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ササモリモノローグ

人生は〇〇。あなたはどう読み解く?~映画レビュー『スーサイド・ショップ』~

2020.10.15 10:00



やっほやっほやっほやっほ\( 'ω')/

泡盛キメてる??🍶🍷🍸

愛に生き愛に狂い愛に翻弄されし愛の迷える子羊、犬、猫、ペンギン、人間、この世に生きとし生けるもの全てを愛したい(とは思ってるしむしろ全員私を愛せ)令和2年目の大天使兼救世主兼メンヘラに寄り添うメンヘラ兼心の恋人、笹森あきだよ。

肩書き大渋滞。私の人生も大渋滞。

脱却。悔いる人生。


はい。


いつも通り冬が始まりそうな激寒な前書き飛ばしてますが、10月一発目の更新ですね。

と言いつつ、気づけば10月も半ばになりました。

 

秋到来です🎃🍁🍄🌰


すなわち笹森の季節到来ですね。

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、笹森のあき。 


笹森のあき!!!!!!!

いいか?

このノリについてこれるやつだけついてきてくれ。末代まで歓迎するぞ。



行間。



本日は映画レビューの更新です。

続けて近日中に書き溜めた映画レビューをいくつか投下する予定なので、お暇な人は覗いてくれると嬉しいにゃん。


人生イラスト。Byいらすとや。




てな訳で。

本日感想を垂れ流させて頂く映画は、

フランス、カナダ、ベルギー合作のミュージカルアニメーション映画『スーサイド・ショップ』(※PG12 )  です。





こちらはフランスのパトリス・ルコント監督によるミュージカルアニメーション映画。

2012年にフランスで公開、日本では翌年2013年に公開されました。



とある家族が営む『自殺用品専門店』を中心に、死とは?人生とは?愛とは?……なんかを我々に問いかけてくれる映画です。


可愛らしくもどこかダークな絵柄で描く、皮肉とブラックユーモア全開なこちらの映画、早速レビューしていきましょう。


まずは簡単なあらすじから🐳


絶望が萬栄したとある大都市。人生は残酷、そう口々に唱える人々にとって、街の誰かの自殺は日常茶飯事だった。

そんな街の片隅にひっそりと店を構える『スーサイドショップ』。ここは、トゥヴァシュー家という一家が営む自殺用品専門のグッズを取り扱うお店だった。首吊りロープの量り売り、即効性のある毒薬、よく研がれたカミソリなど、商品のラインナップは多岐に渡り、日々多くの自殺志願者によって繁栄していた。

そんなトゥヴァシュー家に、新たな命が誕生する。生まれた男の子の名はアラン。このアランの誕生が、『スーサイドショップ』、トゥヴァシュー家、果ては街にまで大きな変化を与えていく…。

果たしてこの街は、スーサイドショップは、トゥヴァシュー家はどうなってしまうのか?




こんな感じですかね……?

詳しく知りたくなった人は、ぜひぜひ「OK Google」してください。

そして是非とも見てください。




はい。

以下感想です。



⚠まず初めにお伝えしたいのですが、こちらの映画、好き嫌いが物凄く分かれる映画です。


いや映画なんてみんなそうなんですが、なんというか……この映画は特に……?

コアじゃないんだけど、入口がちょっと人選ぶかな、みたいな……?


と、いうのも。


この作品、日本人の私たちからしたらド肝を抜かれるような不謹慎なブラックユーモアが最初から最後まで全開なんですね。


たまにモラルがぶっ飛んでます。

だから人によっては生理的に無理、許せないって描写があるかも??

倫理観に潔癖気味な人はちょっと色々キッツイかもしれないです。 


まぁでもそもそもそういうのキツイ人は『自殺用品専門店』の話って時点で観ないか。


とはいえ、限りなく黒に近いグレーさ、一歩間違えたら即アウト……みたいな、そういうブラックユーモア特有の危うさをちゃんと『ユーモア』としてライトに昇華してくれているので、私は好きだったし、人にオススメしたくなりました。

 

今回、私が気になったポイントを余すことなくお伝えしたいので、以降、ネタバレ有りでお送りします。

⬆の時点で気になって、ネタバレ嫌だなぁって人は、1回バックして頂けますと幸いです。




〈笹森ポイント①〉

死の捉え方~死は救済?~


スーサイドショップでは、序盤~中盤で人がバンバン自殺します。  

アニメ的なキャッチーな描き方で、あまりにも軽くお亡くなりになるので「これあとから生き返るやつ?」って思うくらいバンバン亡くなります。

こうやって、序盤は死が『あえて軽く描かれる』んですね。

なんでかっていうと、このスーサイドショップに訪れる人々の中では『人生は残酷』であり、『死』がある意味の救いになっている、と考えられているから。


この人たちには、もう死しか救いが残されてないんです。

傍から見たらそうでなくても、その人自身の中ではもう人生詰みに詰んでしまっているんです。

孤独だったり失業だったり、精神的な病だったり、理由は各々ですが、総じて、当人達は生きるのがもう辛いんです。

そういう、どうしようもなく人生に絶望した人々が、最後に救いを求めてするのが自殺。

『スーサイドショップ』は、そういう人々の救いになっているんですね。

自殺を前向きに捉えているんです。


ここが物凄く面白い。


自殺は、一般的には肯定されるものではなくて、むしろ宗教や考え方によっては『最も重い罪』とされていますよね。

浅薄な知識ながら、この映画の3つの製作国は、そういう宗教が特に信仰されている国だという印象があります。

スーサイドショップの舞台は『大都市』ですが、そんな国々でこの映画が公開された意味。

そこには監督のどんな意味が込められていたのだろうと気になりました。


これは世の中への警告映画なのでしょうか?

日本でも、自殺スポットとして有名な地には思いとどまることを促す言葉やホットラインの番号が書いた看板、10円が傍らに積まれた電話ボックスを設置するなどの取り組みをしていますよね。

ある種それに似た、自殺を防止する為の意図、のようなものも感じる反面、真逆の意図も感じる。

誘発、まではいかないけど、否定もしないよ、みたいな。


私は、この映画の何かに惹かれた人々に対して、救いの道を示す為の映画なのかな?と思いました。

その救いは、最後まで見て、自分で好きなように選ぶものなのかもしれない、と。


自分で自分をあやめてしまう、というのは、言葉だけ聞くと、確かに肯定されるべきことではありません。

だけど、そこに至るまでには必ず『理由』があり、その人の、その人だけが感じてきた『人生』があります。

生き続けることと死を選ぶことを天秤にかけた時に、後者が優ったのだとしたら、それはもう、何も知らない他者が口出ししていい問題ではないのだと思います。


どっちも辛いなら、少しでも軽い方を選んでしまうのはいけないことですか?  

何があっても頂いた命を全うして生きたいと思わなければならないのでしょうか。

辛いの尺度は人それぞれなのに、もっと辛い人が居るのに、というのは、正論のようであり、無責任な言葉だと思うのです。


私自身、確かに死は、ある意味究極の救いだと思っています。


そんな人々を否定することなく、その人の最後の希望を聞き、それに沿った自殺用品を前向きに、不自然な程明るく提供し、去り際、『またお待ちしております』ではなくて、『さよなら』と告げるこのお店は、間違いなく、今を生きる誰かにとっては必要なお店なのだと思います。


……とか何とか思いながらずっと見ていて、怒涛のクライマックス後のラストに思うところがあったので、上記に関してはまた後ほど触れます。




〈笹森ポイントその2〉

~説かれる人生観の変化~

 

この映画、序盤から中盤まで、見てるこちらが「もう分かったよ!!!!!!」ってなるくらい、何度も何度も悲観的な人生観が説かれます。


主人公のパパ兼店の主人ミシマ。

主人公のママ、ルクレス。

主人公の姉マリリン、兄ヴァンサン。

スーサイドショップに訪れる自殺志願者の人々。

ミシマが通院している病院の先生。

その他街の人々、などなど。


もう、「いつものあれでしょ??」ってこっちがげんなりしちゃうくらい徹底的に重く暗ーい『人生は〇〇』を繰り返し聞かされます。

こういうの、聞いてる側もいつの間にかその暗さに影響受けて少なからずくらーい気分になるんだよね。


人生は残酷。

人生は絶望。 

人生は灰色。



こんな感じの『人生の答え』が幾度と無く繰り返されてからの、結末での登場人物達の人生観。

どネタバレですが、




愛は万有引力☆
愛があれば人は生きていけるよ☆
人生って、生きるって最高〜〜〜☆



に変化します。



手の平返しがスッゲェ〜〜〜〜!!!!



まぁ突然の変化じゃないんです。

ちゃんと色々ありきの変化なんです。


確かに、序盤~中盤の価値観(『人生は絶望』派)を変えようと主人公のアランは奔走します。

そりゃもう。

まだ年端もいかない子供なのに一生懸命考えて、ありとあらゆる子供らしい方法で家族を、街を変えて行こうとします。 


この作品の中で、アラン(と、その友達数名)だけが、最初から最後まで一貫して明るい人生観を説き続けているんです。


ニッコリ笑うことも禁止され(というかそもそも『笑う気分にならない』のが正解)、友達と楽しく遊ぶ事も、明るい絵を書くことも禁止され、果てには生きることを前向きに捉えることも禁止され……。

そうやって、ネガティブエリート教育をされていたはずなのに、一切曲がらず素直で明るい子供に育って"しまう"んです。


そんなアランが、お姉ちゃんに自分のお小遣いを1年間我慢して貯めて、『"美人" ( ※トゥヴァシュー家では美人はプラスの言葉だから 禁句。お姉ちゃんも美人って言われてショック受けてる。) のお姉ちゃんに似合うスカーフ』を上げたり、直前になって自殺の実行を迷っていたおじいさんの錘の鎖をノコギリで切って生かしたり、自分に賛成派の友達を集めて、とある方法でお店を潰そうとしたり、などなど……。



そうやって、手を尽くしに尽くして、家業や家族に立ち向かいます。


それは、アランの根本には絶対にぶれない『人生は最高!生きるって幸せ!』って考えがあったから。


人生は絶望、人生は残酷、だから自殺でみんなを幸せにする……っていう一家

VS

人生は最高、生きるって楽しい、だから自殺以外でみんなを幸せにしようよ!……て言うアラン。


対立し合ってたこの意見が最後にこうやって覆って ( ※終盤、一家みんなの覆える最大のきっかけがあるんだけどマジモンのネタバレだから省きます ) 、アランの考えが認められたのは、アランが家族を大好きだって言う『愛』があったからかなぁと。

アランが大好きな家族を変えられると信じて頑張り続けたからかなぁと。


そう思うことは出来るし、まあ納得は出来る綺麗なエンディングなのですが、正直私は結末を知った時、シンプルにただ一言。



超〜〜〜皮肉だなぁ〜〜!!(好き)


って思いました。


この結末には賛否両論があるそうです。

あるだろうな。納得。

賛否があって然るべきこのラスト、私は理由はどうあれ賛成派です。

むしろこの結末だからこそめちゃめちゃ好きになりました。


まぁ見れば分かる。



上でも少し触れた、真逆の人生観に変化した理由。

(人生は絶望▶人生は最高)


これは紛れもなく当人達が変わったからでした。

とても雑に事実だけをお伝えすると、トゥヴァシュー家は愛を、愛の力を知ったのです。


自分次第で人生は変わる、という言葉がありますが、この言葉は少し言葉が足りないのではないのかな?と個人的には思います。

自分が変わると、人生の見え方が変わる、というのが正しいのではないのかな。

環境や自分が変わることで、人生に対する意識、気の持ちようが変わる。 

すんごい悲愴的に人生を捉えてたとしても、見え方が変われば、人生自体は変わってないのに、凄い前向きに考えられるようになる。

……そして、見え方、気の持ちようが変わると、時に人生そのものが変わることもある。 


って事なのかなって思いました。



ポイント①で言った『何が救いかを自分で決める映画』の救いのひとつはコレだと思います。

見え方次第で変わるから、1度立ち止まって考えてみない?

考えてみたらもしかしたら変わることもあるかもよ!

っていう前向きなものがまずひとつ。

とても素敵だと思います。


ただ、大人になるにつれて分かってくるのですが、人生には、見え方が変わっても変わらないものもあります。

変えたくても変えられないもの、というか。

見え方が変わって、価値観が変わっても、どうしようもないことは確かに存在するのです。 


価値観が変わっても尚、その事実を知っているミシマは、過去の『救い』を求める人の考えを否定せず、求めるものを与えます。

これも是非、自分の目で見て確かめて欲しい。


街中の価値観が変わっても、誰かにとっての救いは変わらない。


幸せが持続するとは限らないし、『今は』そう思えても『未来も』そう思えるとは限らない。

私はそういう不安定さを、場違いな程明るい結末から感じてしまいました。

この結末を見てから、作品序盤の登場人物の 


「人生は残酷よ。美化しちゃいけない。」


というセリフを思い返すと尚更。


人生は〇〇。

これの正解はなんなんでしょうね。


ちなみにこの映画、原作小説があります。

ジャン・トゥーレさんの『ようこそ、自殺用品専門店へ』という小説です。

原作のラストは鬱展開で救いがないらしいですよ。

監督が大衆向けにするためにこのラストにしたらしいけど、聞きかじった原作ラストより(確かにド鬱展開)こちらの方が皮肉効いてんな〜って個人的には思いました。


このレビュー読んで映画を見てくださった奇特な方の『救い』の答えが、是非聞いてみたくなったので、見たことある人、見た人は笹森に教えてください。



〈余談〉 


あ、そう。あとね。

原作にも絡んでいるんだけど、単純に街の設定や登場人物の名前や作中の言動に『アソビ』が聞いてて凄い好きだった。

例えば。

作中では一切言及されない、ミシマ、という、他の登場人物に比べてあまりにも日本的すぎる響き。

明らかに声優さんの発音の仕方が違うんですよ〜〜。

言い慣れてない、聞き慣れてないものを敢えて選んで名前にした意図。

そしてミシマが潔くて男らしくてかっこいい、と妙に進める『ハラキリ』。

こういう、なにかの意図が込められてるものの描き方とその距離感が絶妙なんです。


あとはアランが書いた元気な絵を否定した母ルクレスが、お手本として兄ヴァンサンの絵を見せたシーンも印象的でした。


ルクレス「(この絵)どう思う?」

アラン「……悲しい」

ルクレス「『悲しい』から美しいのよ」


これ、個人的に非常にハッとしました。

アランという純粋の象徴である子供に『悲しい』と訴えかける絵。

悲しくなる、胸糞が悪くなる、でも良い意味じゃなくても物凄く心を動かされる。

それはもう芸術であり、この世界に絶対に必要なものだと思います。

これはこの短いやり取りを通して、作品全体、果ては世に出ている作品全体へのメッセージなんじゃないかなぁと、なんだか思いました。

だって真理じゃん。こんなん。


セリフひとつひとつが良い意味で遠回りで、こちらの感性次第で受け取り方が変わる。

なにかがなにかの暗喩のような気がしてならない。


そういう、何回も見て色んなことを掘り下げたくなる魅力満載。

考察厨、設定厨には堪らない映画じゃないかなぁと思います。スーサイドショップ。


どんな作品にも言えることだけど、この映画が作られた時、何が起きていたのか、何がこの映画に影響を与えたのか、みたいなのを考えると楽しく知識も増えて、百倍くらい映画が楽しめるよね。


私が尊敬する人に、教養は人生を豊かにする、と言っていた人がいるんだけど、映画を見ていると特にそれを感じます。

意味が込められてるのに気付けないのは勿体ないもんね。

毛嫌いせずに、色んなことにアンテナ貼って生きていきたいです。


原作読むの気合い入りそうだけど、読んでみようと思いました。

これを機に、なんか苦手意識を持っていた海外文学やら村上春樹やらを読んでみようと思います。

遠い昔に挫折したミヒャエル・エンデもいくつか読見直そう……。




結論!!!!!!


スーサイドショップ、面白いから全国民見てくれ!!!!!!!!






長くなりました。

今回はこの辺で締めさせて頂きます。


秋も深まりどんどん気温が下がって来ますが、皆さんどうかお身体に気をつけてご自愛くださいね。


コロナ、インフル、風邪に負けんなよ!!



私はこれから徐々に発売される冬季限定洋酒チョコRummy🍇、Bacchus🥃、Calvados🍏を食べるのを楽しみに日々を生きようと思います。 

あとメルティーキッスのラムレーズン🍇とブランデーオレンジ🍊もバリうまやからみんな食べてみてね。



おわり!!!!!!!!


以上。

笹森あきでした🐧🐧🐧

 

おやすみなさい。

良い夢を〜〜(  ´ ꒳ ˋ )ノ