薔薇とりんご、紅茶物語。
ルイス・ジェームズ・モリアーティは悩んでいた。
モリアーティ家の執務一切を引き受けている彼は、今でこそ目的を同じくする身内の協力を得て屋敷を管理しているが、それでも昔から一貫して住人の胃袋を満たしているのはルイスである。
厨房はルイスの城であるし、師であるジャックとてそれを理解しているからこそ、彼がロンドンに帰ってきた際にはその場をあっさり明け渡す。
ウィリアムとアルバートの、引いては身内の食を満たすのは己の役割だとルイスは認識している。
敬愛する兄達の体を作っているのは自分なのだという自惚れはルイスに自信を与えてくれた。
そしてそれが実際に好ましい現実であり喜ばしいことだと、ウィリアムとアルバートは認識しているのだ。
警戒を抜きにしたとしてもウィリアムはルイスが作ったものしか口にしたいと思わないし、伯爵として多くの人間と食事の機会を持ってきたアルバートでさえ今ではルイスが作るものが一番口に合う。
アルバート好みの紅茶を淹れられるようになるまでにかかった時間は長かったけれど、今では屋敷に招待した貴族をもてなす食事を任されるまでになった。
食に興味はないけれどウィリアムとアルバートが喜んでくれるならばと、ルイスは調理の腕をコツコツ磨き上げてきたのだ。
そんなルイスは今、食事のメニューについて悩んでいた。
「ウィリアム兄さんとアルバート兄様の目を楽しませる食事…何か良いアイディアはないでしょうか」
先日、招待された先の屋敷で振る舞われた食事は目にも華やかな盛り付けがされており、それでいて食欲をそそるものだった。
食べるのが勿体無いほど美しく盛り付けられたディッシュは、当然のように味も申し分ないもので思わず舌鼓を打ってしまったほどだ。
ウィリアムとアルバートは淡々と口にしていたけれど、きっと目で楽しみ舌で味わう食事を気に入っていたと思う。
ルイスが作る食事も見た目には最低限こだわっているが、それでも食欲をそそるような、食事を目で楽しめるものではない。
だが日々の食事は活動の源であり、そこに少しでも気持ちが明るくなれるような工夫が出来たのであれば、ウィリアムもアルバートも満足してくれることだろう。
ルイスは自分が作るもので喜ぶウィリアムとアルバートが見たい。
そのためにどんな工夫をすれば良いのだろうかと、ルイスは思い悩んでいるのだ。
「ルイス、どうしたんだい?そんな顔をして」
「ウィリアム兄さん」
「片付けをしてくると言って一向に帰ってこないから何かあったのかと思って迎えに来たんだけど…何か悩み事でもあるのかい?」
「いえ、そういうわけでは」
首を傾げながらルイスの元にやってきたウィリアムは、昼食の片付けをしてくると言ったまま厨房に引きこもっていたルイスを探しに来たらしい。
まるでルイスの悩みは自分の悩みだとでも言わんばかりに心配そうな顔をする兄に、ルイスは慌てて首を振ってその言葉を否定した。
「本当に?僕で良ければ相談に乗ろうか」
「大丈夫です、兄さん。本当に何もないので」
「そう…」
府に落ちない顔をしているウィリアムに苦笑しながらルイスは彼の元へと足を進める。
出来れば一人でじっくり考えたくて合間の時間を見て悩んでいたのだが、時計を見れば確かに思っていた以上に時間が経っていた。
最近のウィリアムは大学関係での急ぎの用もなく、計画の修正や住民からの依頼もない。
珍しく落ち着いた日を過ごしているからこそルイスを手元に置いておきたいようで、執務をしていない間のルイスは常に彼のそばにいた。
それがとても嬉しくて幸せではあるのだが、弊害として今はルイス一人の時間がほとんどない。
何かの作業をしている最中に別のことを考えられるほどルイスは器用ではないし、かといって偽りの用事を作ってウィリアムから離れるほど彼のそばにいたくないわけでもない。
ゆえに少ししかない合間の時間を使って頭を働かせていたのだが、こんなにも時間が経っていてはウィリアムが怪しむのも無理はないと、ルイスは反省しながら兄の背中を押して厨房から出て行った。
「それで、ルイスは何を悩んでいるんだい?」
「な、悩んでいません」
「…ルイス、僕に嘘を吐くのかい?」
「悩んでなんかいませんから」
「へぇ」
「………」
ルイスはともにウィリアムの私室へ行き、愛用のソファに腰掛ける兄の横に立つ。
途端に聞こえてきた言葉に思わず視線を彼と真反対に向けてしまうが、あからさま過ぎたかとすぐに戻した。
その揺らぎが最も不自然なことにルイスは気付いていないけれど、ウィリアムにはいっそ分かりやすいほどだ。
にっこりと、普段は見せない満面の笑みを意識して浮かべているルイスは違和感の塊だ。
いつも見せるルイスの笑みは隠そうにも隠しきれないはにかむようなそれなのに、今は手本のように綺麗で仮面めいて視界に映る。
ルイスが手本にする相手などウィリアムかアルバートしかいないのだから、必然的にこの笑みはどちらかから学んだものなのだろう。
ウィリアムは呆れたように息を吐いてからルイスの腕を取り、立ち上がる彼を下から見上げて言葉を紡ぐ。
「ねぇルイス。僕は君に隠し事をされることも嘘を吐かれることも、どちらも寂しくて仕方がないよ」
「か、隠し事も嘘を吐いてもいません」
「ほら、また。僕がルイスのことで分からないことがあると思うのかい?」
「…それは…ない、ですけど…」
ルイスはウィリアムとほとんど背が変わらない。
けれど今までずっと守ってきてくれた兄の体はルイスよりも大きくて、髪を撫でられることも多かったから、必然的に見上げてばかりだった。
だからルイスは、ウィリアムに見上げられることに弱いのだ。
見慣れない姿だからこそ、いつも凛々しい兄が懇願するように自分を見つめる姿に弱い。
そしてウィリアムはそんなルイスを知っているからこそ、敢えてルイスを隣に座らせることなく立たせたまま言葉を紡ぐ。
見た目に似合わず頑固なルイスは自分の決めたことを曲げようとしない。
しかもそれをウィリアムに知られたくないのならば決して口を割ろうとはしないだろう。
ここまでゴネるのならばその内容は自分に関することだろうことをウィリアムは知っている。
そうであるならば遅かれ早かれ分かってしまうのだからさっさと話してしまう方が効率的だ。
ウィリアムは静かにルイスを見つめ、その緋色の瞳に戸惑う弟の姿を焼き付けた。
「……その、食事のことで…悩んでいて」
ルイスが全てを見透かすようなウィリアムの視線に耐えきれなくなったのは必然だ。
気付いたときにはそばにいてくれたこの人のことが、ルイスは他の誰より大切なのだから。
「食事?いつもルイスが作るものは美味しいよ」
「味ではなくて…以前、エルギン家に招待されたときの食事、覚えていますか?」
「エルギン家…あぁ、覚えているけど、それがどうかしたのかい?」
ウィリアムの頭に過ぎるのは貴族らしく見栄を張ったような盛り付けがなされている食事の数々だ。
物珍しいようなそれには一瞬目を惹かれたけれど、それだけである。
すぐに飽きたし、味は想像の範疇を超えるものではなかった。
それがどうしたのだろうかとウィリアムが首を傾げてルイスを見やれば、言いづらそうにルイスはポツポツと口を動かす。
頬が少し赤らんでいて可愛らしい。
「とても華やかな盛り付けをされたディッシュだったので…その、良いなぁと」
「良い?」
「…兄さんも兄様も、目を奪われていたようだったので」
「そうだったかな」
確かに一瞬だけ興味を引かれた覚えはあるが、それだけだ。
ウィリアムはルイス以外が作る食事ならば最低限しか口にしたくないし、エルギン家自慢のシェフが用意した料理の味は砂を食べているようなものだった。
だからウィリアムはルイスが何を気にしているのかよく分からない。
「僕が作る食事は兄さんと兄様の目を奪うことはないので、羨ましいなと…」
「あぁ、そういうことか」
確かにルイスが作る食事は申し分なく美味であるが、盛り付けは極々一般的なものだ。
美的センスが悪いのではなく、単純に盛り付けや華やかさに興味がないだけだろう。
それでも料理が映えるような丁寧な盛り付けは好感が持てるし、ウィリアムもアルバートもそれを気に入っている。
だからどこにも羨ましがる必要はないのだが、兄達が自分ではない誰かが作った食事に目を奪われているのが悔しかったのだろう。
兄達の興味を引きたいというルイスの思いはやはりとても可愛らしい。
一番になりたいというわけではないだろうが、それでも自分を気にして欲しいという甘えがあるのだろう。
子どもじみたその感情はルイスにとって恥ずかしいもののようで、隠しておきたかったのに、という表情が見て取れる。
可愛いなと、ウィリアムは至極満足そうに笑みを浮かべてルイスの腕を引いてはその首元を抱き寄せた。
「羨ましがることなんてないのに。僕もアルバート兄さんも、君が作る食事を一番好んでいるんだから」
「ですが、見ていて気持ちが明るくなるような食事はきっと兄さんと兄様の食欲に繋がります。食事は味だけでなく目で見て楽しむものだと、エルギン家のシェフは言っておりました」
「まぁ一理あるとは思うけど」
「だから僕も、お二人の気分が上がるような食事を作りたいと思うんです。何か良い案はありますか?」
「うーん」
ルイスの体温を感じながらその言い分を聞いていると、あまりに健気な考えが知れてきてそれだけで十分気分が良い。
この考えを頭に入れた上でルイスが用意する食事を食べられるのならば、それはルイスが求める効果を得られるに違いない。
けれどそれを伝えたところでルイスは納得しないだろうし、料理の見栄えを持ってして兄達の興味を引かねば満足しないのだろう。
開き直って自分に相談を持ちかけるルイスを腕に抱き、ウィリアムは真剣な目をする弟を見た。
赤い瞳はまるで熟したりんごのように鮮やかな色をしている。
幼い頃から食べ慣れているりんごはルイスの好物で、ひいてはウィリアムの好物でもあるのだ。
ルイスを食べ物に例えるのなら、ウィリアムは迷うことなくりんごを選ぶことだろう。
美しい赤も瑞々しい果肉も蜜の入った甘みも、どれもがルイスに相応しい。
最愛のルイスをモチーフにした食べ物があるのなら、ウィリアムはとても嬉しいと思う。
「…りんごを使った食べ物が良いな」
「りんごですか?確かに兄さんはりんごがお好きだと記憶していますが…どちらかと言えばフィッシュパイの方がお好きなのでは?」
「僕はどちらもすきだよ」
「では、フィッシュパイのフィッシュをたくさん盛り付けた方が兄さんは嬉しいのでは?」
「うーん。フィッシュをたくさん、ね…」
真顔で言うルイスは本気なのだろう。
もちろんフィッシュパイはウィリアムの好物だし、たくさんのフィッシュを盛り付けられていたら気分が上がるかも知れない。
だが何となく、本能がそうではないと言っていた。
たくさんのフィッシュと目が合うのは気分が悪いとモランが言っていた気持ちが今なら分かる。
死んだ魚と目が合うよりも、ルイスを思わせる赤を目に収めた方がよほど気分は上がるだろう。
「りんごはルイスの好物でもあるだろう?以前作ってくれたタルト・タタンの方が嬉しいかな」
「そうですか…りんご、りんご…タルト・タタン、パイ、ジャム、コンポート、クーヘン、クラフティ、あぁシャーベットにしても良さそうですね」
「すぐそれだけのレシピが出てくるのも凄いね」
「この程度、誇るほどのことでもありません。りんごはどうしてもスイーツとしての扱いになってしまいますね。見た目を工夫することは出来るかと思いますが…兄さんの興味を引くとなると難しいですね」
「あまり難しく考えなくても良いんじゃないかな」
ルイスが作るものなら他のどんなものよりもウィリアムの気を引いては心を奪う。
そうは見えないのかも知れないが、食に興味のないウィリアムの内心はいつもとても浮き足立っているのだから。
好物のフィッシュパイを見たときは勿論、何気ないティータイムの紅茶でさえルイスが淹れたものであるならば特別だ。
だから悩むことは何もないのだけれど、自分の気を引きたいと悩むルイスを見るのは悪くない。
ウィリアムの腕の中、りんご、りんご、と呟くルイスを見やりながら思わず頬が緩んだ。
「…兄さん、薔薇はお好きですか?」
「うん?そうだね、ルイスとフレッドが手入れしてくれる我が家の薔薇は一際美しいと思うよ」
ルイスはりんごを思いながらその洗練された美しさを持つウィリアムを見上げた。
彼はきっと、花に例えるならば薔薇だと思う。
近寄りがたいほどに美しく、それでいて簡単には触れさせない刺を持ちながらあらゆる人間を魅了する。
誰の目をも惹きつける魅力と凛々しく磨かれた優美さを持つ薔薇は、ウィリアムにこそ相応しいのだ。
自分とウィリアムの好物であるりんごを使った料理、かつウィリアムの目を引くだろう華やかな見た目。
ジャックに鍛えられた己のナイフ術を思い返したルイスは、天啓を得たように顔を上げてはウィリアムの肩に手をやった。
「兄さん、お茶の用意をしてきますのでここでお待ちください!」
「え?さっき昼食を済ませたばかり、って…ルイス!」
ウィリアムの返答を待つことなく、ルイスは触れた肩を押しやって部屋を出て行ってしまった。
せっかくの休日だというのに結局ルイスをそばに置いておくことが叶わず、ウィリアムは気落ちしたように息を吐く。
連れ戻しても良いけれど、何か閃いたようなのですぐに帰ってきてくれるだろう。
まずは一時間だけ待つことにしようと、ウィリアムは読みかけの本を手に取って改めてソファに腰を沈めた。
「お待たせしました、ウィリアム兄さん!」
「ありがとうルイス、早かったね」
本を読み始めて三十分ほど、没頭するかしないかのタイミングで帰ってきたルイスの手には、トレイに乗ったティーポットとカップが二つ並んでいた。
透き通ったポットには綺麗な飴色をした紅茶が入っており、いつものように香り高く風味豊かなダージリンが淹れられているのだろう。
りんごの要素はなさそうだなと、遠目に見たそれにそう評価を下しながら近寄ってきたルイスを見ていると、ポットではなくカップの方に仕掛けがあるのだと気が付いた。
「へぇ、綺麗だね。これはりんごで作った薔薇かい?」
「はい。新鮮なりんごを薄切りにして、薔薇の花びらに見立てて形作りました」
「なるほど、スイーツではなくアップルティーを用意してくれたという訳か」
目の前に置かれた愛用のカップの底には熟した赤色と瑞々しい果肉を見せているりんごがある。
ルイスの言葉の通り、極々薄く切られたりんごのかけらは器用に丸められ、一枚一枚が薔薇の花びらのように見えた。
目的のために体得したナイフ術を駆使したのか、りんごの厚さは数ミリ程度しかない。
薄切りのりんごを幾重にも巻き付けて作られた薔薇の花は、繊細な花びらと相まってとても美しく目にも楽しい。
思わず緩んだウィリアムの口元を見て、ルイスは嬉しそうに笑みを浮かべてポットを手に取った。
「りんごの香りを活かすために茶葉はアッサムを用意しました。甘みの強いりんごを用意したので、フレッシュな香りと甘みを楽しめると思います」
「それは楽しみだね」
「りんごの香りと甘みが紅茶に移るまでの時間、薔薇の花が目を楽しませてくれるはずです」
ポットの紅茶をカップへと丁寧に注ぎ入れると、密着していた花びらがゆっくりと開花するように飴色の中で揺らいでいく。
けれど花びらが別れることはなく、カップの底で揺蕩うように舞っていた。
それはとても綺麗な光景で、ルイスの思惑通りにウィリアムの興味を引いては心をくすぐっている。
香り高いアッサムの香りに紛れてりんごの爽やかな風味が漂い、普段飲まない種類の紅茶にはどこか気持ちが浮き足立つようだった。
楽しそうにりんごの薔薇を見つめるウィリアムを見て、ルイスは思わず拳を握り締めて喜びを体現する。
自分の好物であるりんごと、ウィリアムを思い出させる薔薇の花。
その両方を組み合わせたこれは、ルイスなりに考えた自分たち二人をイメージしたドリンクなのだ。
目にも楽しいその見た目を気に入ってもらえたことは嬉しいが、それ以上に二人を模したものを用意できたことが嬉しいと思う。
ウィリアムもりんごを好いているし、彼が薔薇のようだと伝えたことはないから気付かれることはないだろう。
その事実を知られることなく、けれどルイスが用意した薔薇のアップルティーをウィリアムが気に入ってくれたことが何より嬉しいのだ。
ルイスは隠しきれずに浮かんだはにかむような笑みを顔に乗せ、楽しげにカップを覗くウィリアムを見た。
「それで、これはいつが飲み頃なのかな?」
「香りだけならば十分もあれば風味が移るかと思います。甘みも移すとなればもう少しかかるでしょうか…なので、飲み頃はもう少し後になるのですが」
「そう、楽しみだね」
りんごの薔薇を堪能するには十分な時間、けれどすぐに喉を潤したいのであれば長くかかる時間だ。
その点は少しだけ申し訳なく思うけれど、先ほど昼食を済ませたのだからまださほど喉は乾いていないだろうと、ルイスはウィリアムをそっと見る。
ルイスの希望通り、彼は特に気にした様子もないようで安心した。
薔薇の花びらを見やるウィリアムはとても綺麗で、生まれたときからそばにいるルイスでさえ思わず見惚れてしまうほどだ。
いや、ルイスだからこそ見惚れてしまうのかもしれない。
自分が作ったアップルティーを前にするウィリアムはルイスの心を豊かに満たしてくれる。
そうしてルイスがぼんやりウィリアムを見ていると、にっこりと満面の笑みを浮かべた彼と目があった。
「アップルティーが完成するまでまだ時間があるね」
「え?あ、そうですね」
「おいで、ルイス」
腕を引かれて抱きしめられると、ウィリアムが愛用しているハーブ系統の香水に混じってりんごの香りが漂ってくる。
良い香りだなと、ルイスがそう思っている間にウィリアムは姿勢を整えたようで、後ろから抱きこまれるようにお腹に腕を回された。
流れるような自然な動作はそれだけ繰り返してきたことの証明だろう。
驚くでもなくごく当たり前に受け入れたルイスは首筋に感じる吐息に肩を震わせていた。
「綺麗な薔薇だね」
「ありがとうございます。成形するのに苦労しましたが、綺麗に花開いて良かったです」
二人一緒にりんごの薔薇を見つめながら何気ない言葉を交わす。
時折かかる吐息や髪の毛がくすぐったくて、思わず体を揺らしているとそれが戯れているように思えたのかより一層強く抱きしめられた。
それがどうにも嬉しくてくすくすと声を出しながら後ろの兄に懐いていると、可愛い弟に懐かれて気を良くしたウィリアムは互いの頬を重ね合わせるようにして鼻を鳴らした。
すん、と鼻先を集中させればルイスが愛用している甘い香水の香りに混ざってりんごの香りが届く。
滑らかな頬を堪能しながら時計を見れば思っていた以上に時間が経っていて、そろそろ飲み頃だろうかと腕の中にいるルイスへと声をかけた。
「ルイス、三十分経つけどそろそろ飲み頃かな?」
「そうですね、もうりんごの甘みもしっかり移っていると思います。飲みましょうか」
「あぁ、いただくよ」
「どうぞ、召し上がってください」
薔薇を崩さないよう静かにカップを手に取り、りんごの香りと甘みを移した紅茶を飲む。
飲みなれないアップルティーだが、それはとても優しい味がして美味しかった。
「うん、美味しい。蜜を加えなくてもりんごの甘さが程良いね」
「それは良かった」
「薔薇の花もとても綺麗だ。見ていて気持ちが明るくなる」
「っ、本当ですか?」
「勿論」
ウィリアムの反応を見ればルイスのアップルティーがお気に召したことは分かったけれど、実際に言葉を届けられるとやはり嬉しいものだ。
ルイスは後ろを振り返るように兄を見て、りんごのように赤い瞳を見開いてキラキラした顔のまま歓喜を浮かばせた。
自分と兄を模した薔薇のアップルティー。
気に入ってもらえたのなら今後も自信を持って淹れようと思える。
「また用意してくれると嬉しいな」
「はい、絶対に!」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
喜ぶ弟のりんご色をした頬に唇を寄せ、そのままりんご味をした唇を食べていく。
柔らかいそれは爽やかな甘みを感じさせてくれて、飲みなれないはずのアップルティーが途端にいつも慣れ親しんだ存在に感じられる。
ルイスの好物は昔からりんごだ。
昔から食べ慣れている自然な甘みはルイスの心を落ち着かせることをウィリアムは知っている。
だからそれを使った見た目も華やかなドリンクを味わえることは、まるでルイスをそのまま味わっているような心地さえして気分が良いのだ。
「もっと綺麗な薔薇を作れるよう頑張りますね」
「ふふ、期待してる」
兄をイメージして作った薔薇の花。
自分の好物で作られたその薔薇はとても美味しいアップルティーになり、ウィリアムの目と舌を満足させてくれた。
気に入っている果実を使った紅茶はルイスを満たしてくれたけど、ウィリアムが喜ぶ顔を見られたことが一番の収穫だろう。
優しく触れてくる唇を受け入れながらルイスは微笑み、ウィリアムを甘く見つめてはその腕の中を堪能する。
りんごと薔薇、二つを使ったアップルティー。
ルイスが考え、ウィリアムが気に入ったこのフレーバーは、今後モリアーティ家の定番になるのだった。
(おや、これは美しい紅茶だね)
(りんごの薔薇を使ったアップルティーです、アルバート兄様)
(飲み頃までに時間はかかりますが、とても美味しいフレーバーですよ)
(ルイスが淹れてウィリアムが認めたのなら間違いはないな。ルイス、注いでくれるかい?)
(はい)