日傘と雨傘と
この秋、棄てられない大切な思い出が詰まっている古い日傘を捨てました。
私が結婚して長女を身ごもった時に、母になる幸せと家族が増える喜びに胸踊らせて、自分で自分にプレゼントした、派手ではないけれどちょっと凝ったデザインの、質の良いしっかりとした作りの日傘。
全体やわらかいベビーピンク。
厚めのざっくりした布。
傘のふちには白い細かいレースで編んだ花が立体的にステッチしてあり、柄(手元)は切子をイメージした彫り柄が入った透明プラスチックできらきら感があります。
甘過ぎず、質のしっかりとした傘は、私とお腹の子を優しく守ってくれるようで、本当にお気に入りでした。
妊婦さんはホルモンの関係で、通常より日焼けによるシミが増えやすいということを、産婦人科で目にする雑誌で読んでいたので、晴れの日には常に差して歩こう!と、おめでたい私がおめでたい理由で、自分のために買ったモノです。
自死で他界した次女がお腹に宿った時にも、晴れの日には毎日差して歩きました。
子育て中も大活躍。
年数が経つにつれ色褪せてはいきましたが、形は崩れず、十年はとうに過ぎても使い続けてきました。
特に亡き娘はこれを気に入ったようで、六歳の頃にはフリルのワンピースにビーズ飾りのサンダルを履いてこれを差し、ぬいぐるみを抱いて近所の公園をマダムのように気取って闊歩しておりました。笑
………嗚呼
………懐かしいな、遠いあの日。
………空は青いな、澄んでるな。
『おめでたい日傘』は、娘が自死してからは開けなくなりました。
その代わりに、娘の納骨式を行った年のお盆帰省時に、実家で見つけた実母の(使わずに仕舞ってあった)日傘を貰い、事後の夏から三年間使い続けていますが、早くもぼろぼろになりまして(^_^;)。
比べ物にならない貧弱な素材と作りのようなので仕方ないでしょう。
(某デパート会員の購入品サービス付属品だったらしい)
この秋、久々にあの『おめでたい日傘』を開いてみると、シミやカビ、色褪せも更に酷くなっていて、さすがにくたびれた感じになっていました。
(形は相変わらずシャンとしてる)
捨てなくても良かったとは思うのですが、敢えて捨てて仕舞いました。
日傘が日傘として使われなくなり、傘立てに置かれているのを見ると、かえって悲しい気持ちになるようで。
や、そんなことを言うと、亡き娘の靴や自転車は、まだ玄関に置いてありますけど。汗
この日傘は私のモノであり、遺品とは違う!………なんて言い訳、潔いふりして名残惜しく写真なんか撮っちゃったりして、亡き娘のコーナーに供えたりして(^_^;)、それでもこの秋捨てました。
思い出が詰まっていても捨てられるモノと、だからこそ捨てられないモノの違いはなんでしょうね?
(気まぐれではないと思いますけど)
二十年近い間、強い日差しから守ってくれてありがとう。
よし、
2021年の春には新しい日傘を買うぞ(質とデザインも吟味して)
と、
来年の話をすると鬼が嗤うなんていいますが、事後から数年経ち、自分の足元から少し先を見れるようになってきて、………今秋は来年の春の、こんな他愛のないことを考えている自分にハッとしました。
ここのところ台風の影響で雨続きの日々。
陽射し恋しさゆえなのでしょうか。
『おめでたい日傘』を思い偲びながら、昨日は亡き娘の遺品、ピンクオレンジ色の雨傘を差して、東京地裁へ向かいました。
事後からずっと使っている(アラフィフおばちゃんには可愛すぎる色の)雨傘を差し、亡き娘繋がりで出会ったご遺族さんの公判傍聴です。
なかなか仕事のシフトと噛み合わず、裁判が始まってから一度も応援に行けなかったのですが、七回目の公判でやっと!
雨が降っていたお陰で、娘の傘を差して行けたので、初めての東京地裁入りも心強かったです。
(自分の子の裁判ではないのですが、寄せてきた思いの分、緊張するものですね)
私のお守りの一つ、ゆうちゃんの雨傘と。
『仲間』の裁判での争点にも、やがて晴れ間が見えてくると願い、信じていますので、そう、やはり拘りの新しい日傘を買い揃えます(^^)。
◆自死遺族の集い◆