優しい姉であることを超えて
夏休みになると思い出すエピソードがある。
3姉妹を連れてプールに行った帰りの車で
当時4年生だった長女が突然、言ったのだ。
「私はね、妹に経験させてもらってるんだ。
だって友達にいないもん、
障がいのある兄妹がいる子。
そういう子たちが分からないことを、
私は経験してる。」と。
妹ができたとわかった時
“優しいお姉ちゃんでいたい”
という小さな願いをもった。
それは同時に自分自身に課してしまった
理想の姉像でもあったと思う。
可愛い妹と優しい姉の自分を想像し
ワクワクしながら生まれるのを待っていた。
そして・・・
長女の抱く優しさに応えられない妹が
生まれた。
妹のために作った折り紙の鶴は、妹の手の中で一瞬にして破かれた。
妹のためにお土産で買った木のオモチャ。
遊びかたを教えても、
床に激しく打ち付けることしかしない妹。
一番大切にしていた図工の教科書を、
絵具で汚された朝。
湧き上がる怒り。
されたことへの悲しみ。
伝わらない悔しさ。
それでも、この妹の姉をやめることは、
できない。
自分に抱いていた優しい姉像は、
見る間に崩された。
長女もまた私と同じように、
自分自身に課した理想の姿と
湧き上がるありのままの自分の感情との間で、
もがいていた。
次女の写真に、針でたくさん穴をあけていた
日があったっけ。
その行為をとがめることは簡単だけど、
できなかったな。
長女の言葉にできない
おそらく、母である私も、同じだった。
何処へもぶつけようのない
まだまだ幼い体いっぱいに満たして
全身で傷つき、怒り、悲しみ、
そして受け入れてきたのだろう。
次女を受け入れることは、
自分を受け入れることだった。
怒る自分を、優しい姉でない自分を、
許すこと。
どれほどの・・・
どれほどのことだっただろう、
と思う。
私が長女にしてやれたのは、
ただ一緒に泣くことだった。
ふがいない自分に対して
「母さんも悔しい。」
「母さんもどうしたらいいか分からない。」
と長女を抱きしめて、叫ぶことだけだった。
情けない母だと自分を責めたけど、
今は何となくそれで良かったのかも知れないと思う。
長女の年齢では、
複雑で繊細な想いを味わい尽くして、
同じ立場の兄妹たちに出会えたり、
同じような子どもをもつ父母に
声をかけてもらったり、
次女を通して知り合った
心ある地域の人々に囲まれて、
大海原のように優しく彼女を包み込むものが、
きっと言わせたのだ。
「私は、妹に経験させてもらっている」と。
あの頃、人知れず流した涙の数々が、
鼻の奥でつーんと光る、暑い夏。