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春の虹の句

2020.10.09 03:08

http://haiku-kigo.com/article/144906420.html  【春の虹 (春の季語:天文)】より

● 季語の意味・季語の解説

 春の空に架かる虹を春の虹と言う。

 単に虹と言えば夏の季語であるが、春の虹は夏の虹よりも淡く、儚く消える。

  うすかりし春の虹なり消えにけり (五十嵐播水)

 春の虹のうち、その年に初めて見た虹を、特に初虹と言う。

  初虹や雨にぬれたる畑のもの (浅岡秋甫)

● 季語随想

 私は希望という言葉が好きですが、春の虹は希望の象徴であるように思えてなりません。

 ときに人は、希望を抱かなくなることで、日々の暮らしを楽にすることができます。

 しかし、やはり希望こそが、死ぬまで人が成長し続けていくための原動力になると私は考えます。

 思いがけず春の虹を見つけ、自分の体の中で涸れはじめていた希望を、少しずつ取り戻しているところです。

 春の虹を詠んだ拙句を二つ。

  物売りの子らの指差す春の虹 (凡茶)

  船頭のはにかみて指す春の虹 (凡茶)

● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 春の思いがけない時期に虹を見つけると、重く沈んだ心は軽やかになり、せわしく落ち着かなかった心は安らかになります。

 春の虹を見つけた喜びを俳句に込めてみましょう。

  武蔵野の森より森へ春の虹 (鈴木花蓑)

  野の虹と春田の虹と空に合ふ (水原秋櫻子)

  春の虹牛はしめりし鼻をあぐ (上野燎)

 また、淡く滲んだ春の虹には、夏の虹にはないあでやかさがあるため、俳人は優艶な趣のある俳句を読みたくなります。

 私たちも積極的に作ってみましょう。

  春の虹うつれりくらき水の上 (柴田白葉女)

  吐息とどく近さに春の虹立てり (岸本マチ子)

  春の虹人悼むにも身を飾り (林十九楼)

      悼む=いたむ。

  倭の血引くヴェニスの売り子春の虹 (凡茶)

 ただ、やはり春の虹は儚く消えてしまうため、淋しい趣のある俳句も多いようです。

  ことばもて子に距てらる春の虹 (柴田白葉女)

  遺跡みな滅びの証し春の虹 (權守勝一)

≪おすすめ・俳句の本≫

佳句が生まれる「俳句の形」 凡茶

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■ 当サイトの筆者が執筆したKindle本(電子書籍)です!

この本は、当サイトの筆者である凡茶が書いたKindle(キンドル)本です。Kindle本については、下で説明します。

さて、俳句には、読者の心に響く美しい形というものがいくつか存在します。

例えば、次の名句は、いずれも中七の後ろを「けり」で切り、座五に名詞を据える形をしています。

  ●凩(こがらし)の果(はて)はありけり海の音(言水)

  ●ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道(中村草田男)

また、次の名句は、いずれも名詞で上五の後ろを切り、句末は活用語の終止形で結ぶ形をしています。 

  ●芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)

  ●秋の暮大魚の骨を海が引く(西東三鬼)

筆者(凡茶)も、名句の鑑賞を通じて、このような美しい俳句の形を使いこなせるようになることで、次のような自信作を詠むことができました。

  ●糸取りの祖母逝きにけり雪解雨(凡茶)

  ●露の玉工場ドスンと始まりぬ(凡茶)

この本は、こうした佳句の生まれやすい美しい俳句の形を、読者の皆様に習得していただくことを目的としています。

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なお、この本は、前著『書いて覚える俳句の形 縦書き版/横書き版』(既に販売終了)を、書き込み型テキストから「純粋な読み物」に改め、気軽に楽しめる電子書籍の形に書き変えて上梓したものです。

あちこち加筆・修正はしてあるものの、内容は重複する部分が多いので、すでに前著『書いて覚える俳句の形』をお持ちの方は、本著の新たな購入に際しては慎重に検討してください。


http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20080313,20090423,20150326,20160213&tit=%8Ft%82%CC%93%F8&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%8Ft%82%CC%93%F8%82%CC  【季語が春の虹の句】 より


 ペリカンのお客もペリカン春の虹

                           寺田良治

ペリカンの特徴はあの大きな嘴だろう。大きな口は魚を捕らえる網のような役割をするし、すくいとった魚を喉袋に蓄えることもできるらしい。雛たちは大きく口を開けた親ペリカンの嘴の中に頭を突っ込んで餌を食べるというから便利なものだ。山口県宇部市にある「ときわ公園」ではペリカンが放し飼いされており、公園内を自由に闊歩していると聞く。公園内ばかりでなく近くの幼稚園に遊びに出かけるカッタ君という有名ペリカンもいるそうだ。そんな楽しい公園ならペリカンとペリカンがばたっと道で出会ったら、どうぞいらっしゃいと自分の住まいへ招きいれ、まぁおひとつどうぞ、と垂れた下顎から小魚など取り出しそうだ。童話に出てきそうなユーモラスなペリカンの姿がふんわり柔らかな春の虹によくマッチしている。ペリカンが向かい合っている景を切り口に広げられた明るい物語に思わずにっこりしてしまう。多忙な現実に埋没してしまうと物事を一面的に捉えがちだが、作者のように柔軟な頭で角度を変えて見れば何気ない現実から多彩な物語を引き出せるのだろう。「春ずんずん豚は鼻から歩き出す」「まんぼうのうしろ半分春の雲」などうきうきと春の気分を満載した句が素敵だ。『ぷらんくとん』(2001)所収。(三宅やよい)


 珈琲や湖へ大きな春の虹

                           星野麥丘人

珈琲は作者自身によってブラックとルビが振ってある。珈琲(ブラック)や、と濃く熱く入れた飲み物に詠嘆しているわけで、しかも珈琲を飲んでいる眼前の湖に淡く大きな虹がかかっている。阿部青鞋に「天国へブラック珈琲飲んでから」という句があったように思うが、この句は青鞋の思いに答えたかのような色合いである。春の虹は夏の虹に比べると色も淡く、たちまちのうちに消えてしまう性質を持っているようだが、それだけに美しく名残惜しいものだろう。ゆっくりと珈琲を飲み終わるころには虹は失せて、すっかり元の光景に戻っているのかもしれない。麥丘人(ばくきゅうじん)の句は事実だけを述べているようで、なんともいえない老年の艶のようなものがあり、この句も口に入れると淡々と解ける和菓子のような味わいだ。日々の生活に追われるなかで麥丘人の句を読むと肩の力がほんの少し抜けるような気がする。『燕雀』(1999)所収。(三宅やよい)


 携帯電話は悲しき玩具春の虹

                           守屋明俊

電車で通勤する毎日、対面の七人掛けの席を見るとスマートフォンをのぞく人ばかりで本を読んだり、新聞を読んだりする人はほとんどいない。かくいう私もタブレットと二つ折りの携帯電話を持ち歩き四角い画面と向き合っているわけで、考えれば携帯電話やパソコンのなかった時代と生活実態が全く違っている。SNSで日々やりとりをする時間は限りなく短縮され、ためいきや愚痴に過ぎないものがとめどなく流されてゆく。春の虹は夢のようにはかなく淡い存在、歌のいろいろを「悲しき玩具」と言った啄木と似た心持ちが携帯電話を握り占める心にはあるのかもしれない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


 春の虹まだ見えるかと空のぞく

                           高濱年尾

この句は、現代俳句の世界シリーズの『高濱年尾 大野林火集』(1985・朝日新聞社)をぱらぱらめくっていて目に留まった。のぞく、という言葉は、狭いところから見るイメージがあり、どこから見ているのだろうと確かめると、年尾集中の最後「病床百吟」のうちの一句であった。「病床百吟」には、昭和五十二年に脳出血で倒れてから、同五十四年十月二十六日に亡くなるまでの作、百十一句が収められている。春の虹は淡く儚いイメージを伴うが、病室の窓からの景色になぐさめられていた作者にとっては、心浮き立つ美しさであったにちがいない。しばらくうとうとしたのか、窓に目をやるともう虹は見えない。ベッドから降りて窓辺に立ち空を見上げて虹の姿を探している作者にとってこの窓だけが広い世界との唯一のつながりであることが、のぞく、という言葉に表れているようで淋しくもある。「病床百吟」最後の一句は〈病室に七夕笹の釘探す〉。(今井肖子)