愛さなくてもいい。
2020.11.09 11:30
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例えば、自分を受け入れましょうとか、自分を愛しましょう、っていう常識が、
この世界には平然とあって、そのレールから外れると、
自分を受け入れる方向に、自分を愛する方向に、なだめられるような風潮を感じるんだけど、
私、正直それ、どっちでもいいと思う。
どういうことかって、
自分を受け入れようが受け入れまいが、自分を愛そうが愛さまいが、
どっちでもいいってこと。
だって、そのどちらを選ぶかによって、
見える景色や、できる表現が全く変わってくるから。
哀しみを知らない人に、哀しみは描けないでしょう。
絶望を知らない人に、絶望は踊れないでしょう。
嘆きを知らない人に、嘆きは唄えないでしょう。
また、
喜びを知らない人に、喜びは描けないでしょう。
希望を知らない人に、希望は踊れないでしょう。
愛を知らない人に、愛は唄えないでしょう。
朝と夜に優劣なんてないように、光と闇にも優劣はない。
見たい景色を見ればいいし、描きたいものを描けばいい。
だけど今、自分がどっちを選んでいるのか、ちゃんと「分かっている」ことは大切かもね。
そうじゃないと、自分がそれを選んでいるくせに、その現実に飲み込まれてしまうから。
誰も分かってくれないと怒りに狂い、誰からも愛されないと嘆き悲しみ、
そもそもの原因が、自分にあったということを忘れて、世界に不満ばかりが募るから。
だって結局、
自分を受け入れた分しか、自分を愛した分しか、
受容も愛も受け取れないからね。
だから何にせよ、自分が選んでいるっていう意識は大切だね。
自分を愛するも愛さまいも、どちらでもいいとしたら、
今、自分はどちらを選びたいのか、
そしてその自分を使って、何を表現したいのか、
そういうことなんじゃないかな。