内と外のあいだ @ベルガモ中学校
"Between Interior and Exterior" The Japanese words “Interior - uchi” and “Exterior - soto” mean “Inside/Outside of a limited space” and also “The side to which you belong / you do not belong” in other words, “in-group/out-group”.
This workshop was held for all students in a junior high school in Bergamo, Italy. After introduced to the Japanese's unique concept of "Uchi / Soto" mentality seen in buildings and human relationships, the participants created their own windows by riflecting upon the theme of “Between Interior and Exterior”. Each student made a drawing of "Inside" and "Outside" layering the sceneries with each other. Which side is In and which side is Out?
2020年 突如コロナの時代に突入し、私達は生活様式の見直しを余儀なくされました。イタリア ベルガモにある公立中学校にて、3日間全生徒との交流を行った2月前半、その2週間後に起こるコロナ渦の日常生活を誰が予想したでしょうか。
毎年校外からゲストを招き特別授業を行なっている当校。担当教師から、比較文化+芸術のワークショップを依頼され、前年夏から先生達との打ち合わせを始め、準備をしてきました。各学年2クラス、1年生(12歳)から3年生(14歳)まで全生徒と行った3日間のワークショップ。1日目は中学2年生。2日目は中学1年生、最終日は中学3年生。あどけなさが残る1年生(日本では小学6年生と同齢)と思春期の3年生(お化粧ばっちりな女の子もいて大人っぽさにびっくり)、この3学年の差は、かなり大きく感じ、反応の違いも楽しみです。
最初の1時間は、教室にて、資料や写真を投影しながらお話。今回のワークショップでは、自分の研究テーマである「内と外のあいだ」として、日本人の日常生活にまつわる「ウチソト」( 1:限られた空間のなか/そと 2:自分の属する側/属さない側 )と「個」の関係をお話しました。
まずは日本の中学校生活を紹介。朝、学校に入るための通過儀礼でもある「上履きへの履き替え」と、自分専用の「靴箱」。この行為と場が、いわば学校の「ウチとソト」の心理的境界域。また、クラスや部活動、委員会などへの所属の「ウチとソト」。同級生との会話(タメ口)、先生や先輩への丁寧語という言葉の「ウチとソト」。日本人の私達は知らないうちに、物理的場や所属意識という重層的な「ウチとソト」を使い分けながら生活しています。靴の履き替えも、先生/先輩への言葉遣いも、部活動も存在しないイタリア人学生からすると、とても珍しいようで、皆 興味津々。日本の学校風景は、アニメでよく見るという彼ら、様々な質問が積極的に飛び交いました。
続いて、ウチとソトから見えてくる、日本人独特の"間"の取り方や"個"のあり方について、日常生活、日本家屋、宗教、言語や芸術などの視点から多角的に紹介しました。日本の伝統家屋が象徴するウチとソトの曖昧な境界線は、日本人の所属集団に依る立ち位置と重なります。つまり、ウチとソトの境界が曖昧な場(玄関/縁側/土間)や、畳の間を、間戸や襖で自由自在に開閉し、繋げ隔てる。ウチはソトにもなり、ソトはウチにもなり、状況によって変わり続けるのが私達日本人の特徴。確固とした自己は持たず、属する場や状況によって、自分(ウチ)と他者(ソト)の間合いを測り立場を変え続ける。人と人の"間 (距離)"は、境界線としての"隔たり"というより、繋がりとしての「尊重」をも体現する。
その後、この10年間追究しているテーマ「"ここ"と"そこ"のあいだ」の私の一連作品を紹介し、本日のワークショップの内容を簡単に解説。好奇心いっぱいの質疑応答を経て、多目的教室に移動して作業開始!
「内と外のあいだ」をテーマに、一人2枚のトレーシングペーパーに、「内」と「外」のイメージを描写してもらいます。今日のお話から受けたインスピレーション、自分が感じる「内」と「外」の意味、それらを自由にドローイングやコラージュで表現。
最終的にそれらを重ねて、窓に見立てた枠に入れます。「内」と「外」の風景が透けて一体化し、1つのオリジナルなイメージが出来上がります。
窓は「内」と「外」の視点を持ち、それらを繋ぐ透明な境界線でもあります。
自分の部屋の窓、宇宙ロケットの窓、心象風景…。悩みながらも、鉛筆とサインペン、切り貼りを交えて、自由に表現していきます。
描き終わった人から、窓枠の形に封筒を切り抜き、2枚の作品を中に入れ込み、紐に吊るしていきます。2枚の絵の重なりに自然光が透過し、内外の関係性をより一層強調します。
授業の最後に、一同に並べた窓を皆で鑑賞。
何人かに自身の作品を紹介してもらいました。多感な年頃だけに、はにかみながらも、自分の作品、ものの見方をプレゼンテーションする生徒達。
窓から見える部屋の様子や庭の風景。地球と宇宙、自国と外国、野球の内野と外野、テレビの中と外… 年齢を問わず、共通して出てきたイメージ。
以下の真ん中の絵は、一人の女子生徒が書いたもの。手前に自画像があり、後ろに雷空が見えます。自画像が「内」で、雷空が「外」と思いきや、彼女にとっては、自画像が「自分の外見」、雷空が「自分の内部の感情」とのこと。とても興味深い、内外についての考察でした。
今回の授業を終えて、中学生の彼らから、「異なる文化の習慣について知ることは、自らの文化を知る上でも、多くの気付きがある」「これで日本のアニメの意味がもっとわかるようになった」等の感想がありました。
コロナ禍になり、「人と人の間」の距離が一躍注目されるようになりました。私が長年、作品を通してリサーチしてきた日本人独特の距離感や間合い。
日本の歴史と風土が培った、接触せず間を空ける挨拶の習慣、ウチとソトの明確な区分である靴の着脱、通気性重視の境界が曖昧な家屋。これらは高温多湿の風土における疫病蔓延を避ける術でもありました。挨拶の際に畳一枚分の距離を空けること。間合いと結界、もてなしと心遣いのパフォーマンスアートの結晶である茶の湯。決して交わらないことを美意識にまで高めた「粋-イキ」や「間-マ」。ウチはソトにもなり、その逆も然り。個を抑え、間合いを取りながら変化し続ける人間関係。
これら私たちの習慣を、今回の授業で不思議そうに聞いていた生徒達が、まさかその1ヵ月後に「1m以上の人との間隔」を法律で強要されるとは。コンテ首相がまっすぐに私たちを見つめ「習慣を変える事は決して簡単ではない、でも今はそれが必要だ」と訴え、人との距離をとることを法律化しました。もはやこのフィジカルディスタンスは、世界の共通認識となっています。
強制された人との距離は、いつかまた抱き合える日の貴重さを改めて感じさせるでしょう。今は、5感でダイレクトに伝わらないからこそ、想像力を働かせる、相手へ心で寄り添うこともできる、とポジティブに捉えることもできます。「間合い」は「思い遣り」でもあることを、私達日本人は歴史的に知っています。
協力: ベルガモ カルヴェンツァーノ市立中学校
関連リンク:
「内と外のあいだ@中之条小学校」「内と外のあいだ@中之条ビエンナーレ」
「子供のためのアーティストブック国際会議 @メラーノ」