ミリツィエの塔(民兵の塔) Torre delle Milizie
ミリツィエの塔(民兵の塔、Torre delle Milizie)は、マニャナポリ広場にあり、ローマに残る塔で一番古いと言われている。
古代ローマ
トラヤヌス帝の市場の後ろにあるこの塔は、間違えてネロ帝の塔と呼ばれていた。というのも、ネロ帝はローマ大火の日、この場所にあった邸宅から『トロイア戦争』を題にした衣装をまとい歌って見ていたと言われるからだ。しかしローマに再び活気が戻った時、アウグストゥス帝がここから顔を出したという伝説も残っている。
ローマの目とも言われるこの塔は、皇帝たちが眠っていた宮殿が現在ではこの地下に眠っている。
中世
コロンナ家が支配していたクイリナーレの丘を望むため、要塞で囲われたゾーンがマニャナポリと呼ばれるのは、"ナポリの安定(Magnus Neapolis Connestabilis)"から来ている。
1210年、パンドルフォ・デッラ・スブッラ(Pandolfo della Suburra)またはセーニ出身のコンティ家のグレゴリウス9世(Gregorio IX dei Conti)によりトラヤヌス帝の廃墟の上に建てアルチョーニ家が所有していた。
塔の土台は四角形の10,5 X 9,5mで、高さ50mの望遠鏡の形をしている。高くなるにつれて3段の層になっている。最上段は1348年の地震で崩れた。その地震の影響で、ピサの塔の様に少し傾いているのが特徴である。
下の段は凝灰岩のブロックでできおり、上はレンガ造りである。
1257年にブランカレオーネ・デリ・アンダロ(Brancaleone degli Andalò)によりscapitozzata(これなに?)も造られた。
アンニバルディ家、ヴィ―コの知事、カエターニ家のボニファウス8世の手に渡り、塔はいつでも敵であるコロンナ家に対する見張り台となった。そして、コンティ家へ。銃眼なども付けられた。
1312年塔は、ルクセンブルグのハインリヒ7世により、ナポリ王ロベルト1世の道を封鎖する彼の民兵の宿泊施設として使われた。
16世紀、塔はマニャナポリのサンタ・カテリーナ修道院の一部となった。
塔は現在トライアヌスの市場を見学すると近くまで行くことができる。皇帝たちのフォロの上からの眺めは絶景である。