黄泉の国とは
イザナミさまが神避りの後、永遠の在所となった黄泉の国とは、どんなところでどういう意味があるのでしょうか??
古事記を振り返りますと、イザナキさまは最初、イザナミさまの亡骸を比婆の山に葬られたとあります。
しかし、その後、カグツチさまを斬った後、「黄泉の国に出かけた」と書いてあります。
そこで、「伊耶那岐神、黄泉の国へ」に書いたやりとりがあります。
実はこの文章をよく読むと分かるのですが、これは、「横穴式玄室」を表している文章ではないかという説があります。
古事記の面白いところは、神話の箇所と、書かれた当時の政局、及びその当時の最新の学術成果も組み込まれていることです。
このブログを書くときの最初でも書きましたが、そもそも古事記は、天武天皇が「正確な天皇家の歴史を後世に伝えるべく」作成を命じたものでありますから、随所に過去と現在が入り交じっており、これが、近世以降、研究の対象になっていて、現在でもその研究が続けられています。
本題に戻しますと、つまり、ここに描かれた黄泉の国とは、古墳内部の描写ではないのかと言われています。
そもそもが、黄泉は「蘇る」という言葉の語源にもなっていますが、実は古代人は肉親を埋葬した後にその遺骸を見に行く風習がありましたので、それがイザナキさまの黄泉の国訪問話の元になっていると考えて良いでしょう。
ところが、古代人にはもうひとつ死後の世界がありました。
「常世国」です。常世の国とは「海の遥か彼方にある、美しい不老不死の国」となっており、闇に包まれた黄泉の国に下ってしまうという考えとは全く違う死生観です。
さらに言えば、黄泉の国からイザナキさまを追ってきたイザナミさまを、千引きの岩(1000人がかりで漸く動かせる巨大な岩)で、黄泉比良坂を塞いでしまいます。これによりこの夫婦神さまは永遠の決別をし、イザナミさまは黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれるようになりました。
「イザナミさまと火の誕生」のところでも勝手な持説を書きましたが、イザナミさまのような天津神さまに「死」はありません。
したがって、恐らく黄泉の国でイザナキさまは、イザナミさまの「魂」と語っていたのでしょう。イザナミさまに追いかけられたのは概念でしょう。そして、イザナキさまの手で、黄泉の国の大神に据えられたのでしょう。
ここのケジメがあるからこそ、実は次に日本の神話、天皇家の歴史について大きな出来事、誕生があるのです。