」がモチーフの1つになっていることは明白です。一見すると、一果がオデットで、凪沙が王子となって母親の呪いを解こうとする物語かと思っていしまいます。しかし、呪いによって白鳥の姿になり、夜中だけしか本来の人間の姿に戻ることができないオデットは、凪沙の方に重なってきます。もっといえば、一果の友人となるりんも、母親からはバレエでしか自分を見てもらえず、父親からはそのバレエさえもまともに見てもらえず、理想的な娘像を押しつけられ、本来の自分を押し殺すような生活を送っています。単純化しすぎかもしれませんが、本来の自分の姿を生きることのできないオデットたちの物語と言えるかもしれません。

凪沙の部屋にある漫画が、ずいぶんと読み込まれた「らんま1/2」だという小ネタもいいですね。水をかぶると女の子になってしまう少年が主人公ですからね。そして、あの漫画の世界の人たちは、男から女、女から男に性が変化することを、至極当然のことのように受け入れているんですよね。凪沙が、どんな思いであの漫画を読み続けているのかと想像すると、切なすぎます。

一果役の服部樹咲は、セリフを話し出す前から、その場の空気を支配するような、強さがありますよね。バレエも、本人が踊っています。もともと全国レベルのバレリーナだったようですから、彼女なしではこの映画は成立していません。そう考えていくと、夜の公園で彼女に「ちょっと教えて」といって、それなりに踊ってしまう凪沙にも、驚きです(ここは好きなシーンです)。

ショーパブでのコミカルなダンスだけではなく、実は多少はバレエの経験もあって、だからこそ一果の才能に惚れて…なんてことはないのでしょうか? 凪沙は彼女の母親になりたいと思うようになりますが、それは決して母性に目覚めたとかではなく、この才能を生かしてやりたい、そのためには実の母親ではダメで、自分が母親になるしかないと思ったすえでの暴走のように私は感じました。

才能に惚れたという面では、バレエの先生もいいです。りんから一果に露骨に乗り換えてしまいます。芸術に生きる者の残酷さです。バレエのことが常に最上位にあって他のことを押しやってしまうからこそ、凪沙がどういう人物かに一切関心がなく、とても自然にあのひとことを言ってしまうのでしょうね(ここも好きなシーンです)。

バレエ「白鳥の湖」の結末は悲劇ですが、ハッピーエンドのバリエーションもあるようです。また、そもそもの結末もハッピーエンディングと捉える解釈もあるようです。そう考えると、本作も、いろいろな考え方ができそうな結末です。でも、確実に希望はあるし、凪沙の人生にも光があるのだと言っていいのではないでしょうか。