指導者の責任
以前教えたことのあるひとりの生徒について。
その時高校生だった彼は、指導することを積極的に吸収出来る生徒だった。努力を厭(いと)わなかったので、学業はきちんとこなしていたし、部活は良いチームメートに囲まれて活躍していた。確かキャプテンを努めていたはずだ。ひとことで言えば優秀な生徒だった。
ある日授業の合間に雑談をしているとき、彼が「成績が悪かったら人生終わりですよね。」のようなことをポロッとこぼしたことがある。駆け出しではなかったが、まだ20代の青臭さを残す指導者だった私は(と弁解しておく)、「それは違う。」と熱を込めて語った。人にはいろんな特性があるから成績だけが人生の全てじゃない、成績が良い人は悪い人の気持ちが分からない事が多い、つまり物事の多方面の見方が出来ないことがある。結果を残すことより、過程を重要視することが大切だ・・・・云々(うんぬん)かんぬん。そして私はこう締めくくった。「成績が良い人が頭が良いとは限らないからね。」生徒は感心して(あるいは圧倒されて)聞いていた。「いいことを言った」とばかりに自分がドヤァという表情になっていたことは否めない。ああ恥ずかしい。今なら穴を掘ってでも入りたい。
読者諸氏には、何故私が今このように思うのか意味不明だろうから、もう少し先を続けよう。
それからしばらくして、その生徒の母親より相談を受けた。実は最近息子が今ひとつ熱心に勉強をしないんですという。来年は受験なのに心配で、とのこと。普段の授業の様子からはあまり想像が出来ない話しだったので、私は驚いた。それでどうしてそう思われるのですかと問いかけると、彼女は困った風に答えた。「勉強をしないと成績が落ちるよ、と言うんですけれど、“成績がいいやつが頭がいいとは限らない”とか言い返すんです。」げげっ、まさか。聞いた私の顔面は真っ青になった。いやもう、どう弁解してもこれは駄目だ、指導にものすごく失敗した例である。私の「ドヤァ」なひとことが、真の意味するところを伝えず、むしろ素直で疑わない性格だった生徒に、そのまま努力しないでいい理由を与えてしまったのだ。指導者人生において最大級の汚点だった。
猛反省した私はその後、さりげなく彼の“誤解”を解くため尽力した。幸い本来の努力家の性格のせいもあってか、優秀な成績で彼は学校を卒業した。時は流れ、現在は教員をしている。情熱的で生徒に好かれる良い先生だと聞いた。
改めて思う。教師や指導者と呼ばれる者は、己の指導が生徒の人生を左右するのものになり得るということを重く受け止めねばならない。だから、先生は発する全ての言葉に責任をもって語るべきなのだと。
今でも私の教訓である。
Be ambitious, boys and girls!
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