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鹿沼の加蘇山神社

2020.10.11 10:02

https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/8cc150accdcfe8d1148cd0c2d81b4441  【鹿沼の加蘇山神社】 より

宇都宮二荒山神社は毎年初詣にいきます。こういう時に、産土神をフツフツと思います。

実家では猿田彦神を拝み、数年前まで住んでいた仙台では二柱神社を拝み、そして再び仙台へ戻ってきたけれど、家には二荒山神社の大麻を持ちかえる。。。

これってなんでしょう?ヘンな感じ。結局は何でもいいのだ~。笑。

二荒山神社の狛犬は、歌舞伎みたいでかっこいい。アーティスティックで西洋美術をみているような迫力です。

ところで、なぜか栃木県には星宮神社、磐裂神社、宇賀神さんの名前が多い。

磐裂神社は、「岩が咲く」ような言葉に感じますが、岩が裂けるほど強い剣、という解釈が多いようです。

宇都宮市内にはオリオン通りという名称の商店街がありますが、オリオン座が由来だそう。

潜在的に栃木県民は宇宙に目を向けているのだな~と感じます。

星については、詳しいことはわかりませんが、大平山神社の天目一大神に関係していて産鉄とも深い繋がりがありそうです。

冬の男体山や高原山がとても美しい冬の日光を目指して・・・の、前に!

年末、鹿沼市にある加蘇山神社へ行ってみました。登山もできて地元ではよく知られていますが、鎖場の多い岩場で危険なルートらしい。。。

「加蘇」という名前が不思議なのですが、地元では「おざくさん(石裂山)」と呼んでいる。

ご祭神が、磐裂命、根裂命、タケミカヅチ。なんで鹿島がでてくるのかよくわからない。

栃木県も東国征伐で鹿島へ行く途中のルートだったのかもしれない。

神社入口には碑があり、「下野国上都賀郡加蘇村石裂山鎮座」とある。

イワサク・ネサクはセットで石析、根析とも書く。

いづれも剣のフツヌシやタケミカヅチと関係している事が多く、ほとんどが星宮神社のご祭神としている。

おざくさんは、日光を開山した勝道上が開いたそう。

実際行ってみると、龍の気?なのかどうか、そんな白っぽい空気を感じる。

しんみりとした鎮守の森にご神木の杉がとても大きくそびえていました。

伐採したようで光も入り、思ったよりは暗く感じない。

でもこの神社より先は修験の路らしく、遠くに見える鳥居がリアルに怖い・・・です。

奥の院らしい雰囲気を醸し出しています。

さすがに岩場を越えていく気はないし、何も準備をしていないので帰りましたが…。

この山には「月山」の名前で月読命が祀られている。

日光の日、月山の月、星宮の星。日月星信仰なのでしょうか?

また、月読命を丁重に祀られているならば、香香背男命に対する弔いのような気もします。

だからタケミカヅチをもってきたのかもしれない。

※星宮神社については、こちらを参考にして下さい。http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130417

今年の2014年は「統合」=ユニティがキーワードだと聞く。敵、味方という関係ではなく。

日本でいえば、「和」。

和は、敵も味方もなく対象となる人物や物事もない。最初から分裂がないひとつのこと。

統合は、最初から異なる対象があって溶け合うようなことをいう。

だから、ユニティよりは深い統合ということを考えると日本人の和の精神が今は必要なのだと感じます。

これからの参拝は、そのような感覚で見られると良いのかな、と思いました。

政治でも安倍首相が靖国参拝をして物議を醸していますが、そういう事なんだろう、と思います。

それを統合とみるか、分裂とみるか。

磐裂神社の裂は、分裂だから「磐咲」という言葉で想像したら良い。

三峯神社が日光の修験からきているのは、狼と関係している。

狼と妙見はセット。

そこに徳川家康が秩父神社に注目しているのが何となくわかる。

相馬市の(福島県)山津見神社も妙見信仰で狼が使者とする。星祭りの由来が妙見信仰から

といわれているので、北斗七星もここで関係してくる。

禹歩と関係する七ツの星が、鏡となって大地に照らされる時、天変地異や紛争が起こると

信じられてきた。

それを静めるには、常に宙(天)を向いていなければならない。

その星をコントロールできた人(氏族)は誰か?

神事で行われる神降ろしという儀式は、そういうことなんだろうか?

(写真:西町太子堂:聖徳太子を祀る日光の憾満ガ淵)

密教では物質の構成要素として地・水・火・風の物質性を考え、そこに重々無尽(融通無碍)に浸透している、虚空(空・エーテル・氣)を考えました。(五大)

空海は、その虚空の空間に入ると「五大に響きあり、十界に言語を具す(物質と精神には

響きがあって、それぞれに言葉を用意している。声字実相義)」と述べています。

ただ、日光にその要素があったのかどうか。。。

その虚空蔵求聞持法の中に、「牛蘇」という言葉がでてくる。

意味がよくわからないが、加蘇山の由来はここから?だったりして。

それに、「金剛宝まん」という言葉もでてくるのですが、これはウナギの意味があると。

このウナギは龍を示す。

このようなつながりを考えると、水神、龍神、星信仰、宇賀神のお稲荷さんなどと集約されている場所が日光なのかもしれない。

もうひとつの日光とよばれる元祖日光発祥地は、「瀧尾神社」。

年末に行ってみたのですが、水で水を閉じ込めたような、なんとも言えない重たい修験を感じる場所でした…。

<日光の憾満ガ淵と岩裂神社>

日光憾満ガ淵の側にある岩裂神社。すぐ下は湧水が勢いよく流れる。

創立年は不明。昔は星の宮と称し虚空菩薩を祀り、現在の匠町の人たちが氏神として崇敬している。

岩裂神社となったのは明治2年頃で、イワサク・ネサク神を祀る。

本殿は大谷石を使用している。

他にも憾満ガ淵の周辺は、「石升の道」といって、湧水を水源とした自然石をくりぬいた升を石管でつないだ大正時代の水道も見られる。(写真左)

憾満ガ淵------------------------------------------------(日光観光協会公式サイトより)

男体山-なんたいさん-から噴出した溶岩によってできた奇勝で、川岸に巨岩があって、岩上に晃海僧正-こうかいそうじょう-によって造立された不動明王-ふどうみょうおう-の石像が安置されていた。「かんまん」の名は、不動明王の真言-しんごん-(咒文-じゅもん-)の最後の句から出ている。それを漢字にあてて「憾満」と書いた。「含満」とも書くので「がんまん」と濁って発音されることが多いが、命名の由来を考えると「かんまん」と読むのが正しい。

 神橋-しんきょう-方面から大谷川-だいやがわ-沿いの道をたどり含満橋を渡ると、舗装の道が終わり駐車場に出る。そこから上流に向かって「ストーンパーク」と呼ばれる公園が広がり、その中央の道を奥にいくと、慈雲寺-じうんじ-と化地蔵-ばけじぞう-がある。そのあたりの大谷川の小渓谷が憾満ガ淵である。

この護摩壇の対岸の絶壁に、「かんまん」の梵字-ぼんじ-が刻まれている。この梵字には弘法大師-こうぼうだいし-が筆を投げて彫りつけたという伝説があり、「弘法の投筆-なげふで-」といわれている。しかし、実際のところは、この地を開いた晃海が山順僧正-さんじゅんそうじょう-の書した梵字を刻ませたものだ。晃海と空海-くうかい-(弘法大師)の発音が似ているため、誤って伝えられたのであろう。

霊庇閣から奥には、約70体の地蔵群が1列に並んでいる。これは慈眼大師天海-じげんだいしてんかい-の門弟が彫ったもので、当時は100体ほどもあったという。しかし、これも明治35(1902)年の大洪水で何体かが流失している。このとき地蔵群の先頭に配置されていた「親地蔵」も流されてしまったが、川床に埋没していたその御首-おんくび-を地元の人が見つけ、現在は浄光寺-じょうこうじ-に安置している。

 この地蔵群には「化地蔵-ばけじぞう-」「並地蔵-ならびじぞう-」「百地蔵-ひゃくじぞう-」などの呼び名がある。化地蔵の名前の由来は、みんな似たような姿なので何回数えても数が合わないからという説と、仏教用語の「抜苦与楽-ばっくよらく-」の「抜苦」がつまって「化-ばけ-」となったという説がある。

 大谷川をはさんで、地蔵群の対岸は日光植物園である。春の新緑に始まり秋の紅葉、そして地蔵たちが雪をかぶるまで、美しい風光を楽しむことができる。

<加蘇山神社への道>栃木県鹿沼市上久我344