「日曜小説」 マンホールの中で 3 第四章 1
「日曜小説」 マンホールの中で 3
第四章 1
10日になった。裁判所にはあの郷田連合の郷田雅和会長が裁判を受けるということで、都会からマスコミなども入ってきていた。裁判所の敷地前には多くの人だかりができ、そして、傍聴希望者の列が、まるで長打がうねっているかのような黒い列になっていた。善之助や小林さんは、ここにはいなかった。刑事裁判であったために、小林さんは原告でも被告でもない。そのために普通の傍聴席に希望すれば優先的に入ることができたのであるが、この日は老人会で皆で集まってテレビ中継を見ることにしていたのである。一方、川上一家や郷田連合の関係者はかなり多くこの長蛇の列に並んでいた。
「いよいよ裁判ですね」
「さすがに郷田連合だけあって、あまり品の良くなさそうな人が多く並んでいますね」
老人会の事務所では、何人かが集まってみていたが、善之助にはテレビの中継では何をしているのか全くわからない状態であった。しかし、テレビから聞こえてくる音声と、周囲の老人たちの話でだいたいの様子はわかる。
「何か事件でも起きるのかなあ」
裁判が始まる頃になったら、善之助はぽつんとつぶやいた。この老人会の人々に、「鼠の国」のことなどを話しても何の意味もないし、また、今日何かが起きるのではないか。もっと詳しく言えば、そもそもこの裁判に出ている証拠の宝石はすでに入れ替えられていて、そのことを知らない郷田連合の関係者がきっと盗みに来るということを言えるはずがないのである。また、目が不自由な善之助がそんなことを言っても誰がそのことを真に受けるであろうか。
「確かに、善之助さんの言うように、何かここで起きたら面白いなあ」
「何かって、どんなことが」
「そりゃ、突然暴動が起きるとか、アメリカのギャング映画みたいにトラックが何台か乗り付けて、機関銃を持った……」
「いいよ、日本はそんなに治安が悪いわけではないし、そもそも機関銃を持ったギャングなんているわけないじゃない」
「でも、今回は宝石の窃盗だけではなく銃刀法違反も郷田は問われているんだろ」
「ああ、そうみたいだな」
外野の人間は何かとうるさいものである。このような会話を耳にしながらも、小林さんはずっと黙っていた。以外と本人は冷静に物事を見ているものである。何か起きるかもしれない。善之助がそう言った言葉だけが小林のばあさんの頭の中に入ってきていた。
しかし、裁判が終わるまでの間、何も起きなかった。
「こちら裁判所から中継です」
テレビ局のレポーターが、裁判所から出てきて、テレビカメラの前に立ってレポートを始めた。別に判決でもなく単純に初公判である。暴力団組織のトップが逮捕された、それも暴力団らしくない窃盗でということになる。殺人や恐喝ではなく何かいわくありげな宝石の窃盗という事で、世の中は非常に興味をもって接していた。
「お願いします」
テレビのメインキャスターがレポータに対して声を上げた。メインスタジオには、法律の専門家や犯罪学者、それに暴力団に詳しいと自称するジャーナリストが出演していた。
「はい、広域病力団郷田連合の郷田雅和会長が窃盗をしたといわれる宝石ですが、それに関しては現物の確認をしたのちに、その宝石の写真で裁判が進められました。すべて合わせると時価数億円といわれていますが、しかし、それだけではなく、起訴状によりますとその宝石にまつわる様々な言い伝えがあり、その言い伝えに基づくことが問題になっているということのようです」
「その言い伝えというのはどのようなものなのでしょうか」
「それは……」
その時、裁判所の一階のすべてのガラス窓が内側から外に吹き飛ぶほどの大爆発が起きた。
「どうしました」
「い、今、裁判所が爆発したと思われます」
レポーターはそのままその場にしゃがみ込み、カメラは大きく揺れて周辺の人々が逃げ惑う姿が映し出されていた。
「善之助さん」
小林さんは、テレビを前に善之助の方に振り返った。しかし、善之助は目が見えていないので音でしか判断できない。実際に善之助は、誰かが映画か何かにチャンネルを変えたのではないかと思ったほどである。
「いや、ここは大丈夫だから。それにしても行っていなくてよかったね」
「はい」
テレビの向こう側では地獄絵図のような酷い光景が映し出された。戦争映画の空襲の場面か、あるいはパニック映画の爆発か、映画か何かの映像でとてもこの時間に現実に起きている事であるとは全く思えない状態である。何人かが裁判所の方の様子を見、そしてすでにガラスなども何もない空洞になった扉から、血とほこりにまみれた人が出てきて、その場にばったりと倒れた。近くの人がすぐに駆け寄ってその人を救助しようと集まった。
「大変です、中にはまだ多くの人がいるようで、中からうめき声や助けを求める声が聞こえます」
本来、裁判の結果を伝えるだけの簡単な仕事であったはずのレポーターは、この状態で何をしてよいかわからず、ただおろおろしながら、その場にいて中に入るでもなく金切り声を上げている。カメラは望遠で敷地の中を映し、その黒く口を開けた裁判所の中に、かなりの地獄絵図が広がっているのであろうということが容易に想像できる黒い穴を映し出していた。
「落ち着いて、事態を説明してください」
「はい、でもこんな状態で落ち着いてなんて…。」
まだ若い女性のレポーターは目の前に見える人の死にざまに泣き出してしまった。先ほどやっと出てきた人は、その場で口から血を吹き出すと、そのまま動かなくなってしまったのである。
「あ、あれは」
レポーターが役に立たないので、近くにいる男性が声を上げた。その男の指さす方向を見ると、先ほどまで被告人であったはずの郷田雅和が被告人輸送用のバスを運転し、そのまま走り去る姿が映し出されたのである。そしてその大型バスの後ろに、白いワゴン車が出て行った。
「郷田雅和容疑者と思われる人物が、警察の大型バス車両を奪って逃走しました」
レポーターからマイクを取り上げたディレクターと思われる人物が、慌てて耳にイヤホンを入れながら話をした。カメラはその車をアップして、警察官ではない男が運転ているバスと、その後ろにいる白いワゴン車を追っていた。
「逃げたんですか」
「はい、警察官の姿は確認できません。追うことはできませんので、われわれれは裁判所の中に入ってみたいと思います」
「気を付けてお願いします」
テレビはまさかの大惨事を映し出していた。
「それはひどい」
一通りの説明を聞いた善之助はうめくように言った。郷田連合が宝石を盗み出すことはわかっていたが、宝石だけでは意味がないので、郷田本人を脱獄させることになることはわかっていた。しかし、ここまで犠牲を考えないで酷いことをするとは全く思っていなかったのである。
「宝石はどうなったのでしょうね」
「郷田が持って行ったのでは」
「それを確認するのも、この爆発では難しいですね」
老人会の老人たちは、口々にテレビの前で口を開いた。時価数億円の宝石である。しかし、この爆発の中では、それを確認することはできない。裁判は確か三階の法廷で行われていたはずである。つまり、郷田の裁判に出席していた人は、三階にいれば無事なのだ。その人々が爆発に乗じて、郷田を逃がし、そして宝石を盗んだとしてもおかしくはない。そして証拠を隠滅するために、裁判所ごと爆破したということも十分に考えられるはずである。
しかし、善之助はもう一つ疑問があった。次郎吉と時田は何をしているのであろうか。この老人会にいる誰にも言えないが、本来ならばこのような悲惨な事件を時田達鼠の国の人々は事前に察知していたはずだ。いや、彼らならば止めることができたはずなのである。もちろん止めることはできないから小林さんや善之助を当日裁判所に生かせなかったのであろう。では次郎吉は何をしているのであろうか。
「次郎吉」
善之助は無意識にその名前をつぶやいた。